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2004/05/14(金)
科捜研のイケメン
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昨日の夜、「科捜研の女」を見ました。今回で3度目かな。 前回見た時は、あんまりたっくん達活躍しなくて、千尋の両親がメインなのね(笑)って見てなかったのですが、今回はたっくん画面に出まくってました(^^)。木場君(泉さん)こういう役があってるよなあ。啓太郎(溝呂木さん)はかっこいいけど、啓太郎の方が個性あったかなあ。。。 クスン;、草加クンと海堂クンは何をしてるんでしょう? ババ抜きしながら番組らちらちら眺めてたのですが、内容はわかりやすいし、知的好奇心もくすぐるし、後味は良いし、一見さんでも気楽に楽しめるのがいいですね。555よりずっと話が単純だったりして(^^;。 月夜様が以前日記に書いていらしたと思うのですが、夜8時台のドラマより、子供向け番組の方が難解で衝撃的だったりするって。確かに。 うーん、なんだかなあ、、、。 いや私、555は、子供だましならぬ「大人だまし」にひかかったのかもしれないながら(^^;、大好きでした(^^)。面白いドラマだったって思います。草加残酷物語が受け入れられないだけで(しつこい) でも「剣」は、この際子供の目線や家族層をさらに考慮して欲しいな〜。って。元は少年漫画ですからね。
**************************** ここで余談。ちょっと固い話ですが、、、 よくネットでは、作品にテーマがあるとかないとか言われてるのを読むのですが、テーマ(主題)って、送り手の「最も書きたかったこと、受け手に伝えたかったこと」そのものをさしてるわけで、それがないってことは書きたいことがないってことになるんで、まるきりないということはないと思うんです(笑)←何言いたいんだ自分! あくまで主題は、描きたかったことそのものであって、こうだから「こうあるべき」という価値観を直接意味してるわけではないと私は理解してます。 「真珠夫人」で言えば、「信じて待てば希望を叶う」というTV制作者のメッセージが、イコール作品のテーマだとは私は思わないんです。 あれは作家が、「ある女性の選択とその生涯」を描きたかったのであって、それが人間の生き方として良いかどうかはまた別なんですよね。 文学において、目的のためには他人を犠牲にするエゴイズムや、正義の相対性とか、人間の持つ不条理をテーマにするのは良くあることでないでしょうか。 三島由紀夫の「金閣寺」、20数年前に読んだっきりでうろ覚えですが。。。 吃音の劣等感に苛まれる孤独な主人公は、人よりも美しい鹿苑寺(金閣寺)を愛し抜き、来るべき戦火が鹿苑寺に及ぶ日、自分もその劫火の中共に死にゆく破滅幻想に陶酔します。ところが、米軍は古都を襲撃しなかったため鹿苑寺は焼失しないまま終戦になり、自分も鹿苑寺も共に生き残ってしまいます。そのことに彼は耐えられずに、鹿苑寺に自ら火を放ち、鹿苑寺は全焼。けれど、哀れにも彼は生き残ってしまい、そこで彼の最愛の幻想は瓦解するのです。 仮にこの作品のテーマが「孤独な青年の甘美な陶酔と破滅」という不条理な面であってもそれはそういうものです。 この青年が良いか悪いか、読み手の模範になるかどうかという道徳とは別問題ですよね。 また、この内容を面白いと思う人がどのくらいいるかってのもこれまた別問題だし(笑)少なくとも娯楽作品ではないのでね。(私は大好きでしたが)
下に続きます。長くなったので昨日の分に入れました。あしからず。
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