徒然ダイアリー
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2005/01/18(火) 10年ですか。
今日(日付的には昨日になりますね。)は阪神淡路大震災から10年目の年。節目の年といわれながらも、私には節目というふうには思えなくて。
あの日。10年前のこの日のことを私も昨日のことのように覚えているのに、もう10年だなんて思えない。
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私は東北は仙台にずっと生まれてこの方住んでいますが、その日の地震を知ったのは学校に登校してからでした。
ちょうどこの地震の一週間前に曾祖母が亡くなっており、久々に登校した日が17日でした。
葬式を18日に控えていて、通夜だの、なんだの忙しくしていた為にニュースをみることもできなくて、中学生のくせに寝不足気味で登校し、ひさびさに職員室によってみたら、テレビであの地震の報道が。びっくりしました。関西のとある街をもうもうとたくさんの煙がおおっていて、瓦礫の山が積まれていて、有る人は今にも泣きそうな顔で、ある人は呆然と立ち尽くしていて。
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ショックでした。こんなことが日本におこるなんて考えたこともなかったから。遠く行ったことも無い街だけど、確かにそこで語られている言葉は日本語であるし、日本人だし、やっぱりことがおこったのは日本だし。
私が生まれてからたぶんこれが最初の天災だと思います。
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それから10年ですか。。。
この地震をしらないで生まれた子供たちも10歳ですよ。
私達大人にとっては最近の出来事なのに、これから生まれる子供たちには過去の知らない出来事だなんてなんだかヘンな感じがします。
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いまや復興も進み、綺麗な街がもどってきたようにみえます。
だけど、失った人はかえってきませんから。
その悲しみは癒えるものではないでしょう。
人間はだれかを失っても、それを乗り越えて強く生きていけるとはいうけれど、だけどふとした瞬間にそのときの恐ろしさ・悲しさ・絶望感はよみがえってくるものです。
だけど、それでも生きていこうとする姿を、一年に一度この日にいつもテレビを通じて見ているような気がします。
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この地震の経験者ではないけれど、でも。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。


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