PIACERE崩壊への軌跡
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2005/04/03(日) PIACERE崩壊1
4月3日、とうとうPIACERE解散の日が来ました。
昨日は最後のクラハンをして、死者を多数出しながらも何とか私一人目標を達成。
狩をしていたRWの方には多大なご迷惑をおかけしたと思います…申し訳ありませんでした。
その後、深夜開始のギラン防衛に参加。
フルタイム参加できる最後の戦争でしたが、FMさんを初めとする熱い攻めが来てくれたおかげでとても楽しかったです。

振り返ってみると、PIACERE血盟を立ち上げたのが3年前の2月。
その時私は、プリが1stキャラだと言っていました。
でも本当は私がリネを始めたのはその前年の10月。
ちょうどYahoo組みが大量に入ってきた時期でした。

何も知らずに始めたため、何をしていいかも分からず、ただただ画面に広がる奇妙な光景にわくわくしていました。
奇妙な光景…周りのキャラが自分たちの意思でしゃべっているという光景、今では当たり前に感じてしまいますが、初めてMMOを体験した当時は衝撃的でした。
衝撃的過ぎて、周りの人に話しかける勇気もなく、しばらくは一人でモンスターを倒していました。
犬を連れている人を見てうらやましがったり、AC-17とか言ってる人を見て強い人だと驚いたり、誰かが逃げようとしてSKT近くまで引っ張ってきたスケルトンになすすべもなく殺されたり、ケントから引っ張ってこられたオーガの大きさに恐怖したり…何もかもが新鮮でした。
それでもなかなか上がらないレベルにもうやめようと思ったのが、確かレベル13の時でした。
今考えると理解できない状況ですが、当時何の情報も調べずにただただゴブリンやオークを狩っていただけの私には、そのレベルでさえ苦しかったのです。
やめる前に試しにクランとかいうものに入ってみようと、SKTで勧誘している男プリさんにクランに入れてもらったのが分岐点でした。
クランに入ると、色々なことを教えてもらえ、みんなでクランハントに出かけることで今まで知らなかった場所に行けたり、競い合ってレベル上げをしたり、クランチャットで色々話したり、一人では感じられなかったMMOの本当の楽しさをクランに入って初めて知りました。
その結果、リネの世界に引きずり込まれていくことになります…。

初めに作っていたキャラはナイトでした。
それがレベル40近くになった後、サモンを使いたくてWIZを作りました。
当時のサモンはとても高く、私の手の出る魔法ではありませんでしたが、WIZを作った頃から値下がりが進み、覚えられるレベルになった時点でないとの装備を売り、1,2Mで買ったと思います。
それからは世界が変わりました。
どこにでも一人で行けるようになり、お金を貯めるのもずっと楽になりました。
でも、それによってクランのみんなと何かをするという楽しみは減っていったように思います。

所属していたクランは、まだまだ平均レベルも低いクランでしたが、戦争には時々参加していました。
初めて参加した戦争がOT戦でした。
小泉さん率いる自由民主党(?)の守るOTだったと思います。
布告して攻めて行くものの、圧倒的な強さの違いに、村の出口まで押されていきました。
5人でBOXしても全員飛ばされるぐらいの違いでした…。
そのあと降伏して門を見に行ってみると、どこか別にクランが攻めてきていました。
私たちが手も足も出なかった城主クランを蹴散らして行き、城を落としていました。
初めて見る戦争だったので、その激しさに圧倒され、いつかこんな戦いをしたいなと戦争に対する憧れを持ちました。

その後も何度か色々な戦争に参加しましたが、一番印象に残っているのがハイネでの出来事です。
当時ハイネはまともに防衛されておらず、開始直後に私たちのクランが落とし、GT防衛を敷いていました。
そこに現れたのがピストルマークのナイトさん。
布告もしてきてないのに突然防衛陣に斬りかかってきました。
もちろん排除しようとみんなで攻撃しましたが、なかなか飛ばない…。
挑発もしてくるし、かなり感じが悪い人でしたが、飛ばしてまた来てというのが何度か続いているうちに、別の攻めクランが来て落とされました。
当時の私は勢力とか全然知らず、そのピストルマークがどこのクランかということも知りませんでした。
戦争後、ハイネの宿屋でたまたまそのナイトとうちのクラン員が会い、そのナイトに対して腹を立てていたうちのクラン員がポロっと何かを言ってしまいました。
それを聞いたナイトさんは、高圧的な態度で「お前は狩場で見かけたら殺す」とうちのクラン員に対して言ってきました。
ALL KILLではなかったですが、そういう人を初めて見たので怖かったです。
それで色々と戦争について調べました。
ピストルマークがどういうクランなのかもわかりました。
これが私とGangとの最初の接触でした。
当然印象は最悪でした。

その後、私の所属していたクランとその同盟クランだけでは戦力不足ということを何度も感じることがあり、自分でクランを作って人を集めてみようと思うようになりました。
ある程度強くなったら、所属していたクランと一緒に戦おうという夢を抱いて。
そこで作ったのがConcertoとPIACERE血盟でした。
元のクランの人たちには何も言わずに密かに作りました。

