だぶるけいの活動日記
その日、ふと思ったことや気づいたことを何となく書いています・・・
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2004年1月
前の月 次の月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新の絵日記ダイジェスト
2004/11/06 あの日から一年が過ぎて・・・
2004/11/05 恐怖の5週間
2004/11/04 ぐい呑み
2004/11/03 航空祭
2004/11/02 幻の枕カバー

直接移動: 200411 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月 

2004/01/31(土) 自分へのプレゼント
今日、三十●歳の誕生日だった(ようだ・・・)

もはや誕生日を祝うような歳は『とうの昔に』過ぎているのだが(苦笑)今日は自分自身へのプレゼントが2つあった。


1つ目は今日、母が無事に退院したことだ。

母本人からは簡単な手術だと言われてはいたが、無事に退院するまで一抹の不安はあったので、
今日の日を無事、迎えられたことは私にとって嬉しいことであった。

ちなみに昨日の日記に書いた『不思議なこと』は残念ながら今日は起こらなかったようだ・・・(^^;


そして2つめは久しぶりに趣味のクルマ(=BMW)の仲間たちと逢えたことである。

昨年9月に父が入院してからは、そういうことを考える余裕がなかったし、
自分ばかり遊んでばかりいるからこんなことになってしまった、という罪悪感に苛まれていたこともあって、
そういう場所に参加する気にはならなかった。

ただ、母が午前中に無事、退院することができて肩の荷が少しだけ下りたということもあったので
午後から仲間に逢いに行くことにした。

クルマを飛ばすこと約一時間。

昨年、何度も訪れた仲間たちが集う場所、通称『秘密基地』へはすでに15台くらいのBMWが来ていた。
この数ヶ月、楽しむ心を封印していた自分だったが、今日は久しぶりにそれを解き放ってみた。


初めて会う人、久しぶりに会う人、いろんな人がいたが『BMW』という共通の趣味があるので
みんなとすぐに打ち解けることが出来た。

久しぶりに大好きなクルマ談義が出来た。

しばらくぶりに楽しいひと時を過ごすことが出来た。

そして忘れかけていた感覚を味わうことが出来た。


もちろん、まだ自分自身を許したわけではないし、父のことを片時も忘れたことはない。

周りのことを省みないで、自分『だけ』のために使ってきた時間。
それによって成り立ってきた、自分『だけ』が楽しんだり喜んだりする時間。

これからはそういう『過去の自分』を捨て去り、『新しい自分』に生まれ変わらなくてはならない。


そうすれば父も(わがままだった)私のことを許してくれるかも知れない。

そうすれば自分へと課した封印も自然に解けてくるかも知れない。

そうすれば『新しい自分』にきっと逢える・・・

2004/01/30(金) 特別な力
手術後、順調に回復した母は明日(31日)退院することになった。

そこで退院前の最後の夜となる今日、母が(父の入院中、大変お世話になった)
4北ナースの皆さんのところへご挨拶に行きたい、と言うので一緒に向かった。

4北に着くと、前回もいらっしゃった『I丸さん』の姿を見かけたので早速、声を掛けてみた。


(私)「I丸さん、こんばんは。またお会いしましたね!」

(I丸さん)「あらぁ、こんばんはっ!」

(私)「今日は準夜ですか?」

(I丸さん)「日勤なんだけどまだ仕事が終わらないの・・・(ちなみにもう20時近く)」

(私)「えーっ!早く帰ったほうがいいですよぉ。キリがないでしょ?」

(I丸さん)「(小声で)ホントは私も早く帰りたいんですけどねぇ・・・」


などと取り留めのない話をして、帰り際に(先日、I藤さんに会ったときには数枚しか手持ちがなかった)
私のHPアドレスが記してある名刺を「この間、渡せなかった皆さんにあげてくださいね。」とI丸さんに手渡した。


そのあとエレベーターに乗ろうとしたとき、母が、「T(←私のこと)、何か落としたわよ。」というので足元を見ると、
さっき渡したはずの名刺がなぜか1枚だけ落ちていたので、それを拾い上げ、3Fに戻った。

そして、何気なく3北ナースステーションを見ると、見覚えのある一人のドクターが私の目に映った。

紛れもない、昨年、父とともに戦ってくれたあのA山先生(副院長)その人だった!


