毎日ねむい
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2008/02/29(金) 東南アジア2008春J
全身痛がゆい…朝から大混雑の検査場。これどうにかならないのかね…。そして腹が痛い…トイレを見つけるたびに入る。バーツを使いきるために買い物し、飛行機では爆睡。台北に到着するも乗り換え待ち約2時間…暇なので千円だけ台湾元に替えて空港内で遊ぶ。タピオカミルクティーが最高にうめぇ(゜∀゜)それにしても台北空港の人のいなさは異常。乗換便がなぜか成田経由ホノルル行きで、機内はわくわくした日本人学生グループばっかで満席だった。むかつくので中国人を装い話しかけんなオーラ出してった。成田に着いて直で新宿へ。奈津子と大須賀と再会する。おみやげのウケがよかった。茉莉香の仕事が終わったので池袋に荷物を置きにいき、着替えて再び歌舞伎町に繰り出しカラオケオール。さすがにそろそろふとんで寝たいです。

☆ここで軽く旅の反省
・現地のパッカーに比べても荷物は相当少ない方だった。というか欧米人が荷物多すぎ。あとはシャンプー類を現地調達にしてリュックを機内持ち込みにできれば荷物行方不明事件に巻き込まれなかったはず。
・蚊取線香使えない。というか意味ない。いらない。全身虫刺され合計142箇所。まだかゆい。
・10日で3か国余裕だった。ベトナムもいけたかも。タイとか全然見てないけど…なんか常に移動してないと腐ってく気がして駄目だ。
・10日で世界各国の100人くらいの人と喋った。英語できなさすぎて泣いた。南京虫にたかられながら泣いた。少しでもいいから留学したい。
・首からかける貴重品袋全然使わない。めんどくさい。
・一人めっちゃ楽だけど暇だ。強制力ないと観光する気起きない。
・なぜか結局3万近く換金してたのは交通費とビザ代のせいだと信じたい。なんでドミ泊まりで大して飲みにも行ってないし飯もろくに食ってないのにこんなに使ったのか謎。
・カメラほしいよう



パソコン画面の接写画像で画質悪くてごめんなさい。今年こそネットつなぎます…

2008/02/28(木) 東南アジア2008春I
約1時間遅れでフアランポーン着。眠すぎてフラフラになりながらカオサン帰還。なんか日本人増えてね?GH戻って寝る。起きたら隣りのベッドにタイ人のオッサンが…宿のおばちゃんが「この人お金持ってるからおごってもらいな」と言う。ムエタイ見に行くから、と軽やかに断って出ていく欧米人の女の子。ちょっと待ってよ私一人にこのオッサンの相手をしろと…勘弁して/(^O^)\結局逃げられず今日は一日中このオッサンと援助交際。どうせならとタクシー代も入場料も払わせてシリラート病院の死体博物館に行く。奇形児 preserve in formalin…。船に乗って対岸に戻り、自分一人じゃ絶対入れない高いレストランでいっぱい料理注文して食えなくなってなおかつ半分以上残す。もったいない(英語での表現に苦労した)と言うとウエイトレスさんに日本まで持って帰れば?と笑われる。アドレス教えてとしつこいオッサンがうざくなってきて、逃走。
一人でネタ重視でお土産を買い回る。MaMa2前で世話になった外人達とお喋り。イスラエル人の女の子に「クルクルパー」と言われ…ボブマーリー風のタイ人には「なんで英語しゃべれないの?TingTong?(←バカの意)」と言われ…
空港に向かうため用意してるとさっきのオッサンが見送りについて来るという。いらねーからサムイ島に帰れwやんわり断ったが「Never mind.」と笑顔で返され…空港VIPラウンジで飯www驚きの値段wwww「Never mind.」いやそういう問題じゃなくてわかったからもう帰ってくれwww無理矢理タクシーに押し込み、やっと一人になる。疲れた…。空港内のベンチで寝ようとしたら寒くて寒くて、結局外に出て敷地内のベンチで寝た。タイで野宿…まあ空港だから安全だけど…むしろ怪しいのは私です。警備員がこそこそこっち見てマークしてました。