プリを始めてみると、それまでとは全然違うゲームになりました。
常にクランのこと、クラン員のことを考えて行動しなければならず、プリってこんなに大変だったんだと初めて知りました。
でもプリでしか感じられない喜びもたくさんありました。
最初に勧誘して入ってくれたのがナインボールさんでした。
今もリネを続けていて、クラン解散の少し前からまたクランに戻って来てくれていました。
世話好きで貢ぎ好きの人で、初心者のお世話などすすんでしてくれて、本当に助かりました。

2005/04/02(土) PIACERE崩壊2
その後もたくさんの人と出会ったり別れたりしましたが、私が思い描いていたクランの未来を大きく変えたのが竜キングさん(当時はWIZ)との出会いでした。
ある日、MLCでクラハンをしていると、一人寂しそうに狩をしている竜さんがいました。
クラハンに参加していた一人が知り合いだったのか、あの人も入れてあげてと言われ、一緒に狩りました。
その時はそれで終わりだと思っていましたが、その後もWISで話したりするようになり、毎日のように二人であり穴に通うようになりました。
竜さんがサモンを欲しがっていた時、私は800kを知り合いに借りたと言って竜さんに貸してあげました。
実際は私自身が別キャラのWIZで4日ぐらい必死に稼いで作ったお金でした。
竜さんは指輪マークのParadiseに所属していて、すごい人たちとも知り合いで、Gangからもお誘いの声がかかっていたようです。
かなりのいい条件を出されていたようですが、それを蹴ってPIACEREに入ってくれました。
無茶苦茶な人で、困らされたこともたくさんありましたが、普通にプレーしていたら知ることのないような世界の話も色々してくれました。
竜さんの話を通じて、それまで抱いていたGangに対する悪い印象も次第に消えていきました。

もう一人、私のリネを変えてくれたのがシベさんでした。
私がダッシュプリとなったのはシベさんの責任です…。
まだクラン員が少なくてレベルも低く、戦争ができなかった頃、OTは小さなクランが多数攻めて、毎回ダッシュ化していました。
そこに引っ張って行ってくれたのがシベさんでした。
二人だけで特攻して、途中何度か取れて、最後も運良くいいタイミングで取れてOT城主に…。
クラウンは付きませんが、一応城主です。
その嬉しさはもう表現できないようなものでした。
それが病みつきになり、OTで何度もダッシュを繰り返しました。
どんなタイミングで叩けばクラウンを取れるか、最後の布告のタイミングはいつか、どういうルートを走れば邪魔されにくいか等、毎回研究していました。

クラン員のレベルがある程度まで上がった頃、私が元所属していたクランは新鯖へと移る者とシリに残る者とに分かれました。
プリは新鯖へと移動し、一緒に戦うという私の夢は崩れ去りました。
ただ、シリに残った人もいたため、その繋がりはその後も続きました。
そこからPIACEREへと移ってきたのがユークスさんでした。
PIACEREの最後まで残ってくれたメンバーの中で私のことを一番昔から知っているのがユークスさんです。
対人戦好きのバボとしか言いようのない人です。

そして、ドワ城の実装。
OTでの研究のおかげか、何度も城主になることができました。
その頃のドワ城は税収が大したことないのに防衛が難しかったため、まともに防衛するクランがなく、毎回ダッシュ大会でした。
状況が変わったのはオーレン実装後。
一気に税収の増えたドワ城は、税収を使っての防衛ができる城となりました。
それでも4マス2門を防衛できる勢力はなく、相変わらずのダッシュ大会。
この頃は、私と一緒に参加したクラン員に1Mずつ配ったりしていましたね…。
私の手元に残った黒字分はナイトの装備となり、竜さん(この頃はナイト)に貸していました。
後に竜さんの垢がハックされ、その全ては失われることとなりますが…。

一時期ドワ城をGang系のクラン(正確には違うそうですが、当時はそう思っていました)が落とし、門を締め切って門前防衛を敷いていた頃がありました。
少数のクランばかりのダッシュ勢は、防衛が居るため攻めなかったり、攻めても簡単に蹴散らされたりで何もできなくなりました。
その時ダッシュクランを集めて攻めようと提案したのが私と、私が最初に所属していたクランを引き継いだノアさんでした。
当時クラン同士のつながりがほとんどなかった私は3つぐらいのクランしか呼べませんでしたが、知り合いの多いノアさんが多くのクランに声をかけ攻めが実現しました。
竜さんは、防衛側が知り合いばかりだということでやりにくそうでしたね。
そのダッシュ連合によりドワ城は再びダッシュ城となりました。