(私)「A山先生!ご無沙汰しています。」

(先生)「おーっ、久しぶり。」

(私)「実は母が入院してまして・・・。ですが明日、退院なんですよ。」

(先生)「そうか、うん・・・。退院か!それは良かったね。」


そして、私は先生に何気なく尋ねた。

(私)「先生のご自宅はインターネットを見られますか?」

(先生)「ああ、見られるよ。」

(私)「実は先日、父の闘病のことを書いたHPを作ったんです。ここでの色々な出来事を載せたものなのですが
先生にもぜひ、目を通して頂きたいんです。この名刺にHPアドレスが載っています。」

と言って先生に名刺を手渡した。


そして360号室へと戻った。

「まさかこんなところでA山先生に会えるとは思わなかった。だって、いつもなら5分間で3回(医療用の)
PHSが鳴るくらい忙しいはずなのに、今日はめずらしくのんびりしてたもの。」

と母にそう言いかけたとき、「はっ」と気づいたことがあった。

「そういえば、どうして内科のA山先生が今日に限って(外科病棟の)3Fに居たのだろう?」

さらに、「あっ」と気がついたことがあった。

「もしかするとさっき4Fで落とした1枚の名刺は、A山先生に手渡すよう誰かが導いてくれた、ということなのか・・・」


・・・やはりここは何か『特別な力』が宿っているのだ。

そうだ、きっとここには不思議な出来事をもたらす『主(あるじ)』か何かがいるに違いない。

どう考えてもそうとしか思えない、今日の出来事だった。


訪れるたびに何か不思議なことが起こる、この病棟・・・


明日の母の退院のときには一体、何が起こるのだろうか?

そして私たちに一体、何をもたらしてくれるのだろうか?


その答えは明日、『主』が教えてくれるだろう・・・

2004/01/29(木) ロボットの心
昨日の話である。

手術が無事成功した昨日の夜、私は退社後、急いで母の病室へ向かった。

手術後の経過が心配だったのと、その日は母から連絡を取ることが出来なかったため、
面会時間を20分ほど過ぎていたことを承知で来たのだった。


ナースステーション入り口で面会者名簿に名前を記入していたとき、一人の看護婦さんが私を呼び止めた。

「失礼ですが面会ですか?」と訊いてきたので「はい。」と答えた。

ただ、そのときの彼女は『面会時間が過ぎてるからご遠慮くださいオーラ』出まくりだったので(苦笑)
その言葉が発せられる前に、

「面会時間が20時までだということは知っています。ですが今日の午前中、会社を休んで
手術の付き添いをしていたので、さすがに早退するわけにはいかず、この時間になってしまったのです。」
(ちなみに20時までが私の通常勤務時間)

