だぶるけいの活動日記
その日、ふと思ったことや気づいたことを何となく書いています・・・
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2004年1月
前の月 次の月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新の絵日記ダイジェスト
2004/11/06 あの日から一年が過ぎて・・・
2004/11/05 恐怖の5週間
2004/11/04 ぐい呑み
2004/11/03 航空祭
2004/11/02 幻の枕カバー

直接移動: 200411 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月 

2004/01/21(水) 青い車
きのう、久しぶりに洗車をした(正月休みのとき以来・・・)。
ピカピカになった車を見るとやっぱり気持ちがいいものだ、と思った。

私の車は空色に近い青色(エストリルブルー)なのだが、洗車後
車を見ると晴れ渡った空に負けないくらいの輝きを放っていた。

昨年はこの車のお陰で色々な人と出会うことが出来た。
これは自分の力ではなく「車」という共通の趣味があってこそだった。
だからこの車にはもっと感謝しなくちゃいけないな・・・

これからはもっとまめに洗車をしてあげよう。
もっともっと色々な場所に連れて行ってもらおう。
そして自分の知らない新しい世界に連れて行ってもらおう。

この青い車と一緒に・・・

----------------------------------------------------------------------------

20日の医療アンケートについてなんですが、内容に一部誤りがありました(すみません・・・)。

「もし、家族が癌になったとしたら、あなたは告知しますか?」ではなく、
「もし、あなたが癌になったとしたら、告知して欲しいですか?」と言う内容だったと思います。


もし、自分が癌に侵されていたとしたら・・・

私は強靭な精神力を持っている訳ではないので、やはり告知はしないで欲しいと思う。
希望を持ったまま最期まで過ごしていきたいと思う。
たとえ、途中で自分の病気に気付いてしまったとしても。

昨年、私たち家族がしてきた経験から、そう思う・・・

2004/01/20(火) 告知
先日、某全国紙に医療アンケートの記事が掲載されていた。

インフォームド・コンセントに対する考え方や、医療費問題などについての回答が載っていて、
そのほとんどがうなづけるものだったのだが、ただ一つ気になったのが「告知」についての回答であった。

アンケートでは「もし、家族が癌になったとしたらあなたは告知しますか?」
といったような内容で、そのうち8割あまりの人が「告知する」と回答していた。

しかし・・・

告知・・・これはやはり難しい問題だ、と私は思う。
昨年そういう経験をしてきたばかりなのでなおさらだ。
やはりこれだけは実際に当事者の立場になってみないと分からないと思う。


私の母と妹は元看護婦なので普通の家庭よりは医療が身近な存在だった。
そんな母たちでさえ「パパにはとても告知なんてできなかった」と言っていたし、
もちろん私も同意見だった。

それには私の父の場合(癌が見つかったときは)もう手遅れだった、という前提が加わるのだが・・・


また、あるとき妹にこう聞いたことがあった。

(私)「Y(妹)が看護婦だったとき患者さんが『ステルベン(=亡くなること)』のときはどういう気持ちだった?」

(妹)「仕事と割り切っていたから、なるべく感情を入れないようにしてた。」

(私)「じゃあ、その患者さんが自分の家族だったとしたら?」

(妹)「・・・そんなの平気でいられるわけないじゃない!だって家族なんだよ!」


やっぱり私には「あなたは癌です」と告知するなんてとてもできない。
たとえ、周りのすべての人に反対されたとしても・・・

あなたならどうしますか?

2004/01/19(月) 謎のキーボード
実は私、昨年暮れに待望のNewノートパソコン(だい●ぶっく)をGETしたのですが
キーボードの打ち方が独特、というかちょっと変わっていたんです。例えば・・・

「@」が「Shift」+「2番Key」の同時押しとか(?)
「&」が「Shift」+「7番Key」の同時押しとか(??)
「半角/全角」の切り替えが左上の該当Keyを押してもなぜか認識してくれない(???)などなど・・・

最初はこんなもんなのかな〜?と思いながら使っていたのですが
先日、業者さんがインターネットの設定に来たときに操作しながら「あれれっ、おっかしいなぁ〜」
などと言いながらキーボードと格闘してるので、「どうしたんですか?」と訊くと
「これ、キーボードがなんか変ですよ〜!」と言うではありませんかっ(@_@)

