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2004/05/13(木)
生きている意味
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某国営放送で絶賛放映中(?)の『新撰組』だが、舞台を京都に移し、『壬生浪士組』を結成した。 芹沢鴨、新見錦とともに壬生浪士組(=新撰組)初代局長となった近藤勇ら(試衛館出身隊士たち)の 今後の展開が大いに楽しみである。
近藤勇(=幼名勝五郎)は当時の父、宮川九次郎から『三国志』や『水滸伝』などの英雄伝を 読み聞かされ育ったこともあり、それが後の『新撰組局長』近藤勇の思想的観念になっていった。
たとえ、それが時代の流れに逆らうものだと分かっていても、自分の生きている意味をそこに見出し、 自身(の信念)を信じ、殉じていった新撰組の人々。
これは、かつて関羽が(敵将の)曹操に捕らえられたとき、どんなに(自分に仕えてはくれないかと)厚遇されても 「我が主、劉備殿とは、同生同死を誓った義兄弟にして主従でござる。やがて劉備殿のもとへ去りましょう。」 と言い、劉備への信念(=忠義)を終生忘れなかったことと重なる。
時代や舞台は全く違うが、三国志の武将と新撰組の「忠義の精神」はどちらも同じであろう。 ちなみに勇は『三国志』の中でも特に関羽が好きだったそうである。
翻って現在・・・
ここ数日、新聞紙上を賑わしている、民○党党首の辞職問題や三菱ふ○うのリコール隠し問題などを見ていると、 果たしてそれだけの志を持った人たちが一体どれ位いるのだろうか、と思う。
己を守ることのみを是とする人たちの何と多いことか・・・。
ある所で見つけた文章がある。
「人は誰でも孤独では暮らしていけず『誰かにとって必要な存在でありたい』と願って生きている。」
自分にとってではない。自分以外の他の人にとって、である。 「所詮、そんなのは理想論だ」という人もいる。
だけど少なくとも今の自分はそうありたい、と思っている。 それによって自分の生きている意味や価値が確認できればいい、と思っている。
その存在が誰なのか、またどこにいるのかはまだ分からないけれど・・・
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