2008/02/27(水) 東南アジア2008春H
朝起きたら何やら外人がわめいてる。胸毛の兄ちゃんが見せてきたのは血まみれのシーツwwwBed pax、南京虫です。言わんこっちゃない。南京虫は蚊と違って人の肌を噛みちぎるんですねえ。そして蚊よりかゆい。ダニの一種です。結構でかくて気持ち悪いですが私は完全防備だったので大丈夫でした。朝飯に塩ラーメンみたいなのを食いに行き、二度寝。
起きてちょっと離れたところにある北朝鮮レストランに行くwwwwwラオスはもともと社会主義だから友好国らしい。値段は高いが店内は完全に北朝鮮…ただならぬ雰囲気。テレビでは喜び組のステージ映像が流されている。夜来れば美女歌謡ショーが見れたらしい…。綺麗な朝鮮人ウエイトレス(派遣か?)が冷麺切ってくれる。こっそり写真撮る。冷麺に睡眠薬入ってて起きたらボートの上…ではなかった。日本人がこんな風に冷やかし的に来るのどう思われてるんだろう…。ちなみにバンコクから2000$で北朝鮮ツアーがあるそうだ。not cheapって書いてあった。
午後はバスに乗ってブッダパークに行った。ここ絶対つまんないと思ってたけど最高でした。正直アンコールワットより楽しかったです。普通の公園くらいの敷地に、これでもかというほどひっどいデザインの像がつめこまれている。どんな意図だよこれw誰か製作段階で注意しろよwwww笑いが止まらなかったよ。ラオスに来たら絶対寄って下さい。メコン川に面した公園内のレストランでBeerlao(水っぽい)を飲んで休憩。泳いで渡れそうな距離。きっと中国と北朝鮮の国境の10000倍は平和です。そこから直でイミグレに向かい、出国審査待ちで北見からバカンスで来たオッサン二人と話しトゥクトゥクに相乗りさせてもらい、ノーンカーイ駅へ。若さと勢いで今度は3等にしてみた。213B。やすっ。金がたくさん余って嬉しくてリッチに飯を食っておやつを買い込み列車に乗り込むと…これはひどいGの数wwww椅子かたいしめちゃめちゃさむいし寝れねぇよwwwGはやだよa lot of cockroach under my seatたすけて\(^O^)/ありったけの服を着ても寒いしきもいし寝れない…恐ろしき三等車…なんか怯えすぎて不審だったのか車掌さんにパスポート提示求められたし…

2008/02/26(火) 東南アジア2008春G
8時頃目覚める。快適…。予定時刻すぎても着かねえ。子供連れのおばさん親切だったなあ、子供DSやってるしこの寝台乗ってるあたり金持ちなんだろうな。電車のトイレは穴があいていて…下は線路(*^∪^*)糞尿垂れ流しかよ。みんなタイで踏み切り渡る時こけないようにね。何があったのか知らんが途中で降ろされて乗り換え、そっから数時間。結局4時間遅れ。4時間てwww何をどう間違ったらそんなに遅れるんだ…
ノーンカーイ駅からトゥクトゥクで国境まで行き、ラオスに入国。友好橋をバスで渡る。そっからビエンチャンまでバス。後ろの席に座ってる若い日本人女子二人…こんなところにいるのは…やっぱり東京外大ラオス語専攻だよwww1人はラオスに1年留学までしてた。すげえバイタリティーだよ。今年卒業で今回でラオスも見納めだそうだ。その子らの案内で日本人5人で(右も左もわかんなくて困ってる首都大の子がいたので誘ってあげた)ナンプ広場周辺まで連れてってもらう。この子が世界で一番おいしいというシェイク屋で飲む。おいしいけど店の人と普通にラオス語で喋ってんのが面白すぎてそれどころじゃないです。G.H.が集まってるあたりに連れてってもらい、解散してゲストハウス探す。サバイディーゲストハウス(80B)に決定。ビエンチャンは2時間で回れるとは聞いていたが、確かに何もない。金もない。街並みはタイに似てるが、なんとも平和で静か。ここが首都か。中国人経営の店が多い。しかしルアンパバーンまで行く時間はないんだよなあ…。町中の寺院は派手で見る価値ありそうだが、お坊さんが普通にいるので入りづらい。ラオス人愛想いいなあ。笑顔で接客とか日本以外で初めてだ。見てるみんな楽しそうなんだよな、楽しそうに働いてる。夜はメコン川沿いに屋台が並び、お座敷レストランが営業している。川の向こうはタイ。夜景がきれい。しかし観光客ばっかだなあ、日本人も多い。ほとんどのG.H.がFullで夕方に来た人達は宿がなくて困っていたようだ。宿に戻るとここもFullになっていた。同室のスロバキア人の女の子が陽気で、目をキラキラさせて日本のキャバで働きたいと言っていた。なぜに水商売www下のベッドの日本人には「長期滞在のパッカーみたいな風貌だよね、何人かわかんなくて話しかけづらい」と言われた。南京虫の話を聞いて長袖長ズボンで寝る。半裸で寝てる向かいのいかつい胸毛の欧米人が心配。

