だぶるけいの活動日記
その日、ふと思ったことや気づいたことを何となく書いています・・・
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2004年1月
前の月 次の月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新の絵日記ダイジェスト
2004/11/06 あの日から一年が過ぎて・・・
2004/11/05 恐怖の5週間
2004/11/04 ぐい呑み
2004/11/03 航空祭
2004/11/02 幻の枕カバー

直接移動: 200411 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月 

2004/01/25(日) 日露戦争の話(番外編)
昨日の続きというわけではありませんが(笑)今日の話は『日露戦争番外編?』です。

日本とロシアが正式に宣戦布告した日は明治37年(1904年)2月10日だそうです。

要は日本とロシアの戦争が正式に始まった日ということなんですが、実はそのときもう一国、
日本に宣戦布告した国があったという話がある雑誌に載っていました。

さて、そこで問題です。それは何という国でしょうか?


・・・あまり焦らしても仕方ないのでさっさと解答しましょう(笑)


正解は・・・

当時、ロシアと同盟関係だった『モンテネグロ王国』という国です。

現在は隣国のセルビア共和国と『セルビア・モンテネグロ』という連合国家を形成しているのですが、
その祖先みたいな国ですね。

それよりも旧ユーゴスラビア連邦の一部、と言ったほうが分かりやすいかな?

以上、日露戦争番外編でした(笑)


・・・と、ここで「どうして歴史のとき、習わなかったのだろう?」と思ったあなた、鋭いです(笑)

戦後、講和会議が日露両国で行われたのですが、何とそのとき『モンテネグロ』の代表が招集されずに
(どうやら忘れられていたようです・・・ってひどい話ですよね)その後に調印された『ポーツマス条約』にも
日本とモンテネグロの講和条約については含まれていなかったらしいです。

当時のモンテネグロは(当時の同盟国だった)ロシアに義理立てをした形だったので
実際に日本と直接戦ったわけではないそうです。
また、人口50万人くらいの小国だったこともあって義勇軍が満州に到着したのはごく少数の人だけだったそうです。

そういう意味では忘れられていたのは仕方のない話なのかも知れませんね・・・。

もっとも現在のような交通手段のない時代に、ユーラシア大陸を縦断して
東端の満州に行くだけでも大変だったと思いますけど。


そこで、どんなに大変だったかを調べる為に、1904年(=100年前!)についていろいろ検索したところ、
この年は当時の日本だと新橋・浅草間の『馬車鉄道(!)』が廃止された年で、
また純国産の『山羽式蒸気自動車(!?)』という自動車が製作された年でもあるそうです。

え?『馬車鉄道』って??『蒸気自動車』って何よ、何なのよ〜???っていう感じですねぇ(笑)

それ以外だと10円カレーで有名な日比谷公園内の(←ここも100周年だ)『レストラン松本楼』が開店し、
また日本初のデパート『三越』(当時は株式会社三越呉服店)が設立されたのもこの年だそうです。

あと、個人的に嬉しいのは森永製菓で『キャラメル』の製造が開始されたことかなぁ(笑)

ほかには夏目漱石が執筆した『我輩は猫である』が発表されたのもこの年らしい。
あ、国際サッカー連盟の『FIFA』が設立されたのもこの年だ!

何か色々出てきたなあ(笑)

ちなみにロシアで『シベリア鉄道』が完成したのもこの年だそうです。


・・・まあ、どれも別に知らなくたって困らない話なんですけど(笑)


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.