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2004/03/19(金)
白い巨塔を観て・・・
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昨日、放送された『白い巨塔』の最終回はなんと(東京では)32.4%の高視聴率だったそうだ。
末期ガンに侵された財前の、病状悪化に伴う症状が出てくる場面が映し出されるたび、 昨年の病院で経験した出来事とテレビの画面が自分の中で重なりあって何度も涙が溢れてきた。
特に財前が里見に宛てた手紙が、震えた筆跡で書かれていたところが映し出されたとき、 病床の父が震える手で必死で書き留めた手帳の文字のことを思い出した。
入院当初は見舞いに来てくれた方などを自分で記帳していたのだが、手の震えがひどくなって書けなくなったため、 途中からは私が代筆するようになったのだ。
生前、余計な言葉を話さなかった父が残してくれた、その手帳は現在、私にとっての大事な形見の品となった。
そしてもうひとつ考えさせられたのは、財前が何度も言っていた「無念だ」の言葉である。
今はまだ死ねない、死にたくない。 だけどそれが叶わないと悟ったとき、人は何を想うのだろう・・・
本当のこと(病名)を自分に知らせてくれない、回りに対する気持ち。 日に日に体調が悪化し、病名こそ分からないがどのみち助からない、と悟ったときの気持ち。
もう助からない、と分かっていても私は本当のこと(=ガンの告知)を言わなかった。 だが、体調の異変は本人が一番良く分かっているのだから、隠しても仕方なかったのか?
やはり本当のことを言ったほうが良かったのか? いや、そんなことはとても言えない。 もし言ってしまったら・・・
昨年、父の最期を看取ってから色々なことを考えたが、結局今だ、答えは出ていない。
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