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2004/07/01(木)
悲しい思い出の月
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気がつけば今日からもう7月。
1年の半分が過ぎたということで、今日からは後半戦のスタートである。
だが、私にとって昨年のこの月は悲しい思い出の月になっている。 昨年7月、私は春先に起こしたスピード違反のために、30日の免停中だった。
となると一番困ったのは会社通勤(特に出勤)である。
当初は自転車通勤も考えたが当時は6時出勤で、起床してすぐに片道10キロ以上の道のりを 漕いでいくのは厳しかったので結局、会社の同僚に頼んで自宅まで車で迎えにきてもらっていた。
本当は行きも帰りも父の車に同乗できれば良かったのだが、残念ながらそれは出来なかった。 当時父と私とでは通勤時間が違っていたため(私は6時、父は9時出勤)である。
そして帰りは同じ会社の父の車に同乗することにした。 ただそうなると問題なのが毎週火曜日と金曜日の午後に行っていた、肝臓治療のための通院に行けなくなってしまう。
そのほかにも早く帰れた日に行っていた、庭の手入れや池の掃除などもできなくなってしまう。 通院の方は帰宅してから行けるのでまだいいが、早く帰って安静にするということが出来なくなってしまう。 C型肝炎のおかげで倦怠感がすごかった(はずの)父は、週2回のその時間が 体を休める貴重な時間になっていたと思う。
だが、『C型肝炎』が悪化したときの恐ろしさなど全く知らなかった当時の私は、そんな父の体調など 全く考えず、ただただ自分の都合ばかりを優先し、考えていたのであった。
そしてそれから2週間後、体調が悪化した父はとうとう会社を休んだ。 その後、結局父は2度と会社に足を運ぶことはなかった・・・
私たち家族の想像を超える倦怠感や体(特に足)の浮腫みは日に日に悪化し、月が代わって8月のお盆前から、 今度は高熱の状態が続いた。 さらにお腹がぷくっと膨れてきた。腹水であった。
これらの症状が肝硬変の末期に出る、典型的な症状だということを当時の私はまだ知らなかった。
さすがに父もいつもの状態とは違う、と考えたのだろう。 あれだけ他の医者には行かない、と言っていた父が別の病院で診察を受けることに同意したのだから。
だが、そのとき父の肝臓は、肝硬変どころか肝臓癌に冒され、すでに手の施しようがない状態になっていた。 そして9月に入院してわずか2ヶ月後、父は旅立っていった・・・
今、いくら後悔しても時間は元に戻せないし、失われた命は帰ってこない。 それでも自分を責めてしまう。 責めずにはいられない。
何故、そんな父の体調の変化に気付いてあげられなかったのか? もっと、肝臓の病気について勉強していれば、こんなに早く父を死なせることはなかったのかも知れない。
そんな悲しい思い出の月が今日から始まった・・・
悲しい思い出の詰まった7月が・・・
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