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2007/08/01(水)
命がけの脱阪
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8月1日午後3時。 レポート疲れで寝ていた私はむくりと起きた。 最後のレポートの期限は明日の1限。 余裕だろう…今日中に終わらせて部屋も片付け、この大量の洗濯物も処理して、明日はレポートを出したら工場の登録バイトでも行ってそのまま舞鶴に行こう…
と、一通のMLが流れる。 ゆいちゃんだ。
『>そしてあたしと真央さんは10時間半後(深夜0:45)より、 >舞鶴(京都北部)から小樽まで、フェリー20時間の旅に出ます。 >台風に巻き込まれないよう皆様からもお祈りをよろしくお願いいたしますww >』
10時間半後…? 真央よ、この意味がわかるか?。
つまりはこうだ。 8月2日午前0:45発のフェリーに乗るということは、8月1日の19時にはうちを出る必要がある、そういうことなんだよ。
ちょwwwwwwwwwwww
ないないwwwwwwwwww
慌ててゆいちゃんに電話、助けを求める。ろれつがまわらない。
落ち着け。今3時。優先順位は?単位とフェリーが同格、どちらも捨てられない、部屋の片付けを諦めよう。明日の一限出れないならどうするか、レポート、ボランティア論とってる人、さおちゃんださおちゃんに頼もう。落ち着け、大丈夫だ、落ち着くんだ。パソコンを開け、レポート要項を見ろ。
『ボランティア論レポート 事業計画書(最低5枚)』
最低5枚/(^O^)\ナンテコッタイ
その後私は光の速さでキーボードを叩き、ありとあらゆる脳内の引き出しを開けて知識をかき集め、思うように動かない海外糞メーカーのプリンタに罵声を浴びせ、5分で風呂に入り、5分で荷物を詰め、さおちゃんちのポストにレポートを忍ばせ、なんとか舞鶴でゆいちゃんと感動の再会を果たしたのである。
ああ疲れた。
またパンツ足りなかった。
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