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2009/09/27(日) During the past week,A
結局ほとんど寝ずに、次の日から学校でゼミ合宿。
得意の発作で人の発表を大いに妨げた。

ちなみに、4月から所属しているこのゼミで私は酢豚のパイナップル並に浮いている。周囲を圧倒するやる気のなさが原因だ。
合宿とはいうものの、日帰り×2日の形で本当に良かったと思う。

1日目終了後、数時間の仮眠をとり、明け方から発表のレジュメ作りに取りかかる。旅もテストも発表も、準備は当日派である。

27日午前5時。
突然、うちのアパートにけたたましいベルの音が鳴り響く。火災報知器である。ドアを開けて左右を見るが、誰も出てきていない。

ええ・・・もっと関心もとうよ・・・火災報知器鳴ってんだぜ・・・小学校の時にあれだけ訓練したじゃん・・・

一向に鳴り止む気配がないので、とりあえず外に出て、一周してどこかから火が出てないか確認する。
火災報知器というものが、どの程度の煙や火で反応するのかがわからないので誤作動と断定はできないが、見てわかるほど燃えさかっている部屋はない。ここまでして、ようやく他の部屋の住民が3人ほど出てきた。

どうする?とりあえず火災報知器とめたいよね。ということで報知器の製造会社に電話。貼ってあった記録によると、最後の点検が3年前。しかも留守電。24時間対応じゃないのかよ・・・。

となると、消防か警察か、うーん火出てないし、指示を仰ぎたいから先に110番にかけてみよう。地味に初110番。
次に大家さんに電話。奇跡的に起きてらっしゃった。事情を説明して来てもらうことに。

なんていうか、こういう時でも動くのはやっぱり自分なんだなと思うとため息が出る。

この間も一向に鳴り止まないベル。
隣や向かいのアパートからも人が出てくる。
正直、火災保険の更新をしてないので、火事になられると相当困る。
あと、早くレジュメを作り始めないと間に合わない。

警察到着。顔見知りの巡査じゃなくて良かった。
しかし箕面警察、私が関与する別件と合わせて3,4回はこのアパートに来てるのではなかろうか。
今年はお歳暮でも渡さないと・・・。

パトカー1台バイク2台の大騒ぎ。
「たぶん誤作動ですけど」というのは電話の時点で伝えてあったが・・・。
ああだこうだやって10分後くらいに報知器を止めてもらった。
その後消防車到着。
まあ誤作動とはいえ集合住宅だし一応来ちゃうよね。
大家さんも来たのであとは任せて、部屋に戻る。

火災報知器の点検、学校ではたまにやってる風景見るけど、本当に大事だなと思った。

結局、レジュメが間に合わず、発表順番を変えてもらって遅れて行く。
いつもはコピペしても文体変えるくらいの手間はかけるんだが、そんな時間もなくあからさまな感じに。
3年は一人10分の発表時間だったが、いつもの態度の悪さに加えマスク+しゃがれ声なせいか、同級生のみならず4年生も怯えさせてしまったようで、私に限ってまったく質問が出ない。先生も「興味深く聞かせてもらいました」の一言で特に突っ込まれず。
まあみんな疲れてるんだろう。
ゼミ合宿終了後、懇親会が開催されるようだったが、行く気もないけど行ける立場じゃないよね。

帰ってきて爆睡して目が覚めたら3社目のESが締め切られてた。

インターンでは全部出したのに本採用出さないとか終わってる・・・やる気も自信も完全になくなった。どうしよう。

賞味期限を5日過ぎて緑がかったきた豚肉を食べながら案ずるのは自分の胃ではなく、もっぱらこの先の人生だ。

fin.