と言い、母の病室へ行こうとしたら、
「明日になれば患者さん自身で移動できますから、その後、談話室などで面会してください。」
と言ってきた。

「手術直後で母からは連絡も取れない状態だったので、様子を見にきたのですが
それでもダメなんですか?家族でもダメなんですか?」と言うと、

「いちおう面会時間は20時まで、というのが決まりなので。」と彼女は言った。

で、私はすかさず「消灯時間は21時ですから静かにしていれば迷惑にはならないと思うんですが・・・」
とややムッとしながら訊いてみた。

すると「団体部屋で他の患者さんもいますので・・・」ときた。はぁ〜・・・。

「昨日も同じ時間に面会に来たし、昨年父が4Fに入院していたときを含めて『一度も』
そのようなことは言われませんでしたが。」と言うと、

「当時と今は状況が違いますから。」とのたまった。

あきれ返って「あなたがどうしてもダメというならもう、結構です(怒)!」というと、
「短時間なら」としぶしぶ答えたのであった。

----------------------------------------------------------------------------

私はこのやりとりの途中で(看護婦さんをしている)かおるさんのHPに載っている
『ドクターとロボットとマリア様』という話を思い出した。

それは「あなたはドクターとロボットとマリア様のどれになりたい?」という話から始まる。

『ドクター』は仕事をテキパキして、リーダーシップも取れるが、ベッドサイドまで
ほとんど行かないので患者さん一人一人の様子(=気持ち)までは分からない。

『ロボット』はドクターの言われたことをするだけなので、
患者さんの予想外の行動などに対処できない。

そして『マリア様』は優しいけど、禁食・禁水の指示が出ている患者さんに
「食べ物や飲み物が欲しい」と言われれば断りきれずに与えてしまう(=病気が治らない)。

それらのすべてを備えれば理想の看護婦さんになれるのだが、人の性分は簡単には変えられない。
だからお互いの欠点を補うように、『ドクター』と『ロボット』と『マリア様』を組み合わせた
『チーム』で良い病棟を造る、という話だったと思う。


昨日、応対した看護婦さんを見ていると杓子定規な答えで、
まるで上記の『ロボット』と話しているかのようだった。


私が初めて360号室を訪れたときに感じた『特別な気持ち』はどんなに話しても
あなたには分からないでしょう。

確かに手術は無事終了したけど、予定時間より1時間半もオーバーしていたので、
「大丈夫だ」と言われても一抹の不安があったことも・・・

そして何よりつい2ヶ月前まで、父がこの病棟で家族とともに戦い続けた日々や
そのときに経験した数々の出来事も・・・

何を言っても『ロボットの心』しか持たないあなたには分からないでしょう・・・


あなたは患者さんたちを『看て』『護る』のが仕事ではないのですか?
『人間への看護』ではなく『人体への処置』をしてはいませんか?

患者さんとその家族の『気持ち』をもう少し理解して下さい。
目に見える傷だけでなく、目に映らない『心』のケアにも気を配ってください。

心に負った傷は簡単に治すことはできないのだから・・・

2004/01/28(水) 久々の再会
昨日、予定通り母が手術の為、S病院へ入院した。

会社が終わってから母のところへ行ったのだが、病室内に入った瞬間、何だか不思議な気持ちになった。
というより『運命』のようなものを感じずにはいられなかった。

母が入院した病室は(外科病棟の)360号室なのだがこの部屋は昨年、
この病院で亡くなった父が最初に入っていた(内科病棟の)460号室のちょうど真下の部屋で、
しかもベッドの場所まで寸分違わぬ配置だったからである。

3Fと4Fの違いはあったが2つのフロアはナースステーションやトイレの位置までが全く同じで、
父と共に過ごした『あの瞬間』にタイムスリップしたような気分になった。

懐かしさと哀しい気分が入り混じった、何とも言えない気持ちになった。

父とともに夢中で過ごしたあの日、あの時の情景が次々と頭に浮かんできた。


・・・そして気がつくと自然に4北ナースステーションへと足を運んでいた。

と、見覚えのある看護婦さんの姿が目に入った。I藤さんだ!

(私)「ご無沙汰しています。」

(I藤さん)「あっ、お久しぶりです!」

たくさんの思い出が詰まったこの場所にいた看護婦さんたちもまた、変わらぬ笑顔で出迎えてくれた。

(I藤さん)「ここは全然変わってないでしょ?まだ時間もそんなに経ってませんしね。」

(私)「そうですね。I藤さんも全然変わってませんね!何だかとっても懐かしくてホッとしました。」

そのあと、4北の看護婦さんたちにはまだ、このHPのことを話していなかったので、
HP立ち上げまでの経緯をざっと説明した。


昨年この病院で経験してきた、たくさんの出来事・・・

嬉しかったことや哀しかったこと・・・それらを書き綴ったものであること。
そして4北ナースのみなさんには是非、見ていただきたいと思っていることなど。

そして最後に「母が退院するまでに感想を訊きにきますね!」と言ってこの場を離れた。


・・・家に帰ってからふと、考えた。


この日の出来事は『偶然』だったのだろうか?

