ひねくれ者の小唄
できればネットの片隅に存在し続けられますように
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2004/05/26(水) 過去
 先ほど(0:03頃か?)、腕立て伏せ20回を3セットやってみたところ…腕がガタガタになった。おそらく明日は筋肉痛だろう…。たかだか60回で筋肉が悲鳴を上げるようになるとは…。高校までスポーツやってた人なら分かると思うけど、こんなに衰えた自分に驚いてしまうね。あの頃のあの動きは一体何だったのか。思えば小学校の頃…

 特別クラブか何かをやっていたわけではなかったが、なんとなく学年で運動神経が良い方だった。徒競走では常に2番(どうしても勝てない奴がいた。中学の時にあっさり追い越したが)。休み時間に友達同士15人くらいでリレーをして遊ぶことがあったが、チーム決めのときはひっぱりだこだったさ。親の遺伝ということもあったろうが、登下校の2キロの距離を毎日雨の日も風の日も晴れの日も6年間歩いて通い、放課後は野山を駆け回って遊んだのも無意識の運動練習みたいなものだったのかもしれない。
 中学にあがり、陸上かバスケか悩んだ末結局バスケ部にした。当時スラムダンク絶頂期にあったのが主な理由だ。今思うと陸上のほうが自分の性に合っていたように思う。陸上は競う相手が自分なので練習がつまらないという感じがしたのもバスケを選んだ理由だったのだが、バスケは完全なチームプレイなので孤独を愛する自分にはあまり合っていなかったのかもしれない。ただ黙々とひたすら走り続ける練習が自分にピッタリだ、と気付いた頃には俺はバスケにどっぷりハマっていた…。

 中学の頃、『神速』と言われ続けた。それほど俺の足は速かったんだろう。市、いや区レベルでさえ、俺の足の速さなんて平均的だったのだろうが、全校生徒400人程の田舎中学ではその世界が全てだった。部活でも誰よりも足が速かったので同級生、先輩はもちろん先生にも一目置かれ、中学からバスケを始めたにもかかわらず、2年生の時にはレギュラー・スタメン出場までさせてもらった。ちなみにレギュラーってのはユニフォームを着れる15人のことでスタメンはスターティングメンバーの略、つまりゲーム開始最初に出る5人のことだ。中学レベルで一試合15人使うというのは稀で、出れて7〜8人だ。残りは誰かケガをしたときなどの交代要員で、レギュラーとは名ばかりで出番はほとんどない。俺らの代は全員で16人くらいだったと思うが、その10人くらいは小学校からバスケをしてきた連中で、しかもその小学校は県で準優勝したチームだった。そして現に俺らの代の中総体では歴代初の快挙である県大会出場を果たした。俺の他は皆経験者だ。そんな中でプレッシャーに押しつぶされそうになりながら練習をしてきた。下にはいつ俺とスタメンを変わってもおかしくない奴が2人はいた。俺も負けていられない。

 中学の体育祭は俺の人生の中でもそこそこの晴れ舞台だったと思う。俺の出場種目は『徒競走』『900Mリレー』『全員リレー』である。全て走る種目。900Mリレーというのは1、2、3年生のクラス代表者男女計6人がクラス対抗でリレーをするというものであり、普通は校庭半周(100Mくらい?)なのだが3年生男子、つまりアンカーは何故か理不尽にも1週半もさせられた。ちなみにこの種目はクラスで一番速い奴を出すことになっている。全員リレーはクラス全員が校庭の4分の一週ずつをリレーするというもの。これもアンカーは半周だった。俺はどっちのリレーもアンカーを務めた。全員リレーは全員参加だからやむを得ないとしても、俺がやりたかったのは徒競争だけだった。しかしクラスの無責任野郎が『Tは足が速いので900Mリレーに推薦します』などと言い出しやがって、俺の反対意見など完全無視で半ば強引に出場が既決された。しかし一番やりたくなかったこの種目で俺は全校に名を轟かせることになる…。

 徒競争は当然ながら1位だった。しかもこの後の種目のことを考えて力をセーブしての1位。俺ってすごい。そして900Mリレー。俺のクラスは4組。うわさに聞くと、後輩たちは結構速いやつらがそろっているらしいが…ってか、1年の別クラスに弟がいるよ…。あいつも足速いんだ、これが。少し時代遅れのBGMの中、けたたましい発砲とともに1年生女子がスタートを切った。うむ、なかなかいいよ。たしか2位くらいだった気がする。1年男子にバトンが渡る。うむ、やっぱ弟1位だよ。奴は1組だった気がする…。その後順位は入れ替わり、1位1組、2位2組、3位4組、4位3組の順でバトンが3年男子に渡った。その時点での1位との差は半周、つまり100M、2位とは4分の1周くらいだった…。

『…2位くらいにはなってやるか。さすがに1位はきついだろな』

俺は走り出した。

 1週走ったところで2組を追い越した。校庭を全校生徒で囲む形になっているのだが、ちょうど2組の応援席のところで抜かしてやった。そいつはクラスの仲間に向かってガッツポーズなんてしてたけど、俺は内側からえぐり込むようにして走り去った。『カット(あだ名)!横横!』なんて声が聞こえた。もうおせーよ。絶対抜かせねぇ。

 残り半周。A(1組の走者)との差は10Mくらいまで迫っていた。しかし力が拮抗しているため、その距離は縮まらない。ゴールまで約30M。俺は1位になることを諦めた。あのカットから半周差をひっくり返したんだ。他薦であるのに俺は十分やったさ…。脳裏をそんな考えがよぎった。足もフラつき、体力も限界だ。俺はスピードを緩めた。しかし…

 俺がスピードを落としたのに、二人の距離は変わらない。…Aもスピードが落ちている!?
 俺は自分の体全てに持てる力を振り絞るよう呼びかけた…。そして白いゴールテープ寸前、へとへとに疲れきった表情のAを横目に抜き去った俺の視界には、誰もいないトラックが広がった…。

 最終種目の全員リレーは4組のダントツ首位に終わった。もともと足の速いやつらが集まったクラスだったからアンカーの俺はもうほぼランニングみたいな感じだった。


 まぁ男の自慢話は嘘が多いから、話半分に読んでおいてください。誰だってたまには過去を振り返りたくなる時もあるさ…


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