2009/09/26(土) During the past week,@
シンガポールあたりからしんどいなとは思っていたが、マラッカで咳が出始め、クアラルンプールでは時折起こる発作で眠れないほどになり、ドミトリーの人には迷惑をかけまくっていた。

税関ではサーモグラフィーで体温チェックをしていたが、例によって私は熱が出ない体質なので特に追及されず帰国。

以降、かれこれ一週間以上咳がとまらず。

髪を黒くしたので長い髪がうっとうしく、半年は行ってないだろう美容室に行き、10cm切った。
咳をする度に頭が振動し、美容師さんはさぞ切りづらかったことだろう。
男性の方は10cmも髪を切ったらなくなると思うが、私は10cm切っても誰にも気付かれない。地味に2年半ぶりの胸上なのに、自己申告しても微妙な反応しか返ってこない。

さて、咳くらいで病院行くかよwwwと思ってたんだが、24日に遊びにきた友人二人があまりの騒音にしびれをきらし、とうとう私を病院に連行する。

1年半ぶりのおざわクリニックである。
カルテ残ってるんだろうか。
保険証はあるものの一度も保険料を納めていない。
果たして3割負担で済むのか。

相変わらず老人で大混雑である。
受付のお姉さんは空気を読まない大勢の老人に同時に話しかけられ大パニック。気の毒だ。
おじいちゃん先生一人でこの量さばくのか…なんという老老介護…こりゃ3分診療でもしょうがないな…と思ってたが、おざわ先生は真摯であった。

先生「熱は?」
真央「ないでゲフォッゲフッす。」
先生「また中国でなんか変なんもらってきたんとちゃう」
真央「なぜそれを…ゴホッゲフッあっ…(前回のカルテに「中国帰り」の文字)。否定できない…」
先生「辛そうやな。抗生物質出しとくわ」
真央「あっ、あれ欲しいです。気管支拡張剤テオスロー!(2007年1月16日参照)」
先生「それは喘息の薬やで。まあええけど。じゃあ出しとくわ。どれか効くやろ」

会計にはきちんと国保が適用されていた。申し訳なくなった。
薬の量が半端ない。確かにこれだけ飲めばどれか効きそうである。


しかし、菅原はバカだった。

その夜、台所まで数m歩くのがめんどくさいという理由で手元に残っていたビールで薬を飲んだのである。もう22歳のいい大人がである。救いようがない。

2人を送ったあと、ゆかちゃんちに晩飯をいただきに行った。
手作りのシチューに舌鼓を打ち、女4人のガールズトークに花が咲き始めた頃…突如、激しい動悸と吐気が菅原をおそう。

せっかくなのでゆかちゃんの携帯で脈を測ってみた。すごいなあ最近の携帯は…と感心している場合ではない。
座ってるのに106。安静時に100を越えるのは明らかに異常である。
「アルコールと風邪薬を一緒に飲むと効きすぎて危ない」という知識を私以外全員がもっていたことに驚き、同時に自分の無知と浅はかな行動を反省する。

そうこうしているうちに脂汗が噴き出し、呼吸が荒くなってくる。布団を敷いてもらうが、吐気のために横になれない。
みんなが各々の携帯で対処法を調べてくれるが、危険性を強調する記述ばかりで対処法は見つからず、「救急車」の3文字が頭をよぎる。
しかし、こんなバカを搬送するために尊い税金が使われるくらいなら、官僚の皆様でお食事にでも行ってもらった方が幾分有意義である。
安静にし、水を飲んでアルコール分の排出に努めることにする。


3時間後、ようやく落ち着く。


とりあえず、関係者各位に心からお詫び申し上げたい。
本当に申し訳ありませんでした。
いい加減大人にならなくては…色んな意味で。

2009/09/22(火) 参考・これからバックパックで旅行する人へ
○今回の持ち物(=平均気温25〜30度の国を旅する場合)

※バックパックに入れていたもの
☆衣類(着てるもの含む)
・パーカー1(薄手)
・長ズボン1(ユニクロのワークパンツ、筒下のゴムで丈調節可、すぐ乾く)
・半端丈パンツ(ユニクロの薄手のもの、すぐ乾く)
・ショートパンツ1(リゾート色の強い国だったため。あと雨の時は長ズボンは濡れてうっとうしいから。露出に厳しい国だったら持ってかない。)
・Tシャツ3(すぐ乾くもの)
・下着3
・タオル2
・シャツ1(寺院とかレストランとかちゃんとした所入るとき襟付きあると便利、日焼け防止に羽織るのも)
・靴下2(1回もはかなかった)
・スニーカー1(1回もはかなかった、でも山とか登るならいるかも)
・サンダル1(脱げないもの)
・圧縮袋(以上の物を一つの袋で圧縮する。100均の使ってるけどすぐだめになるw)