いや、どう考えても『必然』としか思えなかった。

まるで誰かが私たちをここまで導いてくれたとしか思えなかった。

やはり、父が導いてくれたのだろうか・・・


『あの日の情景』と『現実』が入り混じった中でそう、考え続けた一日だった。

2004/01/27(火) 人間の皮を被った悪魔たち
大阪の中学生虐待事件・・・


世の中にこんなことを平然とする『人間の皮を被った悪魔たち』が存在し、
のうのうと今日まで過ごしていた、という現実にヘドがでそうな気持ちになった。

すべての子供たちは、その両親がいなかったらこの世に生まれ来ることはなかった。
だから私は自分の命を授けてくれた両親に感謝している。


だが、この中学生の場合はどうだったのだろう。

内縁の妻のみならず、実の父親にまで筆舌に尽くしがたい虐待を受け続け、
それでも必死に耐え続けてきた。


だが・・・

『抵抗する気力を無くした』彼は、その生理的限界を超え、

『目と口を開いたまま動かなくなった』(新聞記事より一部抜粋)


何と言ったら良いのだろう・・・

ありえないことが現実に起きていた、とでも言えば良いのだろうか?

そこに至るまでに受けてきた仕打ちと、彼の気持ちを考えると、たまらない気持ちになった。

彼はこの世に生まれてきたことに対し、何を想っていたのだろうか?

彼が見てきたものはこの世の絶望だけだったのだろうか?

(昏睡状態となった)今の彼に訊いても答えは返ってこない・・・


『生きることって何?』

『親子の絆って何?』

『命の価値って何?』


眠れぬ夜、私は彼の代わりに悪魔たちに向かってそう問い続けた・・・

2004/01/26(月) 某ディーラーでの出来事
昨日の某ディーラーでの出来事です。


朝、近所に住んでいる妹から電話がかかってきた。

(妹)「ちょっとお兄ちゃん、聞いてよぉ(怒×3)!!」

(私)「まあまあ、落ち着きなさいって・・・」


訊くとディーラーに出していた車の修理代が高すぎる、という話らしい。

それだけでは事情がよくわからなかったのでもっと詳しく訊いてみると、水曜日(21日)に
入庫した時点では2〜3万円くらい(の修理代)と言われていたのが、その日の夕方になってから、

「他にも壊れているパーツがあるので10万円くらい掛かってしまいます。
ですがなるべく勉強させていただきます。」という連絡があったそうだ。

だが、その後連絡が全くないまま日曜日(25日)になってしまったので、修理が終わっているかの
確認の電話を『こちらから』したところ(ちなみにこのディーラーは月曜定休)、

「修理代金は15万円くらいになってしまいます。値引きしても13万は超えてしまいます。」
と一方的に言われ、妹の頭に血が上っていた、という訳であった。

要は最初は2〜3万円くらいで直る、と言われていたのが、その日のうちに10万円に跳ね上がり
「そんなにかかるんだ・・・」と思っていたところにさらに追い討ちをかけるように(しかも連絡無しに)
さらに上乗せされていた、という事らしい。


「よし、事情はよく分かった。あとは俺に任せて。」

その後すぐに(妹と一緒に)ディーラーへ行って、担当の人間を呼んでもらった。
妹曰く「デブでふてぶてしいヤツ(怒)」らしい・・・。

多分に妹の主観が入りこんだ表現ではあったが(苦笑)、出てきた相手を見ると
実際それに近いイメージだったこともまた、否定できなかった(ちょっと言い過ぎかな・・・)。

とにかくその人にまず、それまでの経緯をざっと説明してもらった。


要約すると「ある所のトラブルだと思いクルマをバラしたところ、
それ以外にも壊れていた所があったので一緒に直した」ということだった。

まあ、だいたい私の予想通りだった。


一通り話を聞いた後で私はまず、こう尋ねた。

「こちらとしてはまず、最初の入庫前の話では2〜3万円くらいと言っていたから修理に入れたんです。
ところがいざ、バラしてみたらそれ以外のところも壊れていたのでその部分の修理代を合わせると
10万円くらい掛かってしまうことになった、と。」