「えっ?この機種独自の操作系かと思っていたんだけど・・・。やっぱこれ、おかしかったんだ。」

・・・ということで今日、早速購入店に問い合わせてみたところ、
やはりパソコン本体の異常らしい、ということが判明しました(早く気付けよ自分っ!)。

応対してくれた店員さんも首をかしげながら「こんなトラブルは初めてで・・・(汗)」
としどろもどろな様子でした。

さすがに最新スペックのノートパソコン(P4-2.0G/メモリー512K/HDD80)だけあって
動作は安定してるし、とにかく速い!快適!!すばらしいっ!!!
と満足していたのですが、結局クレーム修理のために購入店に預けることになりました・・・。

そういうわけで、修理が終わるまでのしばらくの間は、もう1台の仕事兼用の('99年購入の)
旧型ノートパソコンで凌ぐことになりそうです。

もっとも昨年までは、HP作成から仕事までをすべてこれ1台でやり繰りしていたので
元に戻ったと思えば別に気にはなりませんけど(笑)

ただ、旧パソはCPUがP3-600&メモリーが64Kしかないんで、数時間の連続使用で
不安定になっちゃうのがタマにキズなんですよね〜。

上記の理由により、修理完了まではHPの更新は滞ると思いますが
そういう事情なのでみなさん、ご心配なく(笑)

・・・あ、心配といえば確か今月がそのNewパソコンの支払い月だったということを
「たった今」思い出しました・・・(カード一括払い=来月は極貧生活・・・涙)。


P.S.今朝はみぞれから雪に変わる中、通勤に50分かかりました(あー疲れた・・・)。

2004/01/18(日) 揺れる心
昨日、隣町のある家(店舗兼住宅)が火災で全焼した、という話を聞いた。
そこは私が以前、勤めていた会社の得意先でしょっちゅう訪れていた所だった。

その当時のことは今でもよく覚えている。
店の中の様子、そこに出入りしていた人たち・・・
今でも懐かしく思い出される。

だが、今そこにはその建物はもうない。
すべてが炎によって焼き尽くされてしまった。
目に見えるものすべてが一瞬で無くなってしまった。
そう、ほんの一瞬で・・・

だが、心の中の思い出までが無くなってしまったわけではない。
それらはこれからも人々の心の中でずっと生き続けていく。


私の家の中には、父が生きていた時のままになっているものがたくさんある。
ハンガーに掛かった上着やベルト、アクセサリー類。

そして最後に一時帰宅したときに貼りつけた、点滴の順番が書いてある便箋までもが
今もそのままの状態になっている。

そう、すべてあのときのまま・・・
そこだけは時間が止まったままの状態になっている。
父がいつ戻ってきてもいいかのように・・・

やはり思い出はひとつでも多くあったほうが良い。
たとえ、心の中に思い出がたくさんあったとしても・・・


あの日のことを「過去の話」として語れるようになるのは一体いつの日になるのだろうか。
今の私にその答えはまだ、出ていない。

まだ、分からない・・・

心が揺れる・・・

2004/01/17(土) 麦わら帽子と梅の花
今日、新聞を読んでいたら、麦わら帽子の記事が載っていた。

麦わら帽子というのは麦わらを平たく編んだ「真田」を水で湿らせて柔らかくして作るそうなのだが、
乾燥したこの時期に「寒干し」という干すことによってその水分を飛ばすと、
網目が締まって形が整うのだそうである。

夏の日差しをさえぎる麦わら帽子はもっと簡単に出来るものだと思っていたが、
真冬を迎える前のこの時期から作り始める、ということを今日の記事で初めて知った。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

