MIRAIのエジプト日記
カイロに暮らすメンバーの日記です。

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2004/10/30(土) ラマダン中の衣装
旅行のパンフレットなどを見ると「ラマダン中はベリーダンスではなくフォークロアダンスになります」とか「中止になります」などという記述を見ることがあります。ラマダン中は宗教的な意識が強くなるので、やはりおなかを出して踊るベリーダンスはちょっと控えた方がいい、という事でこのような事が書かれています。
でも実際には踊られることもあります。ただしベリーダンスのショウが見られる場合でも衣装がおなかを出さないワンピース型のものになることが多いです。でもこれも個人差があってダンサーによってはいつもと変わらないキャバレースタイルの衣装の人もいます。
エジプトでは普段からキャバレースタイルの衣装の場合でも、おなかの部分にストッキングのような薄い布や網タイツみたいな黒いネットがかぶさっている場合がほとんどです。

2004/10/17(日) ビール
イスラームではアルコールの摂取は禁じられています。しかし結構個人差があって人によっては飲みます。後は国によってもかなり異なっていて外国人でも飲んではいけない国、持ち込みも不可な国など厳しい国もありますがエジプトはかなりゆるいです。外国人であれば勿論飲んでもかまいませんし現地の人でも飲む人がいます。その一方でお料理に使っているものでさえ避ける人もいます。火を通してアルコールを飛ばしているから大丈夫だよ、と言っても取らない敬虔な人もいます。
そんなアルコールの禁じられた国らしくノンアルコールビールなるものが存在します。味は普通のビールとそんなに変わらないです。ただ少し甘味が強くて苦味が少ないのでビール好きな人にはやはり美味しくなく感じるかもしれませんね。
ちなみにビールの発祥は古代エジプトだといわれています。
写真はビレルというノンアルコールビールです。途中できずいて写真を撮ったので飲みかけです。本当は泡もちゃんと立ちます。

2004/10/16(土) 痩せる?太る?
ラマダン月の間、つまり約1ヶ月間断食が続くのですが1ヶ月も何も食べなかったら死んでしまうではないか、と思いませんか?私が中学の世界史の授業で初めてイスラムのことを学んだときに、やはりそう思いました。今から思えば随分と偏った教えられ方をしていたんだなあと思います(苦笑)。
断食をしなくてはいけないのは日の出から日没の間だけです。その間は一切の飲食を断ち、厳しい人はつばさえ吐き出します。タバコもだめです。でも、日が沈むと食事を取ってもいいので、人々は日没の時間に合わせて急いで帰宅します。ですので夕方は町から人の姿が消えます。そして夜はお食事の時間です。
1ヶ月も断食していると痩せそうな気がしますが実はその逆で「断食太り」なることが起こります。昼間食べられないので、その反動で夜食べ過ぎてしまうのか、この月の食品の消費量はいつもの2〜3倍になります。また毎日甘いお菓子を食べたりするのも太る原因のようです。

2004/10/15(金) ラマダン
エジプトでは今年のラマダン(断食をする月)は15日から始まりました(正確には14日の日没から)。
イスラームの方達が使っているイスラム暦は太陰暦で、元年が西暦の622年にあたります。日常生活は西暦を使っていますが断食のような宗教的な行事に関してはイスラム暦を使っています。ラマダンとはイスラム暦の第9月のことです。このラマダン月の一ヶ月間、人々は断食をして過ごすことからラマダン=断食という感じでラマダンという言葉が使われていますが本来はひと月の名前です。
そしてイスラム暦は月を基にしているので、新月がその月の始まりの日になります。新月の日は現在では天文学的計算によって前もってわかるのですが今でも人間の目で新月を確認して、月の始まりを決めています。ですので前日など、直前になるまでいつからラマダン月になるのかわかりません。また、国によっても始まる日が前後することがあります。

2004/10/11(月)
目玉のお守りと言うと、古代エジプトの時代にも「ホルスの目」と言うのがありました。現在の邪視の考え方はアラブ世界から来たものの様なのですが古代エジプト人も同じような考え方をしていました。
古代の壁画などを見るとアイラインをはっきりと描く独特の化粧法を施していますがこれは女性だけではなく男性もおこなっていました。アイラインを引く理由は2つあって、1つにはこの邪視除け、もう一つは眼病の予防です。ハエが目にたかって眼病になりやすいのです。ナポレオンがエジプトに遠征に来たとき、彼の兵士たちも眼病で苦しんだのだそうです。
ホルスの目とは神話が基になっています。隼の頭を持ったホルス神が目をえぐられてその後、新しい目を再生して戻って来るというお話があります。この新しい目が大変に力強い目とされ魔除けの意味がありました。今でも田舎にいくと船に目の模様が描かれているのを目にすることができます。

2004/10/10(日) 迷信
迷信と言えばこちらの方たちは「邪視」と言うのをとても恐れています。何か悪いことが起こった時、それは邪視のせいだと考えることがあります。誰かの羨ましいという思いが目から伝わってきて何か悪いことが自分に降りかかったのだと考えるのです。
例えば新しい車を買ったり家を新築したりすると、当然周りの人に羨ましいと思われてしまいます。こういったときにたまたま事故にあったり怪我をしたりと悪いことが起こると邪視のせいにしたりします。
また、ほめられることも大変嫌がる事があって、これも「ほめる=羨んでる」という事になるからです。
邪視除けのお守りと言うのもあって、有名なのはトルコの青い目玉ですね。エジプトでも売っていますがあまり一般的ではありません。こちらではトルコブルー色の陶器っぽい目玉や手の平の形をした物が一般的です。珍しいものではヒトデを乾燥させたものを入り口に飾ったりします。これはヒトデが手の平型に見えるからと言う理由のようです。

