だぶるけいの活動日記
その日、ふと思ったことや気づいたことを何となく書いています・・・
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2004/03/08(月) 事前に確かめないと・・・
7日は日記にもざっと書いたとおり、いろいろなことがあった一日だったが、
その中でも夕食の待ち合わせ場所の勘違いは、双方の単純な思い込みによるものが原因だった。

17時半に某ホテルのロビーで母の友人たちと待ち合わせの約束をしていたのだが、30分経っても現れない。
もしかして仕事が長引いているのかな?と思いつつもじっと待っていた。

それからさらに1時間が過ぎたがやっぱり来ないので母に
「携帯で確かめたらいいじゃない」というと「(番号を)聞くのを忘れた」とのこと(-_-;)
「それならご家族の方に聞いてみれば?」ということで早速、教えてもらった番号にかけてみたところ
先方はなんと17時15分から待っている、とのこと!

「えーっ!待ってるって一体どこで〜??」

急ぎ、相手の待っている(待ちくたびれている?)ホテルのロビーへ直行し、
当初の予定より2時間遅れでようやく合流することができた(汗)

よくよく聞いてみると『ホテルのロビー』という所までは合っていたが、
市内にある2つの大きなホテルの場所をお互いに取り違えていたのだった。
お互い話をすり合わせてみるとそれぞれの主張はもっともなことなのだが、
結局ホテルの名前をはっきりと確認しなかったのが原因であった・・・。


帰宅後、母に
「ちゃんと事前に確かめなきゃダメでしょ!
こういうことがあるから物事は普段からもっと慎重にやらなきゃって言ってるのに!
言わんこっちゃない。まあ、とりあえず落ち合えたから良かったけどね」
と文句を言ってこの件は一件落着と相成った。が、話はここで終わらなかった。


そのあと、「さあ、F-1開幕戦を見るぞぉ!」とテレビを付けたが待てど暮らせど始まらない。

F-1の放送は通常、時差の関係もあり日付が変わる深夜に始まるので
昨日もずっとそう思い込んでいたがよく考えたら今年の開幕戦はオーストラリア。
ということは・・・『時差がほとんどない=開幕戦はとっくに終わっていた(ガーン!)』

ちなみにこの事実に気づいたのが8日の2時過ぎでした(ってもっと早く気づけよ自分っ)。

どおりでセリエAのサッカー中継が終わらないはずだ。
しかもこういう日に限って新聞のテレビ欄の確認もしていないしー。

ほんの数時間前に母に言ったばかりの言葉を自分に言い聞かせる・・・

「ちゃんと事前に確かめなきゃダメでしょ!
こういうことがあるから物事は普段からもっと慎重にやらなきゃって言ってるのに!」

いうまでもないが今朝のニュースでF-1開幕戦の結果が報道されていたがもう、後の祭りであった。

最後の最後にこんなオチがついてくるとは・・・
みなさんはこういう経験ってありません?(←ないよねぇ・・・笑)

2004/03/07(日) 忙しい一日
今日は忙しくも充実した一日だった。

朝、まず妹の家に寄ってから、都内の某有名靴の特別販売会(?)へ行き、靴とベルトを購入してから
チーズケーキを買うために銀座に立ち寄り、新宿で軽い昼食を済ませ、またまた妹の家に寄ってから
いったん帰宅。

それから池の掃除とお風呂の準備をしてから知人と隣町へ中華料理を食べに行ったのだが、なんと
待ち合わせの場所を間違えてしまい時間を大幅にロスしたため(2時間近く・・・)帰宅したのが22時過ぎでした。
それから某BS局の『新撰組』を見てから入浴し、現在23時を廻っている状態です。

ちなみにこのあとは、F-1の開幕戦が始まるのでテレビの前に釘付けとなる予定です。
そういえばまだ今日は新聞にも目を通していないし、買ったばかりの雑誌も読んでないなあ。

とまあ、普段のんびり過ごしている私には珍しく、忙しい一日でした。
(いや、これからF-1を見るから一日は終わっていないんだっけ)

・・・ということで来週はまったりとした一日を過ごすことにしましょうかねぇ(笑)