家に帰ってからふと庭を見たら、小さな梅の花が咲いていた。
先週見たときのつぼみは、まだ硬いままで咲く気配はなかった。

目に見えないところで開花の準備を着々としていたのだろう。

どんな物や事でもそれは同じことだと思う。
結局、普段の積み重ねがあってはじめて実を結ぶものなんだ、と思う。

だから普段の何気ないことにも意味があるんだ。
自分のもとに起こっていることに無駄なことなんて一つもないんだ、と思う。


麦わら帽子と梅の花が今日の私にそう、教えてくれた・・・

2004/01/16(金) 支える人、支えられる人
「人」という字の語源は体を横から見た形の象形文字から来ているそうだ。
だが子供の頃の私は、2人の「人」がいて、右の人が左の人を支えている形だと思っていた。


今までの私は支えてもらっている方の左の人そのものだった。

これまでの人生を振り返ると、両親や周りの友人たち、そのほかのたくさんの人たちが私を支えてくれていた。
だから今までは自分の好きなときに好きなことをたくさんすることができた。

今頃になってようやくそのことに気付いた、いや(父に)気付かされた。
だが、もう遅いんだ、遅すぎるんだ・・・

そう思っていたある日・・・あるサイトでこんな言葉を見つけた。

「我が身から出るものは、いずれ我が身に戻り来る」

この言葉を自分なりに消化して出た結論・・・
そう、今からでも遅くないんだ、今からでも・・・

これからは右側に立って、母をしっかりと支えていこう。
今まで私を支えてくれた人たちに感謝して、みんなを支えていこう。
今までのことを考えたら、そのくらいのことをしなくっちゃバチが当たるよ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・・・と、そのとき、聞き覚えのある声が遠くから聞こえてきた。母の声だ。

「またこんな所でうたた寝して。ちゃんと布団で寝なさい!こんな所で寝てたら風邪引いちゃうでしょ(怒)」

・・・どうやら私はまだ、支えられている側の人みたいです(でも、うたた寝って気持ちいいんですよね)。

ということで明日から気を引き締めて頑張ることにします(苦笑)

2004/01/15(木) 高鉄棒
小学生の頃、よく高鉄棒で遊んだ。
当時から背の低かった私は、高いところで遊ぶのが大好きだった。

「ぶんっ」と足でこいでクルクル回る…ただそれだけのことだったが、すんごく楽しかった。

ある日、調子に乗って漕いでたら鉄棒から手が滑ってダイビングしてしまった。
一瞬、宙を舞ったあと、「どすん!」という鈍い音と同時に右手から着地した。

あー怖かった、痛かった・・・でも楽しかった!

そのとき、何気に自分の右手を見たら、なんかあらぬ方向を向いていた。
ちょっとでも動かそうとすると「ズキン」という激痛がした。

もちろん右手の骨が折れていたのだが、当時の私は今までそういう経験をしたことがなかったので
「でも動かさなければ痛くないや!」なんてのんきに構えていた。
(実際は3歳のときに左手を骨折したことがあったのだが、その時の記憶は残っていなかった。)

そのあと教室に戻ると、先生が私の手を見てビックリ!
「K林君、その手、どうしたの!!」

先ほどの出来事を話すと、これはすぐに病院に行かないと、とのことで
当時、母が看護婦をしていた病院に連絡してもらった。

病院に着いて母を呼んでもらった。

母は私の手を見るなり、「ちょっとT君、さっきの電話で痛くないって言ってたけど、折れてるじゃない!」
と言ったが、私はすかさず、「だって動かさなければ痛くないもん!」

そう言ったあとで自分の右手を見たら、紫色に変色してぱんぱんに膨れ上がっていた。
もちろん、ちょっとでも動かそうものならものすごい激痛が走った。

…それから数時間後、右腕にギプスが巻かれていたのは言うまでもない。

ただ、当時は子供心に大変だ、と思ったのが骨折した右手のことよりもギプスが外れる予定の
1ヶ月もの間、高鉄棒で遊べなくなる、ということだった…。

いやはやさすがに子供の発想である(って私のことなんですが…)。


子供のころって、何気ないことに感動して、いろんな発見があって、純粋だったし、楽しかった。
余計なことを考えないで、自分のやりたいことだけをやっていたような気がする。
今で言うプラス思考、っていうやつだな…。

