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2005/01/25(火)
未必の恋(えじえじ)
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タイトルに他意はありません。もちろん未必の故意のもじりですが、O−HARAで刑法を受けた時に脳内誤変換したとも言います。そもそもどういう意味やねん。
どうせネタもないしこれでいくか。未必の故意というのは一時期有名になりましたよね?確かぼったくりバーで料金払えなかった客をぼこって外に放置したら、朝になって凍死してたってやつです。…ごめん、偉そうに書いてますが確認してないから違うかも。ともかく、未必の故意とは、「犯罪の発生自体を意欲していないが、発生するかもしれないことを認識し、かつ発生してもかまわないと認容している」場合にいいます。このぼったくりバー事件の場合、店員は外に放置したら凍死するかもしれないとわかっていたが、別にかまわないと思ったらしいです。ちなみに、凍死するかもしれないだけなら過失となります。
未必の故意の説明が終わったので次は未必の恋の説明にいきます。というか造語です。えじえじはあほです。上の定義に強引にぶち込むと、未必の恋とは、「恋の発生自体は意欲していないが発生するかもしれないことを認識し、かつ発生してもかまわないと認容している」ことになるのか…テキトーだ。というか、はっきりいってえじえじのスタンスやんけ。やはりテキトーなのか。
話がこれ以上展開できないのでこれで終わります(オイ)まあ、えじえじのいうことは話半分に聞けっていうことです。うう、無理矢理別の話にするか。前にも書いたような気がするけど、例えば誰かを好きになったとする。それはいいのだけど、どうして私はその人が好きなのだろう、と自問する。そこで、その人を好きな理由を考える。優しいから、容姿がいいから、とか色々と考える。そして納得するわけ。この人を好きになる理由はこうだって。でも、考えるって書いた箇所は結局自分のいいように決めているだけで、あくまでも後付け。好きになった瞬間の気持ちじゃない。
だからどうした!って自分で突っ込んでおいてなんだけど、好きなタイプなんてものはえじえじ嫌いです。それが言いたいためにこんなだらだら書きやがって(怒)と思う方でいっぱいでしょう。すみません。まあ後付けっていうことは、人を好きになること=一目惚れ、っていう事になるわけですがはてさて。とはいえ、嫌いな理由をあら探しするのも興味があるってことかもしれないし、または好きなタイプじゃないのにと否定したいのかもしれない。ああ、もういいや。寝る!くだらない事を書いてしまった。ただ、人を好きになれるっていうのは羨ましい。はっきりいって無い物ねだりけど。えじえじは隣の花も赤く見えないしね。
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