☆その他
・シャンプー、リンス
・せっけん(これで体も顔も服も洗う)
・はぶらし、歯磨き
・ボディタオル
・せんたくひも
・整腸薬(正露丸とか?気休め)
・絆創膏
・スーパーの袋(日本のはしっかりしてる。風呂道具入れたり)
・おわん、はし(自炊するときは重宝する)
・目覚まし時計(小さいのがあれば便利)
・化粧品ポーチ(どうせ化粧しないけど)

※持ち歩き用肩掛けバッグに入れるもの
・ガイドブック(歩き方信者です)
・メモ帳兼日記帳(言葉通じない時筆談にも使う)
・3色ボールペン
・ウォークマン(どうせ毎日ネカフェ行くからUSBで充電できる)
・財布(普段使ってるのではなく、小汚いポーチです)
・パスポート、チケット、日本円、クレジットカード
・学生証(使えるところもある)
・南京錠(バックパックにもつけるし、部屋鍵かかんないときも使う)
・カメラ
・携帯用枕(ふくらますやつ。便利)
・トイレットペーパー(ない所もあります)
・電卓(日本円でいくらなのか計算する)
・携帯(使えないけど、バックパックには入れない)
・ビオレパウダーシート(バックパック行方不明になったら風呂に入れなくなるから)
・腕時計(安いやつ)
・水
・電子辞書
・帽子
・日焼け止め

※途中で必要になって買ったもの
・折りたたみ傘(台風シーズンでした・・・)


最悪バックパックが行方不明になったりとられたりしても生きていけます。持ち歩き用はリュックではなく肩掛け派で体の前に来るようにしてます。貴重品腹巻きはしない派です。このバッグは常に肌身離さないようにしてます。
私はめんどくさくて財布一つに全部入れてるけど、本当はパスポートのコピー別の場所に入れといたり、日本円分けたりしなきゃだめだよね。
今回忘れたけど、ストール1枚あると便利です。
関空出発時、バックパックの重さは4.9kgでした。帰りもせいぜい6kgくらいだったと思います。
かなり軽い方です。しょったまま観光できます。欧米人のバックパックには何が入ってるのか誰か英語で聞いてみてくれませんか?

○海外のネカフェで
日本語表示はできるけど、そのままだと日本語が打てないことがよくあります。ヨーロッパの一部地域では表示すらできないので諦めましたが・・・。
日本語を入力したいとき、言語のオプションいじっても日本語が元々インストールされてない場合があって面倒です。ちゃんと設定すればどうにかなるんでしょうが、私はめんどくさいのでSumibi.orgというサイトを使ってます。これもこれで少々めんどくさいですがローマ字から日本語に変換できます。

2009/09/21(月) アジアで現実逃避一人旅・まとめ
○両替状況
香港 5000円を香港ドルへ、中国元の残りも
深セン 2000円を中国元へ
シンガポール 3000円と、香港ドルの残りをシンガポールドルへ
マラッカ 3000円をリンギットへ
KL 2000円をリンギットへ

計15000円

今回割と物価の高い国ばかりで、更に後半調子にのって使いすぎた。いくら両替するかって難しいよね・・・。
私はびびって空港や国境ですぐ両替してしまうのでかなり損していると思う。

就活前最後の長期休暇ということでどっか行っておきたかったんだが、金がないので近場にせざるを得ず、モンゴルか東南アジアか迷ったあげく東南アジアを選んだのだが、楽すぎて何の危険もなく本当にゆったりと過ごすことができた。むしろ旅が楽すぎたため、他のことを考える余裕ができてしまい、帰国後の現実に常に怯えていた気がする。9月末〆切のESが結構あったので旅程をいつもより短めにしたものの、あんまり意味なかった。鬱。