「まあ、そこまでは理解できる。だが、問題はその後の話なんですよ。」

「貴方たちメカニックは壊れた所を直すのが仕事だからそれを遂行し、その結果として最初数万円で済む、
という予想だったのが10万円になり、そして15万円になってしまったということなんでしょう。」

「ですが、こちらとしては水曜日に10万円くらい掛かってしまうと聞いた時点で高いな、
と思っていたんです。それなのに今度は連絡なしでいきなり15万円になった、というのは納得できません。」

「だいたい予想より修理金額が超えそうな時は、事前にその旨連絡するのが世間では『普通』なんです。
『常識』なんです。そして『当たり前のこと』なんですよ!電器屋さんにでも行って訊いてごらんなさい。」

「それなのに貴方は修理が終わったという連絡もなし、さらに修理代金が上がったという連絡もなし。
これでどうやって納得しろ、というのですか(だんだんムカっ腹が立ってきた=自分)!」


「・・・。」相手は黙り込んでしまった。


私はさらに話を続けた。

「貴方は10万円くらいかかるといった時点である程度の値引きをする、と言っていましたね。
そして実際、この修理内訳をみると確かに2万円くらい値引いてあるようです。」

「ですが私から言わせてもらえばこの内訳は約束違反をした紙切れに過ぎない。
どこをどれだけ直したかが問題ではなく、その説明が『事前に』ユーザーになかった、ということが問題なんです。」

そして最後にこう言った。

(私)「だから私は最初に約束した10万円以外『ビタ一文』払うつもりはない!!」

(相手)「・・・分かりました。それで結構です。」

---------------------------------------------------------------------------

家に帰ってから妹に改めて話を訊いたのだが、
「あいつ、私のときの応対とは全然違ってたよ。もっと『高飛車』だったもん。」

「そうか?俺が見たところ赤子のような感じだったけどなあ。というより俺の場合、
そういう生意気なヤツに対してはさらに100万倍くらい高飛車な態度になっちゃうからな〜(笑)」


私は人を見て態度を変えるようなヤツは大っ嫌いなので、こういう応対になってしまったのだが、
それを見ていた妹は大変スッキリしたそうである・・・。


こういうときの私は「普段のイメージからは考えられない」と言われることがあります。
私自身は別にそういう使い分けをしているわけではないし、
どれも私自身の自然の姿だと思っているんですけど・・・。

ん?もしかして私って『多重人格者』だったのか??
・・・うーむ、自分で自分がよく分からなくなってきた(苦笑)

2004/01/25(日) 日露戦争の話(番外編)
昨日の続きというわけではありませんが(笑)今日の話は『日露戦争番外編?』です。

日本とロシアが正式に宣戦布告した日は明治37年(1904年)2月10日だそうです。

要は日本とロシアの戦争が正式に始まった日ということなんですが、実はそのときもう一国、
日本に宣戦布告した国があったという話がある雑誌に載っていました。

さて、そこで問題です。それは何という国でしょうか?


・・・あまり焦らしても仕方ないのでさっさと解答しましょう(笑)


正解は・・・

当時、ロシアと同盟関係だった『モンテネグロ王国』という国です。

現在は隣国のセルビア共和国と『セルビア・モンテネグロ』という連合国家を形成しているのですが、
その祖先みたいな国ですね。

それよりも旧ユーゴスラビア連邦の一部、と言ったほうが分かりやすいかな?

以上、日露戦争番外編でした(笑)


・・・と、ここで「どうして歴史のとき、習わなかったのだろう?」と思ったあなた、鋭いです(笑)

戦後、講和会議が日露両国で行われたのですが、何とそのとき『モンテネグロ』の代表が招集されずに
(どうやら忘れられていたようです・・・ってひどい話ですよね)その後に調印された『ポーツマス条約』にも
日本とモンテネグロの講和条約については含まれていなかったらしいです。

当時のモンテネグロは(当時の同盟国だった)ロシアに義理立てをした形だったので
実際に日本と直接戦ったわけではないそうです。
また、人口50万人くらいの小国だったこともあって義勇軍が満州に到着したのはごく少数の人だけだったそうです。