2008/02/25(月) 東南アジア2008春F
9時頃出発。バス難しい…停車時間3秒だからな。3本くらい逃したよ。走って行っても乗り込む途中で走り出すしwお年寄りとか大変だなこれ。
戦勝記念塔からミニバスに乗り、1時間半くらいでアユタヤ到着。方向わかんね。北がどっちかわからずうろうろ…暑いし飯代わりに毎日コンビニの炭酸ジュース飲んでら。デブ。
アユタヤはビルマに破壊された昔の王宮跡です。2、3km歩いてようやくお目当てのワット・マハータート発見。確かに仏頭が木に絡まれてる。仏頭より高い位置に立たないでくださいって…無理あるよこの位置。仏像全部頭がない。なんで頭だけ壊されたんだろ。
そこから更に2kmくらい歩いてウィハーン・プラ・モンコン・ボピットという西洋風な寺院へ。日本人ツアー客多いねえ。もう暑くて今日は荷物あるし歩けなくて500mごとに休憩。そのあとワット・ロカヤスタっていう寝仏見て帰ろうとしたらオッサンに「No moneyだから送ってってやるから車乗れ」と言われる。行く時も声かけられて怪しいから断ったけどあまりにNo money強調するので乗ってみたwww警戒心ゼロwwwwてか日射病気味で本当に死にそうだったから正常な判断力がなかったw
でも別になんともなかったよ。ワット・プー・カオ・トーン連れてってくれた。オッサン裁判官で普通に金持ちっぽくて普通に家族いて家でシャワー貸してもらった。家広え。なんの因果だw裁判官の制服自慢気に見せてきたけどいやすごいけどなんのつもりだったんだろう?私貴重品は手放さなかったしなあ、あ、でも普通の人はついて行かない方がいいよ。
で、16時には駅ついて暇すぎて困った。電車22時だよ…もう歩けないし諦めて近くのG.H.にシャワーと飯食いに行く。ここで5か国語を話す国籍3つの渋谷在住日本人?いやもはや何人か特定できないが顔は日本人、と喋る。この人の経歴がすさまじく破天荒でたまげた。しかも凄い人って繋がってて、波照間の西浜荘の息子とも顔見知りだった。世界狭え。この人の話が面白すぎてずっと聞いてたら時間になった。なんていうか凄い奴っていくらでもいるんだな。そして本人は凄いとは思ってないんだよな。またしても自分にがっかりだよ。
アユタヤ駅から寝台に乗り込む。高いだけあって超快適。窓があればもっと良かったのにな。

2008/02/24(日) 東南アジア2008春E
おばさんが早朝に出発したのでめっちゃ寝て起きたら欧米人一人しか部屋にいなかった。この欧米人寝すぎです。私今日は休息日です。だらだらシャワー浴びて繰り出す。服の卸問屋街みたいなとこで買い物する。暑いのでタンクトップと綿のスカートを。これで立派なタイ人です。フアランポーン駅に明日のノーンカーイ行き列車の予約しに行ったら寝台はエアコン付上段しか残ってない…662B…痛いです。でも汽車で行きたいんです!予約しました。そのままてくてく歩いてふとミスドに入ってみる。なんか品揃えが…なんか駄目だ…味もなんか…駄目だ…惜しい…
金なさすぎて何もできないし節約すんのもなんか馬鹿らしくなってきて6000円換金\(^O^)/
ていうかこのデパートWINTER SALEって…35℃でWINTERはないわ。
暇なので帰り、屋台でパッタイを食う。今日は日本人と喋ってねえな…特にこっちきて一人旅の日本人女一人も見てない。タイなんか全然安全だと思うんだがね。I'm lonely.勢いでタトゥーとかドレッドにしそうになる。恐ろしきカオサンの誘惑。
10日で3か国と言うとみんな忙しいねっていうけど全然暇だしwww寺とか見てねえからなwww