途中降機無料で香港&深センに行けたのはよかった。しよう子んち泊まらせてもらったことで多少卒論テーマ発表もしやすかった。

さて、これから1年間海外旅行は自粛しようと思う。

大学入学後、初めてパスポートを作った。
かおりんに誘われてみんなで中国に行ってから、長期休暇の度に平均2週間〜1ヶ月は海外に出ていた。
訪問した国は20ヶ国になるが、結局英語は喋れない。

もちろん大学生活では他にも腐るほど色んな経験をしているが、他人に聞くとやはり私のイメージは「旅」なようで。
ESを書いていると自分が「なぜ」旅をするのか、考えなくてはいけなくなってくる。
旅に出たいという衝動には理由がないので困っている。

ボランティアや留学といった目的のある海外渡航とは違う。

旅によって得られるものは沢山あるが、最初から明確にこれを得たいと思うものがあって旅に出ているわけではない。
名所旧跡を見るのは好きだが、それ自体よりそこに至るまでの移動を楽しんでいて、辿り着くと満足してしまう。

となると私は知らない土地に移動したいから旅している。
というか、旅という言葉自体に「知らない土地に移動すること」という意味が含まれているので、結局のところ、私は旅するために旅しているのだ。


・・・・こんなこと書いたら「は?」って言われて落とされるんだろうね・・・。



就活が終わったら、チリ、ペルー、トルコ、エジプト、イスラエル、モンゴル、アメリカあたり行きたいなあ。

2009/09/20(日) アジアで現実逃避一人旅G
5時にバイブで起床!!
しずか〜に荷物をまとめ、宿を出る。フロントのじいさん朝早。
スタッフは親切だったけど、長く住み着いてる人が多い微妙な居心地の宿だったな・・・。
5:50頃最寄モノレール駅に行ったらまだ開いてなかった。始発は6時すぎっぽい。
10分ほど待って電車でKLセントラル駅へ。
腹が減ったが空港行き特急電車のきっぷを買ったらRM3しか残らん。
空港まで他にろくな交通手段ないのにRM35って高すぎだろ、1000円て・・・今まで泊まったどの宿より高いわボケ。他に安い方法用意してくれ・・・。
残ったRM3でコンビニでパンとりんごジュースを買う。パンのレベルが意外と高い。
ガラガラの特急電車で空港へ。チケット発券し、世界第二の大きさだというKL空港内をぶらぶらする。
飛行機は激混みで咳うるさくて本当申し訳ない。具合悪い。
香港で乗り換え待ち3時間。最後のタピオカココナッツミルクを飲む。
関空行きはさすがに日本人でいっぱいだったが、一番後ろの席だったので心置きなくシートを倒すことができた。こんなことに気使ってんの日本人くらいだろうな。
0時頃帰宅。お疲れ様でした。

2009/09/19(土) アジアで現実逃避一人旅F
10時頃起床。
シャワーを浴び洗濯をし、随所に「breakfast 7:00〜」って書いてるからてっきりFreeだと思って屋上に行ったら普通の食堂だった。なんだよ・・・別にいいけど。トーストとバナナマンゴージュースを頼む。
激しい咳をしてたら、ムスリムの姉ちゃんに「お前それ医者行けよ」って言われる。だよね。

12時頃出発。
みんな朝早く出ていくけど、KLのどこにそんなに見所があるんだ。
徒歩で国立モスク→ムルデカ・スクエア→マスジット・ジャメ→KLタワー→ツインタワー→ブギッビンタンというルートで観光。
国立モスクはモスクっぽくないしムスリム以外は入れない。広場は世界最大?の国旗掲揚塔がある。
マスジット・ジャメはモスクなんだが見学時間じゃなくて入れない。
KLタワーは森の中にあってたどり着くまで結構しんどい。
展望台は登らずに、隣のミニ動物園に入る。
消防車のホースみたいなヘビ、タランチュラレベルのクモ、真っ白い猿、5色の鳥など何かと派手な品揃え。
アライグマの交尾に遭遇。その場にいた欧米人と顔を見合わせ苦笑。