それに比べると今は何かをするときに、余計なことばかり考えているような気がする。
自分のやりたいことを、もっと思い切ってやれば良いのに。


いろんなしがらみをすべて取り去って、裸の自分になって、自分に正直に生きていこう。
そして前を向いて、頑張っていこう。

あのころの自分を思い出しながら…

2004/01/14(水) 手術日
母の手術日が28日に決まった。

正月早々、お腹が痛むと言っていたことと、昨年暮れあたりからこじらせていた風邪がひどくなったこともあり、
5日に病院に連れて行ったのだが、その時の診断で「早いうちに(下腹部の)手術が必要」と言われていたのだ。

母は「簡単な手術だから大丈夫」と言っていたが、そうは言っても開腹するわけだから、やはり多少の不安はある。
また、手術当日はちょうど私も(昨年から心臓がギュッと締めつけられるような痛みがあってその原因を調べるための)
検査をする日なので、その日は二人とも同じ病院にいることになってしまった…。

昨年の終わりから精神的にも肉体的にもきつい日々が続いたから、母も私も疲れが出たのかも知れない。
いや、もしかしたら父が天国から「俺のように手遅れにならないうちに自分の体をしっかりと見てもらっておけよ。」
というサインを私たちに送っていたのかも知れない…

そんな考えが一瞬、頭の中をよぎった。

とにかく今は、家族が無事に過ごすことができますように。
そして皆が幸せになれますように。

心の中でそう祈った一日だった…

2004/01/13(火) 渋滞
今年から仕事の内容がガラッと変わったことに伴い、出勤時間が遅くなった。
これで早起きしなくて済むのは良いことなのだが、遅くなった分、交通渋滞にハマっている。

今までは5時半に家を出ると15〜20分で会社に着いたのだが、今は7時15分に出発すると
到着が8時くらいなので、なんと45分!も掛かっている現状なのだ。
それまでと比べ、軽ーく倍以上かかっている計算である。

たまにハマル渋滞なら仕方ないのですが、これから毎日続くと思うと頭が痛いのであります。
(じゃあ、もっと早く家を出ればいいじゃん、という声はごもっともなのですが朝はギリギリまで寝てたい人なので…。)

今朝もみぞれ交じりの雨だったので(雪に変わったら渋滞して大変だ、というわけで)さらに早く出発したら
思いのほか空いていて拍子抜けでした(まあ、遅刻するよりは良いんですけど…)。


今後はMY CARに付いていながらほとんど活用されていなかった、SONYのカーナビ君の全面的な協力の下で、
裏道探索などで時間短縮を図ろうと思っていますので、これからはよろしく頼むね!カーナビ君!
(そして狭ーい裏道なんかに連れてかないようにね!)

ということで明日はどの道を走っていこうかな〜♪
楽しみでもあり、ちと不安でもあります(笑)。

2004/01/12(月) 思い出の車
昨日、お墓参りに行く前に母の弟(私のおじ)の家へ立ち寄った。

父がそれまで乗っていた車をおじに譲るためだ。

形見として残しておこうか、と考えたこともあったが、
家族が2人しかいないのに車が3台あっても仕方ない、というのと
車は乗らなくても維持費が結構かかるので(これが本音なんですが…)
結局、手放すことにしたのだった。

隣町に住んでいるおじの所へは母(の車)と2台で向かった。
母は左ハンドル車の運転が出来ないので、私が父の車を運転した。

今日がこの車のハンドルを握る最後の日。
いろんな思いが心の中に浮かぶ…

「退院したら家族で旅行へ行くんだから、早くこの車を直しておけよ。」
父は病床で何度もそう言っていた。そしてそれを信じて懸命に頑張っていた。

「そうだね。だからお父さんも早く病気を治さなくっちゃね。」
そう言って、修理したのがこの車だった…
本当は直らない病気だと知っていたのに、うそをついてごめんね…。

たくさんの思い出が詰まった車だから、やっぱり手放すのはよそうか…
という気持ちが心をよぎったころにはもう、おじの家に到着していた。

さようなら…これからはおじが大切に乗っていくと思うから
(車を手放したことを)許して下さい…

沢山の思い出が詰まった車だった。
だけど、父との思い出は私の心の中にたくさん残っているから…

そう考えながら父のお墓参りへ向かった…。

1月絵日記の続き


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.