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2004/04/26(月)
柿の実がなる頃
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昨日、週末恒例となった(?)池の手入れをした。
普段はろ過器の掃除だけで済むのだが、4月に入ってから急激に気温が高くなったせいか ろ過器だけでは藻などが取りきれないため、池の水が真っ黒になってしまい、中にいるはずの鯉が 全く見えない状態となってしまった。
あまりのひどさに先週、半分だけ水を入れ替えたが、わずか1週間ですっかり元通りになってしまった。 仕方がないので今回は池の底に溜まった汚れを丹念にこすり取ってから、3分の2以上の水を入れ替えてみた。 鯉は水質の変化にはあまり強くないので、急な水の入れ替えはしたくなかったが、あの汚れでは仕方がない。
2時間ほどかけて水の入れ替えを済ませたが、GW(の連休中)にあらためてじっくりと手入れしようと思う。 それまで汚れずに済んでくれればいいんだけど・・・。
同じ頃、母は庭で草むしりをしていたのだが、隣のご主人さんと何やら話をしていた。 後で話の内容を聞くと、母がかねがね気に掛けていた『あること』であった。
『あること』とは昨年、父が一時帰宅していたときの話であった。
病院に戻る日の朝、母が庭に出ていた父を見たとき、隣家の方と話をしていたそうだ。 普段、あまり自分からは話をしない父が珍しいなと思ったそうだが、その時は大して気にも掛けなかった。 だが今になって思えば、その時の話が病室以外で父が交わした最期の会話になってしまったため、 それ以来母がずっと気に掛けていた、という訳である。
だからそのうち聞いてみようとは思っていたそうだが、忙しいこともあってなかなかその機会に恵まれなかった。 昨日になってようやく、その時の様子を訊かせてもらったそうだ・・・。
(父)「今年の柿はどうかねぇ?」 (お隣さん)「去年は少なかったから今年はたくさん実がなると思いますよ。」 (父)「まあ、その分(隣家の庭で春に咲いた)桜で楽しませてもらったからなぁ・・・」
普段はそういう話をめったにしない父が、そんな取り留めのないことを話していたそうである。
その時、父は柿の実がなる頃の自分(の運命)を想像していたのだろうか? 父に問い掛けたくてもそれはもう、叶わない。 今はもう、誰にも分からない・・・。
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