歩いてツインタワーへ。展望台は整理券がないと入れない。そんなものありません。

また雨降ってきました。

KLの原宿、ブギッビンタンへ。でかいデパートが林立。
どしゃぶりなのでとりあえず中に入る。forever21、MANGO、ZARA、TOPSHOPなど知ってる店も入っててついクレジットカードに手を出しそうになったがやめといた。どうせ1ヶ月後の引き落としで後悔するんだから・・・。
腹が減ったので隣の庶民的なデパートのレストランで中華を食べるが、米がまずい。今までずっとチャーハンとか味付メシだったから感じなかったけど、白米ヤバイ。この独特な臭いはなんだ?パサパサ感もそうだが、何か大事なものが間違っている気がする・・・臭いもん。
しかし、ミルクティーはやはりどこで飲んでも美味いのだった。

その後も周辺を徘徊し、お土産などを適当に買う。KL物価安くないなぁ。

ネットをして宿に戻る。
咳がひどくて、寝れません、みなさん、すいません、すいません・・・・
明日早く起きなきゃいけないんだけど目覚ましかけたら迷惑だろうから、携帯のバイブだけ設定する。起きれるかな・・・

2009/09/18(金) アジアで現実逃避一人旅E
8時頃起床。
シャワーを浴び、朝飯を食いに外に出る。中華の食堂がいっぱいあるんだが、レベルが高くて入り込めない。
すいてるカフェでミーゴレン(焼きそば)とミルクティーを頼む。飲み物はどこで何を頼んでも美味いなあ。飯も美味いけど。しかし絶対ついてくる甘いきゅうりの漬物が苦手。
荷物をまとめて11時頃出る。全員優しくて親切な宿だった。
ついでに出るとき宿のじいちゃんにバスターミナル行くバス停を訊いたら丁寧に教えてくれた。

バス停に向かう途中足の裏に釘が刺さって流血。何のイジメだよ・・・絆創膏持ってて良かった。破傷風なりそう。

ここでこの旅一番の衝撃。
バス停がない。どこ探してもない。教えてもらった場所だけでなく地図も見て確認し、周辺を3往復くらいするが見つからない。
すると100m先くらいにバスが停まった。人が乗り込んでいる。
―――――そう、バス停とは「バスが停まる場所」のこと。私は無意識のうちに、丸い看板にポールがくっついたアレを探していた。そんなもの最初からなかったのだ。人がいる場所にバスが停まるのである。・・・・そ、そんなんわかるかヴォケ!!
次のバスを待っているとちょこちょこ人が集まってくる。そして数分後、ちゃんとバスが停まり、無事バスターミナルにたどり着くことができた。

クアラルンプール(以下KL)行きのバスを予約する。余裕でとれるじゃん・・・てか本当に腐るほどバス会社あるな・・・満席になるわけがない。
バスに乗る前にミルクティーを一杯、これがまずかった。
13時発車、バスでは鼻毛が束で出てるインドネシア人の男にしつこく絡まれる。ガムだのパンだのをくれたが、怖いので口はつけないでおく。
それよりもトイレに行きたい。あと2時間ももつ気がしない・・・どうしよう、絶対このバス休憩しないよな・・・。
あれやこれや方法を考えるが特に思いつかず、真っ青な顔で尿意に耐えていたが、予想よりだいぶ早く着いて降ろされた。
ここKL市内か?まあいいやとりあえずトイレにダッシュ。
爽快な気分で戻り、人の流れに任せて違うバスに乗り換える。「プドゥラヤプドゥラヤ」連呼してるけどプドゥラヤってどこだろう、地図見て確認したいけどバスが混みすぎてて本出せない。ギチギチに詰められてバス発車、市街に近づくにつれものすごい渋滞。KL市内でバス・タクシー移動は致命的だな。
プドゥラヤに着く。中心部のようだが・・・ようやく地図を確認すると、泊まろうと思っていたチャイナタウンのすぐそばだった。
しかし何度目のチャイナタウンだ・・・。ゲストハウスに向かう。ドミは空いているようだったが、すごい人数が泊まっているみたいだった。有名なのか?そんなに快適ではなさそうだが。