2008/02/23(土) 東南アジア2008春D
7:30のバスに乗ろうとして待ってたのにたらい回し。結局トゥクトゥクでポイペトまで行き他の客ですでに満杯のバスに乗せられる。座るとこねえw椅子持ち込みwwwこれはひどい。あっ朝飯代払ってねえや。まあいいや±0くらいか。
揺られ揺られ昼食。日本居住歴8年今は広州の大学の図書館司書のおばさんと、香港の出入国審査官の兄ちゃんと3人で。この兄ちゃんがあまりに爽やかすぎて困った。振る舞いがイギリス仕様で超紳士。でもねI can speak neither English nor Chinese何言ってっかわかんねwww不听不明白\(^O^)/
バスん中で4時間くらい喋ったがきつかった…私が1センテンス5回くらい聞き返すのに根気強く話しかけてくる。私がどんなにわからなくても決してその爽やかな笑顔を絶やさずに。
カオサンに8時頃着き、明日広州に帰るおばさんが泊まるとこないというので宿を紹介する。ドミ泊まったことなかったみたいでちょっと引いてたw「すごいですね…まあみんな学生でしょうし大丈夫でしょう。思い出にします」と。3人で屋台でおばさんおすすめのマンゴーご飯を食べる。おばさん好吃好吃言って食べてたけど…マンゴーとご飯はお願いだから別々にしてほしいよ…。ここらで鬱になってくる。この二人は広東語も北京語も英語もぺらぺら…おばさんに至っては日本語もぺらぺら…なのに私は7年も英語やっといて全く喋れず…カンボジアでは3才か4才の物売りの子でも英語ぺらぺら喋るのに…自分カスや。カス以下や…。誰とも意思疎通できない…悲しい…傷心で一人ビールを飲み、酔ってそのまま寝る。

2008/02/22(金) 東南アジア2008春C
朝からバイタクに乗ってアンコールワットへ。逆光だよ完全に。1時間半で見終わる。次にバイヨンへ。うんすごいね…暑い…。もうねアスレチックだよこれ。階段急すぎ。アンコールトムの遺跡郡は点在してて回るのが大変。なんか色々遺跡見たけど暑いし疲れて途中から全部一緒に見えてきた。タプロームとか出口迷って一周したし…。でもジブリ好きはいいんじゃないかな。神秘的だよ。レストランで休憩。ハンモックで寝る。腹痛い…なんかもう常時腹痛いな。運転手「その帽子とサングラス交換しよう」臭い頭で私の帽子かぶらないで下さい。あんた髪洗ってないでしょ?入場料20$もしたけど結局飽きて6時間半で見学終了。3日券とか絶対いらねえ。
ホテルに戻って昼寝。昨日の日本語ペラペラカンボジア人(名前忘れた)にヤマト(日本人経営のG.H.)に連れてってもらう。セイシロウサンイナイヨ…。深津からの手紙だけ渡して、飯を食いにいく。美味しくて地元民に有名で満席なこともあるという鍋屋。ほんとかよwその辺でもいできたような草と、もつのようなものが出てきた。「これ何?」と聞くと、「牛の脳と、肝」と…食べるとガリッと…あれ骨入ってる…牛…骨…脳…どうみても危険指定部位です。うわあああああああ
嬉しそうに自慢げに「おいしいでしょ?」って聞くからおいしいって言ったけどこえーよ大丈夫かよこれwwwww
そのあとなぜかこいつ(25才独身プノンペン生まれ)の友達の飲み会に付き合うはめになる。街灯のない暗い道を走り続け…「場所シラナイ」ちょwwww地雷注意の看板ありますけどwwwwwものすごい街外れの民家についた。確かにパーティーやってる。しかも結構本格的に…こんな田舎にターンテーブルとミキサーが…。若者にまじって談笑。いや、何喋ってるかわかんないけど…。女の子4人くらいと踊りに行く。カンボジアンミュージックでカンボジアンダンス教えてもらう。この女の子、13才なのにすでにビール4缶空けてた。まだ飲めるってよ。ごめんね私体力ないし飲めないし踊れなくてごめんね。このあとカラオケ行こうと誘われた(あるのか?)眠いので帰ることにしました。まさかカンボジアでこんなローカルなパーティーに参加するとは思いませんでした。まあenjoyしてたように見えたらしいので、良かった。
晩飯おごってもらったし色々連れてってもらえて楽しかったよ。ありがとう25才プノンペン生まれ。