そういう意味では忘れられていたのは仕方のない話なのかも知れませんね・・・。

もっとも現在のような交通手段のない時代に、ユーラシア大陸を縦断して
東端の満州に行くだけでも大変だったと思いますけど。


そこで、どんなに大変だったかを調べる為に、1904年(=100年前!)についていろいろ検索したところ、
この年は当時の日本だと新橋・浅草間の『馬車鉄道(!)』が廃止された年で、
また純国産の『山羽式蒸気自動車(!?)』という自動車が製作された年でもあるそうです。

え?『馬車鉄道』って??『蒸気自動車』って何よ、何なのよ〜???っていう感じですねぇ(笑)

それ以外だと10円カレーで有名な日比谷公園内の(←ここも100周年だ)『レストラン松本楼』が開店し、
また日本初のデパート『三越』(当時は株式会社三越呉服店)が設立されたのもこの年だそうです。

あと、個人的に嬉しいのは森永製菓で『キャラメル』の製造が開始されたことかなぁ(笑)

ほかには夏目漱石が執筆した『我輩は猫である』が発表されたのもこの年らしい。
あ、国際サッカー連盟の『FIFA』が設立されたのもこの年だ!

何か色々出てきたなあ(笑)

ちなみにロシアで『シベリア鉄道』が完成したのもこの年だそうです。


・・・まあ、どれも別に知らなくたって困らない話なんですけど(笑)

2004/01/24(土) 日露戦争の話
今年は『日露戦争』が始まってからちょうど100年目に当たる年だそうだ。


『日露戦争』と聞くと思い出す話がある。

何年前かは忘れてしまったが、母方の実家(長野県の南佐久)のお墓参りに行ったある時、
たくさんのお墓や墓標の奥にひときわ大きな石碑があるのが目に入った。

刻んである文字を何気なく読んでみると、そこには『日露戦争従軍記念碑』と書いてあった。
居合わせた方に話を訊いてみると、当時戦争に出征した
ご先祖様のことが書いてある、と言っていた。

残念ながら、話の内容はほとんど忘れてしまったが、そのご先祖様が『凄い人』だった、
ということだけは心の片隅に今も残っている。

---------------------------------------------------------------------------

そして昨年・・・

「私の両親のどちらか一人でもいなかったとしたら、私が生まれてくることはなかったんだ。
もちろんその親(祖父母)が存在しなかったとしてもね。
だからご先祖様にはもっと感謝しなくちゃいけないんだよ。」

ある人に言われた言葉である。

その人は話の流れのなかでさりげなく言ったのかも知れないが、
その言葉を耳にした瞬間、私は何かに目覚めたような気がした。
今まで当たり前のように生きてきたこと、それ自体が奇跡のようなことだったんだ、と・・・

その日から私は仏壇の前では父だけではなく、
ご先祖様にも感謝しながら手を合わせるようになった。


「自分がこの世に存在していることや、生きていること自体に
もっと感謝しなくてはいけないんだよね。」

心の中でそう思いながら手を合わせるようになった。

今日も、明日も、そしてこれからも・・・

ずっとずっと・・・

2004/01/23(金) 衝動買いして良かったもの?
お正月早々(3日)に衝動買いしてしまった時計があるのですが、
これがなかなか優れものだということが『今ごろ』分かってきました(笑)。

その時計はデザインに一目ぼれして買ってしまった、S○IKOの『キネティックオートリレー』
というものなんですが、この『キネティック』というのがなかなかの優れものだったんです。

『キネティック』というシステムは時計を振ることによって内蔵された発電機が回され、
それにより生み出された電気によって時計を動かす、というものです。

ただ、それだけでは自動巻きの時計と比べ、それほど優れているとは言えません。
この時計が凄いっ!と思ったのは、蓄えた電気エネルギーを有効に使うため
「自動的または強制的に(!)」時計の針の動きを止める「パワーセーブ機能」がある点です。

しばらく使用しないと(72時間)見かけ上は針が止まっているのですが、回路内部ではちゃんと
時刻を刻み続けているのです(その期間はフルに充電された状態でなんと最大4年間!だそうです)。

