プレハブの居間
最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2010年4月
前の月 次の月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
最新の絵日記ダイジェスト
2010/04/08 タイムパラドックス2〜アフロディア追想
2010/04/07 タイムパラドックス3〜アフロディア追想
2004/12/31 プレハブ小屋を丸太小屋に
2004/12/30 仮面ライダー剣にはまって
2004/12/29 うちの猫じゃないのに・・・

直接移動: 20104 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200312 月  20024 月 

2010/04/08(木) タイムパラドックス2〜アフロディア追想
何ももう手元にないので記憶だけですが、語らせて頂ければ幸いです。
小説3作、劇場版はだいたい覚えていますが、TV版は完全に全部まだ見ていない気がするので、この機会にDVDを探してみようかなと思っております。ムック本もたいがい当時読んでたと思いますが、愛蔵版や後年発売されたDVDのブックレット等は未見です。
あくまで私見です。押しつけではありませんので、あしからず。

この作品が完成度の低い作品であるにもかかわらず、私の生涯を通じてなぜか一番心に残っているのです。その理由は、私の場合悲劇のヒロイン・アフロディアのキャラの魅力でした。映画や他のアニメでも、ヒーローと戦場で出会った年上の美しい悪女が、敵として憎みながら最後は主人公に愛を抱き、死んでしまうという似たようなネタはごまんとあって(009とかハーロックにもあったなあ。肉親の仇ではないですが、Zのカミーユとフォウはこの影響受けてそうと思ったり)、元々そういう話が好きだったのですが、中でもバルディオスは突出して忘れられないドラマでした。

この作品の主題は究極、「愛する者を殺された敵同士が、憎しみを乗り越えて愛し合えるのか?」というテーゼにあり、結論として悲恋ではあるんですが、「愛し合える」という人の理想を示唆した作品だったと思うんです。
TV版でも劇場版も小説版もそのオチだけは一致していて、マリンとアフロディアは互いに愛し合い、許し合って終わったと捉えられると思うのですが、、、。
現世では結ばれなくても、一切の罪を許された世界でなら、二人は結ばれてしかるべくだと個人的には思います。。

酒井氏の小説で、むしろジェミーの求愛を退ける理由の一つとして、マリンが彼女の子孫の可能性がある以上、歴史の保存を考えていたと記憶しております。だから仲間意識はジェミーに対してで、アフロディアはマリンのオンリーワンの女性として終盤は描かれていたように思います。
アフロディアの極悪ぶり告発が非常に面白かったのですが、逆をたどれば実はそれがこの作品を悲劇に終えるために、絶対必要な条件ですよね。彼女が極悪非道の所業を繰り返したから、因果応報自業自得により終盤の悲劇へと向かうわけです。
さんざん悪行三昧の悪人が、最後に改心して、視聴者はカタルシスを得られる物語パターンで、古今東西よくある筋ではあるんですが、、、。
問題は、マリンはなぜあんなバカ女に本気で?、という疑問ですよね(笑)

マリンの眼には、アフロディアの隠れた善良さが映っていて、彼女の所業は彼女自身の意志によるものでなく、ガットラーの支配によるものだと、彼女の悪行が彼女の本質を表すものではないと信じているからでしょう。その内面は彼以外には見えていないので、いろいろ周囲と行き違いが生じるんですが、少なくとも彼は(おそらくカイザーも)アフロディアが必要以上に悪女を演じていることを見抜いているんです。
それとやはり美人だったからでしょうね(全く男は!))というか、その美しさが表面だけではないと彼は思ってることでしょう。
またこれは決め手だと思うのですが、カイザーもマリンも、アフロディアこそが彼らの最も憎む男、ガットラーの最大の被害者であることを知っているから、最も救済したいかわいそうな存在だったのでは?と思います。
またマリンは彼女に対し、弟を殺してしまったという負い目を持っているのも見逃せないポイントだと思います。。

アフロディアがマリンに惹かれる理由は、一言で言うと「美男子でフェミニストだったから」。恋って単純??;;;
というか、なぜ彼女がフェミニストに惹かれるかというのにも、その必然性はあると思うんです。端的に言ってそれまでの男運が悪かったからでしょう(笑)。

アフロディアの描き方はライターさんによって、多少味付けが違ってました。一番愚かしく融通の利かない女性として描くのは酒井氏で、感情移入しやすい内面は可憐な女性として描くのは、首藤氏だったと記憶しております。酒井氏のアフロディアの描き方に不満を感じながら、一方で対照的にマリンの男らしさが際立っていて、なおかつその愚かな女を実は彼が強く愛しているという描写をしてたのも酒井氏だったんです。
アフロディアは首藤氏、マリンは酒井氏がいいなあとか、当時思ってました。
なんとなくこの作品テイストとして、水戸黄門の風車の矢七と親の仇とねらうお新のような(知ってます?)、江戸川乱歩の傑作「黒蜥蜴」の明智小五郎の女盗賊の関係を連想させられて、マリンはある種ありがち、ステロタイプの陰のあるヒーローでしたが(ボトムズのキリコに似てません?)、けれどアフロの方はなかなか類をみないキャラだった気がしてます。