2004/10/07(木) 昨日は祝日
10月6日は祝日でした。何のお休みかと言うと、1973年に行われた第4次中東戦争の開戦日が10月6日でした。この戦争でエジプトはイスラエルと戦い勝利をおさめたことから、この日が祝日となりました。カイロの街中には10月6日橋とか10月6日通りなどと言う名前の付いたところがあります。
この第4次中東戦争では第3次中東戦争のときに奪われていたシナイ半島を奪い返しています。また6年後の79年にはエジプトとイスラエルが平和条約に調印し、その後中東戦争は起きていません(つまり中東戦争と名の付くものは1〜4までしかないということです)。
10月6日を戦勝記念日としてお祝いのパレードが毎年開かれていましたが残念なことに81年のパレードのとき、当時の大統領、サダトが暗殺されたと言うことで悲しい記念日でもあります。現在は戦勝のパレードは6日を避け、5日に行われているようです。エジプトの方たちも結構、迷信と言うか縁起をかつぐようなところがあります。

2004/10/06(水) 古代とのつながり
「コプト」と言う言葉は実は古代エジプト語が起源になっています。
現在メンフィスと呼ばれるところにはかつて、プタハ神を祭る大きな神殿がありました。当時の言葉でこの神殿のことをヘト・カー・プタハ(プタハの家)と呼んでいました。この言葉が後にギリシア人が入ってきたときに「アイギュプトス」に変化してさらに「エジプト」と「コプト」と言う2つの言葉に変化していきました。本来はこのコプトと言う言葉はエジプトを表わす言葉だったのですが「エジプト人(コプト人)=キリスト教徒」と言う時代があり、そこからエジプトのキリスト教徒をコプトと呼ぶようになっていきました。
このコプトの人たちはコプト語と呼ばれる公用語のアラビア語とは異なる言語を持っていますが日常的にはアラビア語を話しています。儀式の時などにコプト語を使いますがこのコプト後は古代エジプト文字のヒエログリフが最終的に変化した言葉であると言われています。
現在のエジプトはイスラーム文化の国ですし、イスラームと言えば7世紀に入ってきた文化です。そのことから古代エジプトと現代エジプトはまったくつながりがないと思ってしまいがちですが実はいろんなところに古代からのつながりを見ることができます。

2004/10/05(火) コプト
現在も約10%の方がキリスト教徒なのですがエジプトのキリスト教徒はコプトと呼ばれる宗派の人がほとんどです。
西洋世界ではローマ帝国が分裂したりと中世はかなりごちゃごちゃと宗教戦争をやっていましたが451年にカルケドンの公会議が開かれると、キリスト単性説を信じる人たちは異端であると決められてしまいます。エジプトのクリスチャンは単性説を信じていたのですが異端とされてからはコプト教と言う独自の道を歩むようになります。このころから同じキリスト教同士でありながら両性説を信じる人が単性説を信じる人たちを迫害していく時代になっていくのです。迫害を恐れた人々は人が住みつけないような荒涼とした地に逃げ、そこで暮らすようになります。
トルコに行くとカッパドキアと言う奇岩があるところがありますがあそこもキリスト教徒が隠れてすんでいたところですね。私はトルコはまだ行ったことがありませんが信仰の力とはすごいものだなあと感心します。エジプトにも修道院がありますが砂漠の中にあったりと生活がとても大変そうなところに建っているものも多くあります。

2004/10/04(月) 歴史のお話
エジプトの宗教と言えば現在はイスラームです。そのことをご存知の方は多いと思いますがエジプトと言えばキリスト教、と言う時代があったことは意外と知られていないようです。
古代エジプト文明は約3000年間続きましたがその時は古代エジプトの神々を信じる宗教でした。その後、紀元前332年にギリシア系のアレキサンダー大王がエジプトにやってくるとギリシアの神様とエジプトの神様を合体させた新しい神様が生まれましたが基本的には古代エジプトの宗教のままでした。そして紀元前30年にエジプト最後の女王クレオパトラ7世が亡くなるとともにエジプトの王朝は滅びます。そしてローマの支配下に入り、ローマの神々が入ってきました。
そのあとキリスト教が生まれ、エジプトにも聖マルコが伝道にやってきて、キリスト教が広まっていきました。しかしローマでもキリスト教徒が迫害を受けていたようにエジプトでも彼らは迫害を受け沢山の殉教者を出しています。
313年にミラノ勅令が出されキリスト教が公認されると迫害はやみますが今度は641年にアラブ人がエジプトを征服しイスラームの時代がやってきます。そして現在もエジプトはイスラームの国です。

2004/10/01(金) 冬時間
エジプトはサマータイム制を導入しています。こちらは今日から冬時間になりました。日本との時差は−7時間です(GMT+2。日本は+9)。
本来は9月の最終金曜日から冬時間に変更になることになっているので、9月24日からだと思っていたのですが今年は30日までが夏時間、10月1日からが冬時間になったようです。日本ではまだなじみのないサマータイム制ですが決められた日に時計の針を動かすだけなので別にどうってことはないです。ただ、「この決められた日」がいつなのかがわかりづらいということはありますけど。夏時間と冬時間を切り替える日にちと言うのはその国によって異なっているのですが例えば毎年9月30日までが夏時間などと固定している国もあって、その方がわかりやすいと思います。
夏時間になるときは時計の針を1時間進めるので急に昼が長くなったような感じがして、得をした気持ちになるのですが冬時間に戻すときは逆に急に昼が短くなったようで、少し寂しい気持ちになります。


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