2008/02/21(木) 東南アジア2008春B
朝5:55の汽車に乗るためCHECK OUTしようとすると、「シェムリアップ、バスヤスイヨ」と言われる。300B…まあまあか。国境からピックアップ探してもボられそうだし申し込んだ。ついでにノリでVISAも頼んだために後々めんどくさいことに…
二度寝したら寝坊して起こされる。待合場所では20人くらい待ってる。7:30発って言ったのに1時間半くらい待たされる。フィンランド人と話す。優しい。フィンランドも交通は時間通りだそうだ、same Japan.なげえよバス。ドレッドのいかにもな日本人パッカーと、同志社の4年生二人と喋って過ごす。ガイドブック通り、途中何度も止まって時間稼ぎさせられる。昼は指定のレストランで。食事に睡眠薬は入ってなかったよ。むしろ大麻すすめてくるこの日本人の方が怪しいよ一週間髪洗ってないらしいし。国境アランヤプラテートへ。ここで問題のVISAですよ。まあバスん中で気付いたけど、バンコクでVISA代払ってもちゃんと連絡行き届いてるわけないよね。案の定二重に払わされそうになる。「ゲストハウスで払ったんだ、また払えってか!?」「だってVISA貼ってないじゃん」「でも確かに払った」ここで払ったら負けだと思い、つたない英語で20分くらいもめた。そしたらバスのガイドが来て説明したら、とうとうVISA出て来たー!ほらね。やった。ほんと泣きそうになったけど諦めないでよかったよ。私やればできるよ。
ここからようやくカンボジア。5時間悪路…。22:00頃、とあるホテルの前で降ろされる。いいホテルを予約していた同志社2人と、どうしても2$で泊まりたいドレッド男と別れ、私はここに泊まることにした。別にシングル3$なら安くない?北京での経験上、客引きとか斡旋されたホテルが必ずしもぼったくりではないと思う。むしろ交渉で安くなったり。日本語ペラペラのカンボジア人にツアーの組み方相談しながら飯食う。バイクチャーター30$とか言い出す。馬鹿言うんじゃないよ、全部で70$しか持ってきてないよ、と言うと「70$!?全部で!?日本人なのに!?」とあきれられその場にいたカンボジア人に笑われる。以後彼の表情が諦めムードに…。「旅行とかして大丈夫なの?日本でアルバイトはしてるんでしょ?」と私生活の心配までされる。更に「あんたカンボジア人に見えるから、カンボジア語喋れれば入場料タダなんだけどね」と。それは惜しい事をした。ギリギリまで交渉して寝る。

2008/02/20(水) 東南アジア2008春A
朝起きて全身ベタベタで自己嫌悪になりながら下に降りてみると…荷物届いてた\(^O^)/奇蹟w
テンション急上昇でシャワー(水)に入り洗濯し、11時にCheck outし移動する。この辺で腹痛に気付く。痛い、痛いぞ…何食ったっけ…なめてかかって薬何も持ってきてない…初めて気付く正露丸の存在の大きさ。昨日教えてもらったドミ1泊80B(約280円)のKIKKIKKIK G.H.へ。おばちゃん「You look like タイ人ネ」早速。部屋は2段ベッドが4つ並ぶ男女混合の大部屋でシャワートイレ共同。これぞドミトリーという感じ。欧米人のすくつだった。友達と来たら絶対こんなとこ泊めらんないね。荷物に厳重に鍵をかけてるのは私くらいで、みんなぐっちゃぐっちゃに広げて警戒心ゼロ。しかしなんで欧米人って荷物多いんだろうね。
ベッドを確保したので横になる…だめだなんか腹が痛すぎて気分がどんどん落ちる…
そのうち治る!と言い聞かせて繰り出す。とりあえずフアランポーン駅を目指して歩く。暑い…遠い…電車予約しようと思ったら予約カウンターもう閉まってた。その後チュラロンコン大学を通り国立競技場くらいまで歩く。タイの女の子みんな細すぎ。大学生の制服がピチピチしたミニスカートでエロい。美人と不細工の差が激しい。歩きまくってたら腹なおってきた。MBKセンター(デパート)で8番ラーメンを食う。味噌らーめん残念だった。外で休んでると、女児用パンツを大量購入してる男二人が隣りに座ってきた。満足そうに大量のパンツを広げて眺めているのでガン見してたら絡まれた。エジプト人だった。多すぎだろ、というといやこれは妹とか母親に…って必死に弁解し出した。しかしその量はないだろ。一緒にパタヤビーチにいかないかと誘われたが性犯罪の臭いがプンプンするので丁重に断った。
カオサンに戻り、徘徊。暇だなあ…居心地いいし廃人になりそう…ネットでもするか…
ちなみに本日の総歩行距離は10kmくらいか。好き勝手歩けるのが一人旅の醍醐味じゃないか。53番のバスがフアランポーン駅に行くと知ったのは旅も終盤に差しかかった頃だったな。
明日の予定を宿のおばちゃんに伝えようと一生懸命覚えた英語で話すと、ふつうに「え?何時?」って返された。
欧米人グループ楽しそうで羨ましいけど英語しゃべれないから入れないや。蚊に刺されすぎてデング熱が心配です。
てかこっちそもそも掛け布団の概念なくてワロタ

2月絵日記の続き


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