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2004/09/14(火)
送別会
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先週末、その前日に退職した、会社の事務の人の送別会があった。
普段はあまりそういうところ行かない私だが、その方には昨年の父の葬儀のときに 大変お世話になったこともあって、迷わず出席させていただいた。
とある居酒屋でその送別会は行われたのだが、時間の経過とともにお酒が廻ってきて、 饒舌になる人、絡んでくる人、泣き上戸になる人など、普段は決して見せない姿を皆が見せていた。
お酒が全く飲めない私はその様子をじっくりと見ていた。 お酒ってこんなに人を変えるんだよなぁ、と思いながら・・・
実は私の父はお酒ではよく失敗をしていた。
お酒を飲んだあとで、喧嘩をして帰ってくることは珍しいことではなかったし、 それを見ていた私も、「またいつものことだ」くらいにしか思っていなかった。
そんな父だが、一度だけ取り返しの付かないことをしてしまったことがあった。
母の弟、つまりおじとの喧嘩であった。
私の母は二十年以上前に看護婦を辞めてからずっと(今も)弟の会社の経理をしている。
結婚当初からなるべく家庭に入って欲しい、と願っていた父は母が看護婦を辞めて、ようやく家庭に入ると思ったら こともあろうにおじの会社に入ってしまったことで、おじに対してずっと言い知れぬ思いを抱いていた。
それが、身内の旅行で熱海に行ったとき深酒をしたせいであろうか、おじとつかみあいの喧嘩になってしまった。
父の心の中で長年溜めに溜めていたものが、酒の勢いも手伝って爆発したのだろう。
その時の父はおじを殺さんばかりだったと止めに入った人が言っていたくらい、とにかくもの凄い勢いだったそうだ。
実は、当時の私は母と一緒の(おじの)会社に勤めていた。 だから父よりもむしろ、母やおじの肩をもってしまいがちだった。
そのとき「あのくそ親父!」と父に向かっていこうとした私を、親戚のおじさんが、 「たった一人のお父さんなんだから!」とたしなめてくれたことを今でも覚えている。
だが、当時の私はまだその意味を十分には理解できなかった。
何で父がそこまでおじのことを毛嫌いするのか? そんな父の寂しさ、そして父の孤独を・・・
逆に言えば、私はおじのことをそこまで信頼していた。 言い換えれば、実の父よりも信頼していたのだ。
だが、(以前触れた事のある)おじが私に言った『たった一言の言葉』が私のすべてを変えてしまった。
その言葉を聞いてから、私の心はあれほど信頼していたはずのおじから離れていった。
そしてそれから2年もの間悩み続けた末に、父のいる会社に移ったのだ。
30を過ぎての転職だったから、仕事を一から覚えることは正直言って大変だった。 だが、すぐそばに父がいるということは何にも変えがたい安心感があった。
しかし、それも長くは続かなかった。
昨年夏から急激に体調を崩した父は2ヶ月の入院生活の末、あっという間に旅立ってしまった・・・
さらにお酒が進んで皆ますます陽気になってきた。
お酒ってそんなにいいものなのかな? 嫌なことをすべて忘れさせてくれるものなのかな?
でも、このお酒のおかげで父は肝臓を悪くして、結局それが命取りになったのに。
皆の前で偽りの笑顔を振りまきながら、ずっとそんなことを考えていた・・・
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