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2004/03/01(月)
父の写真
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昨日、妹が子供(3歳の女の子の『Aちゃん』)を連れて遊びに来た。
といっても実際に遊ぶのは子供だけなので、誰かが一緒についていないと危なかしくて見ていられない。
昼食後、しばらくの間は部屋の中でおとなしくしていたがそこは子供のこと、すぐに飽きてしまい、 「外に出たい!」と言い出した。 が、妹はすでにお疲れモードのようで、「お兄ちゃん頼むよ〜。」オーラを私に送ってくるので(苦笑) 私が「庭の手入れをするから一緒に見てあげるよ。」と言ってAちゃんと一緒に外に出た。
Aちゃんは庭のあちこちを目を輝かせながら見回している。
池にいる黄色がかった鯉を見て、「このお魚、何色?」と訊いてきたので 「このお魚の色は『黄色』っていうんだよ。」と答えると、「黄色はイエローだ。」と言うではないか!
どうやら妹はまだ3歳の娘に「英語」で言葉を教え始めているようだ(これがホントの英才教育?)。
それから庭の草木に水を撒き始めると、その様子を見ていたAちゃんが「ねぇ、これは何のお花なの?」とか、 「このお花は何色なの?」などの質問を浴びせてくる。
水撒きの後、母たちと雑草とりを始めたら(松の)植木を見て「これ、じーじのだよね。」と訊くので 「そうだよ、この植木はじーじが大事に育てていたんだよ。」と答えた。 我が家の植木は全部、父が生前手入れをしていたものだ。
また、草刈用の鎌を見つけ、「これもじーじのだよね。」と私に訊いてきた。 「そうだよ。これもじーじがよく使っていたんだよね。Aちゃんえらいね、よく覚えているね。」と言うと、 「うんっ!」と満面の笑みで答える。
そういえば、確か父が最後に自宅へ一時帰宅したときも(10月11日〜12日) 家に着いてからすぐに中に入らずに、ずっと庭を眺めていたっけ。
本当はじっくりと庭いじりをしたかっただろう。 だけどそれが許されないほど、体調が悪化していたのだろう。 だが、そんなときでも父はそんな様子を微塵も見せなかった。
一つ答えるたび、その時の情景がよみがえってくる。 懐かしくも哀しい情景の数々が・・・
一時間くらい経った後で部屋の中に戻ると、今度は(折りたたんである)ブランコの前に立ってニコニコしている。 それを見た妹が「あれは『Aちゃんブランコで遊びたい!』っていう顔ね。」と言いながら笑っている。 そこで早速組み立てると、キャッキャと喜びながらブランコを漕ぎ始めた。
このブランコは、昨年まではまだ一人では漕げなかったので、家族の誰かが押してあげていたのだが (主に父の役目だった)今は一人でビュンビュン漕いでいる。
その姿を見た妹が、ポツリと言った。
「この姿をお父さんに見せてあげたかったね・・・」
私は黙って頷いた。
仏壇の前にある、父の遺影に目を向けた。 そこには微笑んでいる父の写真があった。
もしお父さんがここにいたら、きっとあんな楽しそうな顔をして見ていたんだろうな。 いや、今も天国から私たちのことを見守ってくれているはずだ。
今も、そしてこれからも・・・
ずっとずっと・・・
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