徒然日記
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2005/01/18(火) 「私」の定義
ふむ。
いろいろ考えたのだけど。
一応面と向かっていえないので、見てることを望んでここで言います。

『私は「私」』というのを論証。数学風に。
本題。
仮に私は「私」じゃないと致しましょう。
私のほかに「私」がいたら、
私は私でなくなるのです。
私の中に「私」がいるからこそ、
私は私なのだから。
今更のことですが、同じ人が世の中に二人いたらどちらかが偽者であるように、
私と「私」がいることは、
私が二人いることだからどちらかが偽者なのです。
もしも違うというならば、
「私」はいないという答えしかないのでしょう。
ただ言わせてもらえれば、
私には「私」がいるからこそ私なのであって、
言い換えれば「私」には私がいるからこそ「私」なのです。
ということは、「私」が二人いるということは
私が二人いるということになり、
現実を考えれば「私」は作れても私は作れないのだから
「私」が私であることはおかしくなる。
よって、背理法により、
“「私」は私でない”ということに矛盾が起きるので
『私は「私」』という定義は成り立つのです。

以上。


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