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2004/11/21(日)
神仏に祈る
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家族みんなで定義山行ってきました。 私と青鬼君は不信心な人間なんですが、あまりそういうのと無縁な生活もある種の日本の文化、風習の衰退をまねくなあって気もして、たまにはいいかなあって。 だって、うちの子供達は全く手を合わせる習慣がないのです。 クリスマスはやりますが決してイエスキリストの降誕を祝してるわけでないし、門松飾ったりもしないし、盆参もしないし、、、、 でも、これって良くないなって思ったんです。時には、神仏の前で手を合わせ、心を無にする瞬間があるって、良いなあって思います。
私は核家族で育ちましたが、毎年家族と初詣に行ったり、何かの時に和尚さんやイタコさんのところに出かけて占ってもらうくらいの習慣はありました。 盆には親族が本家に集まり、迎え火を炊くためトラックの荷台にたくさんのいとこと乗って、あちこちの墓地を回り(名もない人の墓や馬の墓にもお供えしてましたね)、夜はみんなで盆だなに手を合わせ、広い座敷で会食しました。 盆や正月(夏休み、冬休み)に本家に集まるという習慣がとても楽しいイベントでしたねえ。小さい時は小正月にも行きまして、水木に団子をつける幻想的行事だったと記憶しています。 祖母の作ったキリサンショウや食紅で飾った団子の美味しかったこと、市販の和菓子では味わえない食感でした。 都会のように、長期休みに遊園地や動物園には連れて行ってもらったことないし、公園という概念もない田舎でしたが、夏には夏の、冬には冬の遊びを外でいとこ達と好きなだけ遊びました。それは生涯心に残る温かい思い出です。 今や、私の両親の本家どちらも、その親が死んでしまったのをきっかけにあんなににぎやかだった兄弟(叔父叔母達)の集まりも自然となくなってしまいました。 お盆も迎え火を炊いて墓地を回ってるのは叔父(母の弟)一人で、昔のあの華やかな一族のにぎわいはなくなってしまったそうです。 いとこ夫婦は共稼ぎですから、せっかくの休みは家族で旅行したいんですよね。いとこの婿さんの実家帰りにつき合ってるってのあるようですし。こうして、農家の家長制度は崩壊し、昔ながらの土着の信仰に結びついた風習もなくなっていくんですよね。
画像は「子育観音」です。健やかに子供達が育ちますように、と、たくさんの人が手を合わせていました(^^)。
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