そして針の動きを復帰させるには、時計本体を数回、横に振るだけなんです。
振った瞬間、止まっていた時分の針が「すーっと」早送りされて現在時刻に合ったあと、
秒針も同じように動いて、見事に時間が合います。

初めてその瞬間を見たときは「おおぉーーっ!!」と声をあげて感動してしまいました。
「ちゃんと生きてたんだねっ、とけい君っ♪」という感じでしたね(笑)。

唯一気になった点は、日付けまでは合わせてくれないので、そこだけは手動ですることくらいですが、
それくらい自分でやるからだいじょぶ、ってな感じです(笑)。

私は基本的に休日以外は腕時計をしない人なので、この機構は大いに助かります。


いつもは「これは私のために待っててくれたものなんだぁ!」と衝動買いしては、その後
激しく後悔してばかりなんですが(苦笑)今回は久しぶりに買ってよかったな、と思う商品でした。

・・・今日はなんかちょっと時計の宣伝みたいになってしまった(でもホントにお勧め♪)


P.S.Newパソコン、本日復活しました!
これでようやく普通にキーボードを打てるようになりました(って当たり前のことなんだけど・・・笑)。

2004/01/22(木) 物を大切にする心
今日、新聞折込のチラシを見てたら長靴が何と398円で売っていた。
これは安い!と思わず衝動買いをしそうになったが、よく考えると
今すぐに必要なものではなかったことに気付いたので買わずに済んだのだった(笑)。

最近は以前に比べると価格破壊が進んでいるなあ、と思う。
これでどうやって利益を出しているのだろう、といらぬ心配をするくらい安くなったものもある。

ただ、その分商品寿命が短くなってしまったものが多くなったような気がする・・・

我が家には(父が20年くらい前に釣り用で購入した)古〜い長靴があるのだが、
よく見たら接着剤で何ヶ所かの穴を補修した跡があった。
(そこまでするのはうちの父くらいかも知れないが・・・苦笑)

今の時代なら壊れたら即買い換えなのだろうが、当時の商品は補修さえすれば
長い間使えるものが多かったと思う。

その他にも'80年代に買った(と思われる)ビデオデッキやファンヒーターがある。
機能的には現在のものと比較すると何一つ勝てるものはないが、通常の使用には
何ら支障はない。それにこの時代のものは簡単には壊れない。

購入時は確か『真っ白』だった(はずの)ファンヒーターは気が付けば『妖しげなクリーム色(笑)』
に変色したりしているが今でもちゃんと温風が出るし、BSチューナーもS-VHSも付いていない
時代遅れのビデオデッキでも、何の問題もなく映像を映し出すことができる。

それに比べて最近の家電製品の故障の多いこと多いこと・・・
私の部屋にある新しいビデオデッキは毎年のように修理に出しているし、
先月買ったばかりのパソコンは初期不良(?)でメーカー修理行き
(=これ、一昨日の話なんですが)といった具合である。

また以前、ある電化製品を修理に出しに行ったとき応対した店員から、
「直すことはできるんですが新品を買ったほうが安いんですよね〜」と言う答えが返ってきたことがあった。
その製品は一部を直せばまだまだ使えそうなものだったのだが、仕方なく新品を購入した記憶がある。


ちょっと壊れたからといって新しいものを買い、古いものをすぐ捨てる。
だけどこれでは物を大事にする、という心が育たないんじゃないのかな?と思う。

今はそういう時代なんだ、と言ってしまえばそれまでなのだろうが・・・


2年ほど前に中古で購入した私の車は、新車からすでに5年以上経っているので壊れそうな所は
早めに交換するように心がけている。だから大きなトラブルは今のところ起きていない。

では大きなトラブルが起きてしまったら?
もちろんきちんと直すつもりだ。たとえそれが大きな出費になったとしても。


なぜって?

それはその車に愛着があるから。

車とともに刻んだ思い出がたくさんあるから。

そして思い出はお金では買えない大切なものだから・・・

1月絵日記の続き


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.