16時頃から散策開始。
KLの印象は、歩きにくいバンコク、といったところか。とりあえずKLセントラル駅まで歩いてみようと思ったら途中からすごい雨が降ってくる。深センで買った10元の折りたたみ傘がこんなに重宝するとは。しかし今回、日程の半分くらいは雨降ってる気がする。そういう時期なのかしら。

雨降りすぎで観光する気なくしたので飯だけ食ってモノレールで帰る。セントラルマーケットやショッピングセンターをフラフラとするが特に欲しい物もなく、雨もやまないのでネットだけして帰る。ここまで毎日パソコン触ってます。

咳がひどくなってきて鬱気味、同部屋の皆さんごめんなさい。
とりあえず天気が良くなってほしい。

2009/09/17(木) アジアで現実逃避一人旅D
8時起床。シャワーを浴び荷物をまとめて出る。
クイーンズストリートバスターミナルへ。ジョホールバル行きバスに乗る。
30分ほどで国境。バスを降りて出国する。

シンガポールとマレーシアを結ぶ橋、コーズウェイは歩いて渡れる・・・んだっけ?ガイドブックには渡れるって書いてるけど、ネットでは渡れないって書いてたような・・・うろ覚え・・・とりあえず行けるところまで行ってみようっと。

途中までは歩道が普通にあり、さくさく歩いて行ける。が、雨が降ってくる。しかもどしゃぶり。
しかも半分くらい歩いたところでいきなりこの先歩行者通行禁止の看板。オイオイ・・・先に言えよ・・・。
どうしようかなあ、戻ろっかぁ、と思ってた時に、ちょうどよくバイクが停まってくれた。
やったぁありがとう♪乗る乗る♪
イミグレで降ろしてもらい、別れたところまではいいんだが・・・。
入国審査で「アンタ・・・なにで来たの?」って聞かれる。「バイクにのせてもらったぁ♪」って言ったら「ヘルメットは?」と。

あ・・・やべ・・・。英語わからない作戦に切り替える。

するとこいつ歩いてきたんじゃないか、という方向で処理されている模様。

「ここバイク専用レーンだから。」すいません知ってます。パスポート拉致られ、たらい回しにされるが、どこ行っても笑われる。
こいつ歩いてきたんだってよはっはー的な、まあバイクですけど。

係員が丁寧に歩行者用イミグレまで連れて行ってくれ、マラッカ行きたいというとそのバス停まで連れていってくれ、更にリンギット持ってなくてバス乗れないというと両替までしてくれ、見送ってくれる。ありがとう。ごめんなさい。
つーかシンガポール側の歩道最初から閉鎖しとけよ。
後日調べたところ、コーズウェイが徒歩通行禁止になったのは最近の話らしい。

バスはジョホールバルの長距離バスターミナルへ。
マラッカ行きのバスは無数にあるんだが、どこも値段は均一のよう。
マレーシアは一気にイスラム色が強くなった印象。
昼飯を買い込んで13時発のガラガラのバスに乗る。
休憩なしでマラッカまで2時間半くらい。そこから更に市内へ向かうバスに乗り換える。
バス停の名前言わないから、外見て目印になる建物を見落とさないようにしないと、と思ってキョロキョロしながら20分程バスに揺られ、あっここだ!!と思ってドヤ顔で降りたが、全員同じとこで降りてた。そんなに気張らなくても雰囲気で降りれたっぽい。
マラッカはアジアの田舎+リゾート要素もあってとても良いところ。今回一番気に入った場所。