2010/04/07(水) タイムパラドックス3〜アフロディア追想
※アフロディアの不安定さ
父母を無くして涙する可憐な少女が、なんであんな極悪非道の女になるのか、、、
それはずばりガットラーとの関係が歪んでいるからです。
父母を亡くし路頭に迷った幼い姉弟を救ったのは、昔父の部下であった男性で、彼女はそれを無条件の愛と純粋に信じたんです。彼女にとってガットラーは恩人であり父であったわけですが、ところが思春期になって、両親の死の陰謀に関わっていたという疑いを抱くことになります。彼女は葛藤の末、彼がそれまで注いだ愛を信じることに決めたという流れでした。
その時おそらく最初にガットラーと彼女が一線を越えたと類推できる描写が、酒井氏の小説にあったと思います。ただ、ガットラーは彼女を完全に支配するのが目的だったので、その後はマリンが要塞に入り込んだ時までは関係はなかったのではないかと思います。その方が、その後の彼女の説明がつけやすいので。

私は、アフロディアはそれまでのガットラーとの関係が変わったことが、彼女のアイディンティティにスプリットが生じさせ、後の不安定さにつながったのではないかなと思います。 源氏物語の紫の上でさえ、養父が夫に変わったことがトラウマになってましたが、アフロディアは自分が信じた無条件の愛が、実は愛人という契約関係を前提とされていたと悟った時、彼女は敬愛した理想の父像を喪失します。自らも功利的な男女関係に身を落としてしまいますが、彼女がそういう自分をうまく統合できるほど、タフではないことがだんだん破綻していく理由ではないかと思います。
彼女は自分を捧げることで、強大な権力による安全と弟の後見を得るしかなかったのですが、ここでミランの存在が大きく影響していた気がします。
ミランが生きていたうちは、ガットラーの寵愛を得ることが、弟の将来のための自己犠牲だと、どこかで彼女は正当化できます。彼女は自らの心の清らかさを守ることができていたんです。ところが、ミランがいなくなった時、弟のためではない彼女自身の人生と向き合わなければならなくなり、自分とガットラーとのいびつな関係を否が応でもつきつけられ、ひどく狼狽するわけです。
彼女はその問題に向き合うのを恐れるから、「弟の仇をとる」と異常なまでのこだわりを見せて、結局弟に依存して問題をごまかそうとしてるように見えました。

彼女が見たくない自分とは、実は、かつて父だった人、けれど男性として愛してもいない人に囲われている自分の「不純さ」ではないかと思うのです。。
守るべき弟がいなくなった時、ガットラーの支配を受け続ける理由を失ったタイミングで彼女の心を捉えた青年がマリンだったのではないでしょうか。
穿った見方をすれば、彼女が年下の男性を求めるのは、ミランの代償を得たいのと、汚れた年配の男性不信から来るものかもしれません。
また、彼女がフェミニストを求めるのは、彼女は軍の多くの男性の中にいて、好奇な眼に晒されることが多く、いわゆるセクハラに辟易していたからと思われます。女を捨てたと口で言いいつつ、女性としての尊厳を守ってくれる男性を求めたからかなと想像したりもします。

アフロディアが精神的な純潔さにこだわっていることは、劇場版や酒井氏の小説版で象徴的に描かれています。マリンに恋心を抱くアフロディアを再度支配するため、ガットラーは彼女と強引に関係を結びますが、結果的に彼女は精神と肉体の分断される苦しみを知り、本当は誰を愛しているかに思い及ぶわけです。
それ以後、彼女はガットラーの支配を逃れようとしますが、同時にそれが彼女の身の破滅でした。

確か、劇場版のキャッチコピーに「愛しているとなぜ言わないのか」という英文があったような気がします。それは彼女にはいえません。彼女は自分にその資格がないと思っているからです。ジェミーのような罪もない汚れない少女こそがマリンにふさわしく、自分はその対局にいる薄汚れた存在だと思っているからです。けなげだなあと思えて、彼女が好きでした。
考えてみれば、バルディオスの3人の女性の中で、素直に自分の気持ちをぶつけて、愛を求められるのはジェミーだけだという、、、、一人は偽りの愛人関係ゆえに、一人は愛した相手が妻子ある男性だったゆえに、、、、
そのあたりのメロドラマが作品にはまって、いい年こいても今なお語れる理由です。
 
もうこの話題は古いかもしれないのですし、皆様のとらえ方も変わっているかもしれないですが、つい思わず夢中で語ってしまいました。

30年近くも前の記憶だけが頼りで、一切何も残ってない中でしたので、独りよがりや思い違いもあるかもしれません。でもなんか不思議とバルディオスへの愛は、消えないですね。
故塩沢兼人さんもずっと好きな声優さんでした。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.