2004/03/05(金) おーっ!!
先月買い求めた『新撰組』の本を今日、ようやく読み終えた。

10人以上の作家による短編集が収録されていたのだが、その中で最も印象的だったのが
幕末当時、会津守護職だった松平容保(かたもり)について書かれた話であった。


会津藩は徳川将軍家の繁栄のために存在し、その忠義を尽くすという家訓を実直に守り、
15代将軍慶喜が大政奉還をしたあとでもなお、将軍家への忠義を貫き通した。

だが、時代の流れは彼らには味方せず、それゆえ新政府(官軍)の前に敗れ去ってしまうのだが、
義に篤い会津藩があったからこそ新撰組もまた、負け戦だと分かっても最後まで戦い続けた。

そう、新撰組は単なる殺人集団ではなく会津藩のため、そして徳川幕府のために障害となるものを
取り除くために行動しただけだったのだ。

通常、歴史上では敗れた方が悪く書かれてしまうことが多いのだが(というより、良いことをしても
歴史から抹殺されてしまう)この本のお陰で近藤勇や土方歳三などの隊士や新撰組誕生の背景、
その活動など、大体の流れはこれで理解することができた。


そしてもう一つ「おおーっ!」と思ったのが、清河八郎(きよかわはちろう)について書かれた作品であった。

と言っても清河本人についてどうだ、とか言うのではない。
物語の中に私の地元『川越の奥富村(の広福寺)』という地名が出てきたからである。

さらにその次のページにはこれまた『所沢』や『新宿』などのなじみ深い地名が出てきた。
西武新宿線沿線在住の私としては物語本編よりも、これらの地名がこの本に出てきた、
ということの方に興味を引かれた。

自分が読んだ本の中で馴染み深い名称や言葉が出てきたときちょっとだけ嬉しい、というか得した気分になる。


その昔、三国志関係の本を読んでいた時に『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』という言葉が出てきた。

ぎしわじんでん・・・??
うーん、どこかで聞いたことがあるような・・・

あっ、そうだ!確かこれ、昔学校で習ったことがあった言葉だっ!!

そう、『魏志倭人伝』というのは1800年ほど前の中国で三国が鼎立した当時の国(魏、呉、蜀)の
『魏』が残した『倭人(=日本人)』の伝記だったのだ。
ちなみに当時の倭国はあの『卑弥呼』が支配していたのだが、そのときの様子が中国の伝記に残されていたのである。

学生のころ、丸暗記していただけで分からなかったその言葉の由来や意味を初めて理解できた瞬間であった。

その当時も三国志に出てくる人物や物語を知りたくて本を読み漁っていたのだが、
突然聞き覚えのある言葉が出てきて、その意味が分かった瞬間思わず「おーっ!!」と唸ってしまったのであった。

ちなみに今日の「おーっ!!」は三国志で唸った「おーっ!!」以来のことであった。


うーん、これだから歴史の本はやめられないんだよなー(笑)

2004/03/03(水) あきらめちゃダメだ
昨日(2日)は母の○○歳の誕生日だった。

日曜日に妹がお祝いのケーキを買ってきたのだが、それこそあっという間に
食べ尽くしてしまったので(苦笑)、昨日の会社帰りに新たにケーキを買って帰った。
母の誕生日だからと言いつつ、実はケーキを食べる名目が欲しかっただけだ、というのはココだけの話である。

私が買ってきたケーキも「あっという間」に食べてしまったのは言うまでもない(笑)。


夕食後(21時から)某局のTVドラマを見た。

交通事故で脳の一部を損傷し、言葉を話すことも理解することも出来なくなってしまった夫を
自閉症の5歳の一人息子を抱えながらも、献身的に介護する妻の姿を描いたドラマである。

感動する場面は何度もあった。
特に事故直後のICUの場面では父が入院していたときの姿と重なる場面もあって、熱いものが込み上げてきた。


ドラマ終了後、数年前に大事故に遭った長野の叔母のことを思い出していた。
軽自動車を運転していた叔母が、トラックと正面衝突して瀕死の重傷を負い、
生死の境を彷徨いながらも奇跡的に一命を取り留めたときのことを。

緊急手術直後の叔母の姿を見たときの衝撃は、今でも忘れられない。
スリムだった叔母の体は、全身が腫れや浮腫みでパンパンになってしまっていた。
誰が見ても正直言って助からない、と思ったほどひどい状態だった。

