プレハブの居間
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2003/12/30(火) 続、見ざる。言わざる。聞かざる。
「お母さん達は悪い情報なんか知りたくないものなんだよ!」
それが普通の感覚だとは当時なかなかわからなかったな。

T大病院時代。
私は入院前にすでに、1号の病気の5年生存率が30%以下というデータを知っていたが、周囲の同じ病気の同時期に手術を受けたママさんでそれを知っていた人は皆無だった。。。
治療法が確立していない難病なので、治療なのか検査なのか実験なのか、成功の見通しはどのくらいあるのか、リスクはどうなのか?予後のデータはどうなのか、、、私は医師に進んで聞いた。
また私は治療が失敗したケースのご家族からもよく話を聞いた。
医師の説明もろくにうけぬまま医師を信じ切っておまかせして、わけがわからぬうちの子を亡くした母親達の悲しみと悔恨は大きい。だから私は、不安な情報をあえて求めた。不安な者が、より不安な要素を求める心理からかもしれないが。
だが実際うちの子は医師の楽観的説明通りにはならず、過酷な治療はただただ子供を苦しめ、多量の連続投薬の結果、本来の病気とは違う副作用で重篤に陥った。
手遅れになる前に私と主人が手を打てたのは、それだけの心構えができていたからだ。
しかし他の多くのお母さん達は医師まかせっきりで、医師は母親の動揺という心理的理由で説明をロクにしないのがその病院では普通だった。
彼女らはたまに不安になると私のところに来て、話を聞きたがった。私は自分の経験上、無責任に「大丈夫よ」とは言わない主義だったから彼女らは私の話に動揺することはしばしばあった。
そして治療の結果がたまたま良かったりすると彼女らは、「最初から医師を信じてれば良かったのに、余計な不安を煽られた」と私を批判してたようだ。そう、主治医達にに言われた(笑)

「お母さん方というのはね、良い話しか聞きたくないのだ。その気持ちを理解して、あなたも何か聞かれたら、良い話だけをするように。」
主治医達は私に注意した。
ひょっとして私の中に、自分が味わってる不幸を、他の人にも味わわせたいという無自覚の悪意があったのかもしれない、、、、、

けれど、治療に失敗した人達から、私は非常に頼りにされた。今でも交流は続いている。
けれど彼女らもっとも辛い思いをした人達は、皆病院を去ってしまい、大病院に残るは、命の恩人である医師の治療方針を盲目的に信じる人ばかり、、、
私は、いつしか医師を囲んでの患者の会に参加しなくなった。

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大切な人の生命に関わることなら、今でもちゃんと知りたいと思う。
それに、戦争の記録映像から目を背けたりしたくないとも思う方だ。
辛い現実も直視すべきだと思う方だ。

でも、悪い情報は知りたくなかったという気持ちは、なんかわかる1年だったよ。
でも「見ざる、言わざる、聞かざる」を徹底するには、ネットはほどほどにって教訓なのかな。
娯楽は娯楽、無理は無用。自衛は必要。ってことで。


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