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2004/03/09(火)
中途半端の美学。
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お休みなので、チューリップの絵描いてました。あと2、3日で仕上げなくてはならないのですが、とても筆の進みが悪いです。毎日水をあげるようにゆっくり育ててきたこの絵。何とかしてもっと形にしたいと思っています。したがってここでももうじきUPしますので楽しみにしていて下さい。ところで俺は自分が人からどう見られてるか、とても気にするタイプです。しかし単刀直入に聞くのは傷つくという厄介な性格の為、よくこんな風に聞きます。「俺って色に例えると何色かな?」と。今のところ、「透明」と「灰色」と「紫」。そう全部中間色なんです。その統計から解釈できることは俺ってキャラ薄いのかなあ、どっちつかずの中途半端に見えてるんかなあ、ってこと。で、前はもっとカラーのはっきりした人間になろうと思ってたんだけど最近はどうも違います。今日の話はここからとても飛躍します。(いつものことか。)絵のことなんか知らないという人もピカソとモンドリアンは知ってるでしょう。かたや変化し続けたスペインの天才、かたや音楽をテーマに抽象画をアメリカに広めた男。二人の共通点は、その完成形ばかりに注目が集まってしまったことです。ピカソで云えばキュビズムに入ってからの子供が描いたような絵、モンドリアンで云えば白と黒と三原色だけで描いたような抽象画。二人ともそこに辿り着くまでに長い過程があるのにそこには余り目が行かない。ピカソはまだマシだけど。モンドリアンは元々具象を描いていて、それを崩していって、やがて誰でもわかる共通言語のようなシンボリックな抽象の作風に辿り着いたわけです。俺はあの完成形よりもそのデフォルメしていく過程の絵の未完成さが好きだし、ピカソでも青の時代が一番好きだったりする。だってさ、完成しすぎたものってそれ以上は望めないし、見る側も入る余地がないじゃないですか。しかもあの完成形を見て、誰でも画家になれんじゃんて思わせちゃったらそれこそ罪。現代で抽象画を描いてる人でちゃんと具象も描けるって人が何人くらいいるんでしょう。だからね、結局云いたいのは、俺ってこんな人間ってあっさりわかっちゃったらそれこそつまんない人間だな、と。そう考えると中途半端も悪くないでしょ?俺は中途半端で居続けよう。悩みに答えを出さず抱えながら。地に足が着かないからこそ飛び続けられるんだ。なんちゃって。
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