さてまずは宿探しですが、薄っぺらいガイドブックしか持ってってなかったからホテルが2個しか載ってない。しかもあんまり安くないし・・・。
しかし人いねえな〜どっかないかな〜と思ってたら、ナイスタイミングで某局カメラマンにそっくりなヤクザみたいな華人のオッサンが声かけてきた。
ドミトリーRM12、いいんじゃない?ドミトリーなのに他に客いないみたいで一人占め状態だし。
何よりあのタイミングで声をかけてくる空気の読み方は賞賛に値する。ということで決定。1泊だし。
この辺で両替できるとこない?って聞いたらオッサン「カッフォー、カッフォー、」っていうから何かと思ったらカルフールかよ。
マラッカに来てまでカルフールかよ。

荷物置いて散策開始。
カルフールにはダイソーが入っていた。日本より高い。
とりあえずタピオカチョコレートミルクティーを飲む。美味い。

カルフールに隣接してマコタパレードっつうでかいショッピングモールが2件向かいあって建っている。
マイカル小樽みたいな感じ。

また明るかったので、マラッカの名所オランダ広場もひととおり見る。朱色の建物にド派手な人力車。
そこからチャイナタウンに入ると何を祝ってんのか知らないけどカラオケ大会とかやっててやたら盛り上がってた。
日が落ちたことを知らせるイスラムっぽいアナウンスが町内に流れる。ラマダン中のムスリムのみなさんはこれからお食事ですね。
川沿いにガス灯やイルミネーションで彩られすごいロマンティック。観覧車あるしほぼ横浜。

晩飯はマコタパレード内のフードコートでナシアヤムを食う。鶏チャーハンと名古屋風手羽先と甘いきゅうり、スープのセット。美味いけど辛いです。
デザートはもちろんタピオカドリンクで♪「チョコレートのタピオカドリンクはないのか?(中国語)」が通じた。中国人ぽい店員にはチャイ語で話しかけてみてるが、通じるが必ずどこから来たのか聞かれる。で、日本だというと「へえ・・・」という顔をされてペラペラ喋ってくる。
多分こっちの発音が微妙で、どっか中国の田舎のなまりだと思われてて、あんたどこの田舎モン?て意味で訊くんだろうけど、予想外に日本人だったって感じかね。

帰りにネットを1時間して帰る。

宿のスタッフのインド人と喋る。妻が日本人で神戸住んでたから箕面知ってるよとか言い出す。その割に日本語喋らん。

一人旅の日本人男性(奈良、35歳既婚)と喋ってたらヤクザのオッサンが半裸で乱入。話に入りたいらしい。

明日は金曜でイスラムの何かがあるらしく、マラッカからのバスは混むよとみんな口を揃えて言うが、もう1泊させるための口実なのかマジなのかがわからん。あんだけの量バスが出てたらどう考えても満席になるとは思えない。

結局ドミトリーは一人。かなり居心地がいい。マラッカ、おすすめです。

2009/09/16(水) アジアで現実逃避一人旅C
暑くて一度目が覚めたが、どうしようか迷って二度寝することにした。
海のきれいな島に行きたかったので、インドネシア領のリゾート・バタム島がビンタン島に行こうかどうしようか迷ってたんだが、ここ3日歩き回って疲れてたので、今日は安息日にすることに決定。

日本人男子で賑わう食堂をタイ人のふりしてスルーし、Freeの朝食(といってもパンと飲み物しか置いてない)を食らう。

今日はテレ朝のWebエントリー締切である。遠出しないならせめて出そうと思って下書きし、送信しようとパソコンに向かったのが11時。エントリー締切が12時。日本との時差1時間。
オワタwwwwww

猛烈にやる気がなくなった。これは酷い。
就活のこと、バイトのこと、人間関係、ゼミ合宿、もうこの先めんどくさいことしか残ってない。日本に帰ってから路頭に迷うのは目に見えている。
この旅は現実逃避以外の何物でもない、携帯の電波は届かないし、どれだけ寝ていても誰からも咎められない幸福、あと4日で終わり・・・現実怖すぎ・・・マーライオンの吐き出す水圧で死にたいです・・・

