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2004/02/29(日)
悪・即・斬
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おととい、オウム真理教教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)の死刑判決が出されました。メディアではこぞってその特集を組んでいましたが…2日たってみるともうすでに過去の出来事となっていました。世知辛い世の中です。 被害者やその遺族などの切実な声もさることながら、被告側の弁護士にもスポットが当てられていました。『疲れた』『もうかんべんして』などと弁護士団の口から疲労の声も出ていました。なぜ彼らは弁護を引き受けたんでしょうか?いつも疑問に思っているんですが、被告側の弁護ってその弁護士にとって何かメリットがあるんでしようかね。完全に黒と分かっていても弁護士はたてなければなりませんし、誰かがやらなくてはならないのだろうけど…。今回だって、誰がどう見ても悪いのは教祖だろう。それなのに、もう無理矢理といっていいぐらいの弁護をしていた弁護団…。彼らもこんなことをするために司法試験勉強をしたわけではあるまいし。 以前聞いた話によると、ああいう大事件の弁護というのはメディアに出る機会も多く知名度は上がるそう。結局金のためなんだろうか。逮捕当初はこんなにも事件が長引くとは予想していなかったのだろうか。手っ取り早く自分の名を世に知らせるには都合がいいと高をくくっていたのだろうか。だとしたらそれは自業自得なのだろう…。しかしそう考えると、正義ってなんなんだろうな…。 僕は中学生の頃学級委員を務めていたことがあったのだが(何度も言うが僕は中学校まではマジメな生徒だったのだ)、ある日のこと、教室で漫画を読んでいる生徒がいた。当然校則違反である。僕は学級委員という責任感から、しかし、友達であるという人情から、2度ほど注意を与えた。『今度読んでたら先生に報告します』 しかしそいつは懲りずに漫画を読み出した。僕は先生に漫画を読んでいる生徒がいることを告げ、その生徒から漫画を取り上げた…。俗に言う『チクリ』にである。今思うと、校則違反の持込をする人はいっぱいいたし、それは生徒間ではもう暗黙の了解になっていた。僕もそいつに限らず、そんな現場を何度も見かけてきた。つうか一緒になって読んでいた。ははっ。しかしそんな雰囲気に僕は耐えられなかったのだろう。こいつ一人だけをチクっても何も変わらないかもしれない。しかし誰かが言わなくては何も改善されはしない。あと少しで任期が切れるということも後押しされた。
その後、一時期だけではあるが学校への持込が無くなった。その代償として僕に『クソ学級委員』という称号が与えられた(笑) 今思うとずいぶんうざいやつだったろうが、あれは僕なりの正義だった…。
どんな組織にも規則はある。その規則を守らない人間を全て排除していけば、きっと完璧な組織ができあがるだろう。今の日本警察や軍隊のように…。日本の中学校・高校もそれに近いものがある気がする。しかしそのおかげであまり居心地がいいというわけではなかった(僕はね)。人間はがちがちに縛り付けられてしまうと、その鎖を解いて自由を求めてしまうのだろう…。規則で縛り付けると逃げてゆき、規則をなくすとバラバラになる…。実に難しいものだね。
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