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2009/03/31(火)
卒業
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本日をもって、1年半続けた某局での報道CAのバイトを卒業致しました。
理由は…単位がとれてなさすぎて平日丸一日空けるのが辛いってのもあるけど、なんか自分に満足してしまって向上心がなくなってしまったためです。
最初はこんなに恐くて辛いバイトがあるんだと雰囲気に圧倒されて、でも失敗したから辞めるとか怒られたから辞めるとかそんなのは絶対嫌で、意地だけで続けてました。
慣れてきたらちょっと楽しむ余裕も出てきたけど、相変わらずバイトの前々日から鬱なのは変わらず、いつ辞めてもいいなぁと思いながらも、漠然と自分の中で「ミキサー持たしてもらえるまではやろうかな」と思ってました。
あまりに精神的にしんどくて、去年の10月からは週1に減らしました。 始めた頃は自分の名前が名簿の一番下にあったのに、気付いたら自分の下には若いバイトの子がずらっといて、なんて入れ替わりの激しいバイトなんだと思うと同時に、そんな中で続けられてる自分にびっくりしました。「今日初めてなんです」っていう新人の子に丁寧に仕事を教えても、二度と来てくれなかったこと、10回以上ありました。
11月だったかなぁ、むちゃくちゃ怖いカメラマンと一緒に紅葉を撮りに、京都に行きました。
…初めてミキサーを持って。
いつものように怒鳴りながらも「今日で覚えろよ」と丁寧に教えてくれました。 1年半やっても覚えることはまだまだ無数にあります。どんどん上のレベルを求められるようになって、時間だけが過ぎていって、この先どうしようと思い始めました。バイトだからできなくていいという人もいるけど、続けるなら覚えていかなきゃいけないし、カメラマン志望でもないのにそこまでして技術身につける気もなくて…。音声はまだしも照明はまったく組めない。あ、自分これ以上やる気ないかも、とか思って。4回生が沢山抜けるこの時期に便乗することにしました。
上司にへらへら笑って媚びてる人達が嫌で、職場では極力喋らないで必死にポーカーフェイス装って、淡々と仕事だけするようにしてました。それでもめげずに絡んでくるカメラマンの皆様には本当にお世話になりました。 そんな辛い日々の中で、たまに416(ガンマイク)誉められたり、ありがとうって言ってもらえたり、よくそんなに荷物持てるなって言われたり。そういう小さな達成感が嬉しくてここまで続けられたのかもしれない。
色んなとこに行きました。出張で西へ東へ。 おいしい物もいっぱい食べました。
府庁、市役所、裁判所、地検、JR、府警あたりはもう何度行ったかわからない。知事も何度囲んだことか。 新人記者が入ってきた時には一緒に原稿考えたり、記者の代わりにマイク持って街頭インタビューしたこともあった。 アナウンサーはみんな綺麗で優しかった。 夜中3時に起きてタクシー出勤したり、胃腸炎で正露丸飲みながら徹夜取材行ったり… 時給800円なのに日給16000円になった日もありました。
本当に過酷なバイトでした。社員はもっと大変。 とにかく常に急いでいました。「さっき手のあいたあの3分でやっておけば」ってことが何度もありました。 それを逃すと二度とできないのです。そして怒られる。
自分自身、本当に強くなりました。 即座にその場の空気を読んで把握する能力、先の先まで考えて素早く行動する能力、走りながら字を書く能力、が飛躍的にアップしました。
後にも先にも二度とない経験だったと思います。 お世話になった皆様、本当にありがとうございました。
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