こんな感じでダラダラして午後から行動開始。今日はブギスの上の方へ。
アラブストリート→サルタンモスク
ムスリムしか見学できないらしい。

川を越えてリトル・インディア。店先に並ぶ色とりどりのサリーが美しい。
カレーが食べたかったんだが、チャパティじゃなくて変な円錐形のクレープみたいなやつか米しかないんだが、あれはどこの地域のカレーだ?
途中、今回意外にも初めてのタピオカミルクティーを飲む。まじで美味かった。
ヒンドゥー教寺院やイスラム教寺院を何件か見て、途中中国人で賑わう観音堂を通り、ブギスのファッションアーケードを通って戻る。

それでも暇だったので、国立図書館へ。
インドネシアのガイドブックが見たかったんだが、ロンリープラネットすら置いてなかった。
英語読めないので写真集や雑誌しか見れなかったが時間は潰せた。シンガポール来て図書館こもるとか終わってる(^0^)
いいんだ、今日は安息日だから。

暇すぎてデパートで就活用のスーツでも買おうかと思った。

動物園もセントーサ島も一人で行ってもなあという感じで、中心部は歩ききった感があったので、明日にはここを出ることにした。

宿の下の大衆食堂でナシゴレンを食べる。
更にブギスジャンクションの中でタピオカココナッツミルクティー(本日2杯目)をデザートに。腹がタプタプ。

2009/09/15(火) アジアで現実逃避一人旅B
7時起床。狭いシャワールームで水シャワーを浴び(お湯の出し方わかんなかった)、荷物をまとめて出る。宿のオッサンが寝てる。叩き起こして鍵を渡す。
地下鉄駅で香港ICOCAを払い戻し、パン屋で朝飯にエッグタルトとパンを買う。パン美味いなあ。中国だったらこのレベルのパン屋はなかなかないぜ。

空港到着。結局香港ドルも半分以上余ってしまった。搭乗までの時間、空港内の無料インターネットで時間を潰す。

シンガポールへ向け出発。機内食で腹を満たし、日記を書いて寝る。
東へ向かう飛行機は台風でキャンセルになってる便も多くて、心配だったが飛んでよかった。
シンガポール空港、中にプールとかあって焦った。

こちらでもEZリンクカードというシンガポールICOCAを買う。バスなんか小銭ないとおつり出ないことが多いから・・・。
地下鉄で市内へ。街並みはほぼ香港。

Bugisという駅で降りる。大都会。
地図を頼りに宿を探す。すげー暑いので迷ったが、物価も高いので一番安いファンのドミトリーに。
久しぶりのガチドミである。ファンあるけど、窓もドアも全開でほぼ外。虫とか大丈夫なのか、と思ったが案外何もいない。
日本人もいっぱいいる感じで朝食とネットが無料。部屋鍵はないが欧米人女子が荷物を広げてるのでまあ大丈夫なのだろう。

すでに結構疲れていたがまだまだ明るいので観光することにする。
モスバーガー外国で見たの初めて。
ラッフルズホテル→戦争記念公園の中を通って橋を渡り、世界三大がっかりの一つ、マーライオンパークへ。
期待を裏切らないがっかりなたたずまいである。(しかももうちょっとでかいのがセントーサ島にあるのを知らなかった自分に後日がっかり)
シンガポールの印象は・・・ほぼ香港。そして言うほど物価高くない。
ラウ・パサ・フェスティバルマーケットというフードコートでココナッツミルクを買って飲む。おいしいですココナッツミルク大好きです。

その後チャイナタウンへ。
シンガポールってミロ流行ってんの?どこ行っても飲み物にミロがある。「マイロ」って読むみたいだけど。
チャイナタウン・・・昨日まで中国いたのにわざわざ来るところではなかったが、土産物屋が軒を連ねていて楽しい。
中国人のオッサンがしつこくナンパしてくる。客引きでもないこういうオッサンは何が目的なんだろう。

腹が減ったので出てる屋台で適当にチャーハンを食う。さすがに今日は疲れたわ、半分も食えんかった。

地下鉄で宿に戻り、着替える気力もなくバタンキュー。

9月絵日記の続き


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