その後、パンプキンマスクの登場により、パソコンの性能が追いつかなかった私はダッシュプリとしてやっていけなくなりました。
同じプリカボチャのはずなのに、自分よりずっと速いカボチャたちに簡単に追い抜かれ、GTにつく頃にはGT周りはプリであふれかえっていました。
ダッシュができなくなってしばらくしてから、ドワ城を頻繁に取るクランが現れました。
RWのKatoreaさん率いるクランでした。
以前からSGのRaraさんとは竜さんを通じて知り合いだったため、RWに協力していたSGさんからの誘い等で、私たちもRWさんに協力することになりました。
Katoreaさんは、それまで無理だと思われていた門防衛を実行し、その平均レベルの高さと強さ、人脈による防衛人数の多さにより成功させてしまいました。
その結果、ダッシュクランは消え去り、どこも攻めてこない城が出来上がりました。
私は大学が忙しくなるまで毎回防衛に参加し、クランとしても一番多い時で15人程度を防衛に送っていました。
この頃にはむこもんさんやZbさん、村正さんともやっぱり竜さんを通じて知り合っていたはずです。
もう時系列が混乱して間違っているかもしれませんが…。
竜さんの垢がハックされたのもこの頃だったと思います。

そして、大学が忙しくなる直前の夏、私がむこもんさんを裏切って決行したハイネCC作戦がありました。
むこもんさんが企画していた攻めの会議を通じて名前を覚えたクランとは、このハイネ戦以前は繋がりはほぼない状態でした。
Geregereののーさんともこのハイネ戦からよく話すようになったと思います。
夏が終わると大学が忙しくなり、戦争にもほとんど行けなくなりました。
クラン員も減り、私自身もリネをやめようと考えていました。
そのときもナインさんを初め、色々な人たちが支えてくれて持ち直しました。

2005/04/01(金) PIACERE崩壊3
年末からはOT城主をしばらく続け、ギラン城主、ドワ城主と城主生活ができました。
その間、今は戦場では敵となってしまった人たちも含め、多くの人たちが協力してくださったことには本当に感謝しています。
ドワ城主をNOCONOCOに引き継いでもらった後、クラン員はリネから離れたり別クランに移ったりして、他城への防衛参加が私だけということも多かったです。
なつきちさんや朱明さんはそんな中でもちょこちょこ参加してくれてましたね。

クランの最後は静かに消えていこうということで、解散式も解散攻めも行いませんでした。
そのかわり、シーラさんにお願いして、防衛中のドワ城に布告させてもらい、門前でSSを取らせてもらいました。
PIACERE血盟はもうなくなり、私自身ももうほとんどリネをできなくなります。
それでも大規模アップがあったときにちょっと見に来れたらいいなと思ってキャラや装備の一部は残しています。
もし私を見かけるようなことがあれば、声をかけてくれれば嬉しいです。

最後に、お世話になった人たちへ

しべさん
お元気ですか?
無事に医者になれましたよ。
体に気をつけてがんばってくださいね。

Zbさん
ドワ城で、昔の出来事を聞かせてもらったのを今でも覚えています。
私にとっては伝説の人です。
これからもみんなを引っ張っていってください。

Seiwaさん
以前は毎日欠かさず日記をチェックしてました。
卒業旅行から帰った私を見つけてWISくれたときは嬉しかったです。
また私を発見したら声かけてくださいね。

むこもんさん
戦争を手伝ってもらったり愚痴を聞いてもらったり、本当にお世話になりました。
最近は忙しそうですけど、いつまでも汚れたままでがんばってください。
お酒は飲み過ぎないように…。

のーさん
暇な時はとりあえずのーさんにWISしてました。
何でも聞いてくれてふわっと受け止めてくれるのーさんには何度も助けられました。
いつまでもその雰囲気をなくさずにいてください。

シーラさん
ギラン城防衛、ドワ城防衛では大変お世話になりました。
ナの国を率いてずっとお城を持ち続けるシーラさんはあこがれのプリさんでした。
これからも清楚なままで戦い続けてください。

スさん
私がドワ城攻めを失敗して謝罪の便箋を送った時、なぐさめの便箋をくれましたよね。
あの時は本当に心が楽になりました。
戦場で赤ネームのスさんを見かけることが多かった気がしますが、落し物をしないように気をつけてください。

抜刀斎さん
まだAC-70あった頃の私のナイトと二人で、門防衛している深夜のOTに特攻したのがなつかしいです。
それ以来、戦場で何度も一緒に戦いましたね。
戦っている姿からは想像できないその優しさをずっと持ち続けてください。

Soraianさん
いつも抜刀斎さんと一緒に戦場にいましたね。
ドワ城譲渡のとき快く引き受けてくださってありがとうございました。
色々大変だったけど、これからもがんばってください。

他にもお世話になった人はたくさんいるし、助けてもらったクランもたくさんあります。
全ては書ききれませんが、皆様には本当に感謝しています。
ありがとうございました。

そして、PIACEREクラン員のみんな
長い間付いてきてくれてありがとう。
ちゃんとクラン運営をしないダメなプリだったけど、みんなと会えてよかった。
これからはそれぞれで新しい場所を見つけてがんばっていってください。


それでは皆様がいつまでもリネを楽しめることを祈って…。
                  PIACERE血盟 Concerto


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