実際、事故直後に病院に集まっていた身内の中にも、口にこそ出さなかったが
「もう、ダメなのか・・・」という空気が流れはじめていた。

しかし叔母は自身の生命力と家族の献身的な介護のおかげで、その危機を奇跡的に乗り越えた。

それは私はもちろんのこと、叔母の治療に携わったすべての人たちが驚くほどの出来事だった。
その間の輸血量は体内の血液量をはるかに超えていたし、どれから手をつけていいかと言うほど
体中にダメージを負っていたからである。

もっとも命に別状がない、とは言っても当初は体を自由に動かすことはもちろんのこと、
会話も満足には行えない状態だった。
それでも叔母やその家族の者たちは諦めずに頑張り続けた。


現在、叔母は100%元の状態、とまではいかなかったが、日常生活には支障がないまでに回復した。
そして今日も元気で過ごしている。


「あきらめちゃダメだ!あきらめたらそこで終わりなんだ!!」

長野の叔母が、そして昨年の父が私へと伝えてくれたメッセージ・・・


昨日のドラマがそのことを思い出させてくれた。

2004/03/01(月) 父の写真
昨日、妹が子供(3歳の女の子の『Aちゃん』)を連れて遊びに来た。

といっても実際に遊ぶのは子供だけなので、誰かが一緒についていないと危なかしくて見ていられない。

昼食後、しばらくの間は部屋の中でおとなしくしていたがそこは子供のこと、すぐに飽きてしまい、
「外に出たい!」と言い出した。
が、妹はすでにお疲れモードのようで、「お兄ちゃん頼むよ〜。」オーラを私に送ってくるので(苦笑)
私が「庭の手入れをするから一緒に見てあげるよ。」と言ってAちゃんと一緒に外に出た。

Aちゃんは庭のあちこちを目を輝かせながら見回している。

池にいる黄色がかった鯉を見て、「このお魚、何色?」と訊いてきたので
「このお魚の色は『黄色』っていうんだよ。」と答えると、「黄色はイエローだ。」と言うではないか!

どうやら妹はまだ3歳の娘に「英語」で言葉を教え始めているようだ(これがホントの英才教育?)。

それから庭の草木に水を撒き始めると、その様子を見ていたAちゃんが「ねぇ、これは何のお花なの?」とか、
「このお花は何色なの?」などの質問を浴びせてくる。

水撒きの後、母たちと雑草とりを始めたら(松の)植木を見て「これ、じーじのだよね。」と訊くので
「そうだよ、この植木はじーじが大事に育てていたんだよ。」と答えた。
我が家の植木は全部、父が生前手入れをしていたものだ。

また、草刈用の鎌を見つけ、「これもじーじのだよね。」と私に訊いてきた。
「そうだよ。これもじーじがよく使っていたんだよね。Aちゃんえらいね、よく覚えているね。」と言うと、
「うんっ!」と満面の笑みで答える。

そういえば、確か父が最後に自宅へ一時帰宅したときも(10月11日〜12日)
家に着いてからすぐに中に入らずに、ずっと庭を眺めていたっけ。

本当はじっくりと庭いじりをしたかっただろう。
だけどそれが許されないほど、体調が悪化していたのだろう。
だが、そんなときでも父はそんな様子を微塵も見せなかった。

一つ答えるたび、その時の情景がよみがえってくる。
懐かしくも哀しい情景の数々が・・・


一時間くらい経った後で部屋の中に戻ると、今度は(折りたたんである)ブランコの前に立ってニコニコしている。
それを見た妹が「あれは『Aちゃんブランコで遊びたい!』っていう顔ね。」と言いながら笑っている。
そこで早速組み立てると、キャッキャと喜びながらブランコを漕ぎ始めた。

このブランコは、昨年まではまだ一人では漕げなかったので、家族の誰かが押してあげていたのだが
(主に父の役目だった)今は一人でビュンビュン漕いでいる。

その姿を見た妹が、ポツリと言った。

「この姿をお父さんに見せてあげたかったね・・・」

私は黙って頷いた。


仏壇の前にある、父の遺影に目を向けた。
そこには微笑んでいる父の写真があった。

もしお父さんがここにいたら、きっとあんな楽しそうな顔をして見ていたんだろうな。
いや、今も天国から私たちのことを見守ってくれているはずだ。


今も、そしてこれからも・・・

ずっとずっと・・・


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