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2004/07/21(水)
ミレーの絵
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19日帰省ついでに、秋田に住む学生時代からの親友と盛岡で会った。 会うのは1年ぶりらしいのだが、そんな気がしない。ついこの前会ったような気がする。 子供がたまたま1号と同級生の女の子なので、子供は子供同士遊ぶのでちょうど良い。 だが、彼女らも無邪気に遊んだ今までとは違い、それぞれ手持ちの本を読み始めたり、そんなに一緒に遊ばない。後で1号曰く「ゲームに来てる2号の友達状態だったね(笑)。でもまた会いたい」
今回はデパートのハリーポッター展と県立美術館に行きました。 県立美術館ではちょうどミレーとゴッホの特別展で大感激! 全然美術に詳しくないので、メジャーな画家さんだと嬉しいんです(^^; 「ゴッホに対するミレーの影響」という観点で企画展示されていて、絵画鑑賞など無縁の私にもなかなか興味深いものがありました。 日本人の所有するミレーのマイナーな農民の絵画、版画が中心でしたがマイナーとはいえ、ミレーの絵はいいです。こういう絵を見たい気分でした。また「落ち穂拾い」の下絵になった版画も展示になってました(^^)。 大地と生きる農民達の労働する姿、、農夫達は豊かな実りの中で子を産み、子供は健やかに育ち、7,8歳になると家畜の番をして仕事を手伝い、だんだん農耕を体得し、収穫の喜びを知り、、、その子が村の若い娘と結ばれて、、、、そんな農耕民族の生の営みが力強く伝わって来ます。労働する人間を見る画家のまなざしに温かい視点を感じます。
ゴッホは若い頃、ミレーが生活資金のため作った版画(格安で手に入った)を持っており、それを何度も模写したようです。ミレーに憧れて絵の世界に入ったところ、パリで印象派の画家達と巡り会い、その後はそちらに大きな影響を受け、「ひまわり」のようなインパクトに強い絵を描くようになります。しかし、ゴーギャンとの共同生活を夢見た時代から、彼との決別以降、再びミレーに耽溺したようで、ミレーの作風の影響を感じる絵画に戻ったようです。 でも、面白いことにミレーの絵をゴッホが模写してるのですが、すっかり同じ構図なのにどう見てもゴッホの絵はゴッホの絵なんですよね。 ゴーギャンとの決裂以降、ゴッホはどんどん狂気に落ちて自殺します。その短い激しい生涯を映し出したように、そして常人の脳内では構築しえない感性が強烈に観る側に迫って来ます。狂気を再構築する芸術はある意味、不条理であればあるほど強烈なインパクトを持って迫ってくるんですよね。 一方、ミレーの人生は、最初こそ貧困に苦しみますが、だんだんに世に才能を認められ、仲間に支えられて豊かな人生を送り、80歳を越える天寿を家族に見守られて終えたのです。 ミレーの絵を見ると、ああそうだろうなあって思えます。
文学で言うと、心を病んだ太宰治や中島敦、病死ですが梶井基次郎なんかが鮮烈な異彩を放ちながら、鋭い未成熟な感性を頂点にどこか世界に挑んだまま早世したのに対し、井上靖や遠藤周作のように緩やかに人生を歩み人間への愛を讃えつつ成熟した感性に達し、世界を受容しつつ天寿を全うした人生の違いを、素人ながらに感じます。 私は若い頃は、未成熟で鮮烈な絵が好きでした。 ブラドでピカソのゲルニカを直接見た時の胸に突き刺さる感じは忘れられないですね。レプリカ観るのと全然違う大きな衝撃でした。 でも、なんだろう。今、このミレーの絵を見て、癒され心落ち着く言い得ぬ感覚。 積年の心の泥濘が、洗い流されていく感覚がなんでか、最近好きになった私です。 年を取ったのだなあ。。。
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