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2009/09/14(月) アジアで現実逃避一人旅A
9:00起床。
10:00、お父さんの泊まっているホテルへw
お父さんの会社の孫さん夫妻が合流、5人でホテルのレストランで飲茶。
ツッコミ所が多すぎるがもう気にしないことにした。
小龍包、焼売、お粥、油条など。おいしいです。
孫さん夫妻は6年も大阪に住んでいたことがあって、日本語ペラペラなのにしよう子と私には日本語で喋ってくんないwwwわかんないよぉ
ここでも結局ごちそうになる。

うちら二人を車で送ってくれたあと、お父さんと孫さん夫妻は普通にお仕事に向かいましたwww
しよう子の住民票をとりにいって、向かいの公園をアイス食べながら散歩し、ぶらぶらしながら途中でみつけた8元(120円)のTシャツを2枚買う。
深センにも観光名所というか遊園地的なところなら何ヶ所かあるんだが、入場料が高くて行く気にならなかったし、しよう子に会えたから満足。
居心地のいいしよう子の部屋を出て、一緒にバスで深セン駅へ。雨がひどい。台風らしい。
出国ぎりぎりまで送ってくれる。元気でしっかりやるんだよ。また行くし。

香港に戻る。
電車乗ってる間にガイドブック見てたけど、香港って夜景以外特に観光名所ないよな。本日の目標は、ビクトリアピークから100万ドルの夜景を見ること。以上。
まずは今夜の宿を探そう。
安宿がビルいっぱいに入っているという尖沙咀の重慶大厦に向かう。
一歩入った瞬間から・・・すごい多国籍wwww犯罪の香りがプンプンするけど大丈夫なんここwww
安宿がいっぱい入ってるってのはわかるが、いっぱいありすぎてどこにしよう、めんどくさ・・・。
と思ってたらナイスタイミングで客引きが来る。
うさんくせえと思いつつ、最大限の警戒心を持って客引きにホイホイついていくのが菅原。もちろん相場は事前に把握しておくけど。
80HK$と100HK$の部屋を見せてもらう。香港はドミがないのか、狭いけどシングルだった。相場が100〜200らしいから、まあ妥当か?
一応ホテル決める時にはシャワー・鍵・南京虫チェックはするけど、正直騙されずに安く寝れればどこでもいい。
先払いで領収書ももらったのでまあ大丈夫だと信じて。

さて、外は酷い暴風雨だがビクトリアピークに向けて出発。
ビル前で喋ってたネパール人に「これからビクトリアピークいく」っつったら全力で止められた。

20:00。尖沙咀の海からもすでにかなり綺麗な夜景が見える。天気良かったらもっと綺麗だったんだろうな。
スターフェリー乗り場へ。
おっとカメラクルーがいっぱいいる・・・これは・・・「台風8号による暴風のためフェリー運休」・・・ですよね〜。
しょうがなく対岸には地下鉄で向かう。中環駅からピークトラム乗り場へ向かうが、こちらもやはり運休。
まじか・・・夜景以外何もないのに見れんとはがっかりだな。
考えた末菅原が出した結論は・・・「トラムがないなら歩いて登ればいいじゃない」。

かくして台風直下の香港で夜の単独登山が始まった。
ビクトリアピークの標高は554m。藻岩山が531m。
山頂まで行く自動車道があり、道は悪くないのだが、なにしろ激しい暴風雨で折れた枝が突然降ってきて危険。
横を通るいかついスポーツカーの走り屋がびっくりして減速し、三度見してくる。
1時間半ほど登り、8合目くらいまで来ただろうか、終電のタイムリミットとなり、泣く泣く下山を決意。
途中、ちょっとひらけた所から撮ったこの画像が精一杯。それでも一応ビル群を上から見下ろせたし、100万ドルとは言わないが努力を汲んで60万ドルくらいの夜景にはなってるのではなかろうか。
夜景のためにここまで頑張る日本人も珍しいだろう。

ボロボロになって尖沙咀帰還。ずぶ濡れで捨て猫のよう。
腹は減ったがもう23時を過ぎていたので飯屋があんまり開いてない。マックでチキンフィレオと、フルーツ屋でマンゴー杏仁豆腐セットを買って持ち帰り、部屋で食べる。
足の裏が痛くて、疲れすぎて風呂も入らずバタンキュー。

アホとしか言いようがないが、香港でここまで冒険できるとは思ってなかった。

2009/09/13(日) アジアで現実逃避一人旅@
昨年同様、引退収録→カラオケオール→途中で抜けて準備し寝ずに出発、という王道パターン。

6:30茨木→8:00関空。荷物は相変わらず少ないが、なんとかなりそうな国しか行かないので多分大丈夫。
眠い、とりあえず眠い。飛行機では後ろのガキが騒ぎ、私のシートを激しく蹴って来る。まじでキレそう。
中国人かと思いきや日本人の子供だし。勘弁してくれ。いつキレようと思ってたら機内食来て、食ったら眠くなって寝る。

13:00頃、香港着。入国審査では確かkeithが働いてるはずだが(※2008/02/23参照)、英語でメール打つのがめんどくて特に連絡はしなかった。
自ら英語上達の道を断ってますねwww仕事終わったら案内くらいしてくれたかもしれないのにwwww

ゲートを出たところで5000円両替。外暑い。蒸し方が大阪の比じゃない。
電車もエアポートバスも高いので、路線バスで市内に出ようと思ったんだが、バス停がなかなか見つからない。別に急いでないから焦らないけど。ダラダラ探してたらそのうち見つかるもんです、ほら、見つかった。

バスが無駄に2階立て。10分くらいで地下鉄東涌駅に到着。
いちいち小銭つくんのが面倒なので、地下鉄・鉄道・バス共通で使えるICOCAみたいなカードを購入。八達通ってやつ。
学割キャンペーンやってるみたいだから学生証出してみたけど香港人だけって言われた。
しかしみんなペラペラ英語喋るね・・・早口で何言ってるかわからない。ごめん。

車窓の風景が都会。でも正直、人を見てると「まあゆうて中国人だな」と思った。喋ってみたら中国人とは全然違うのかもしれないけど。
驚いたのは、エスカレーターで片側を空けていること。すごいじゃん!誰に習ったん!?って思った。

4,5回乗り換えして中国とのボーダー(国境、ではないよな)、羅湖へ。
普通に外国行くのと同じくらいめんどくさい出国手続きがある。
歩いて深セン河の上を通り、中国側へ。
元にいくら両替しようかな・・・1000円じゃさすがに少ないだろうと思って2000円しとく。結局半分余ったんだけど。
外出ると中国。羅湖(=深セン、らしい)は栄えてて、ビルがいっぱい。
売店からしよう子に電話する。外国の公衆電話苦手なんだよな・・・と思ったが一発でかかり、しよう子が出る。感動。
ちなみにしよう子はチャイ語のクラスメートなんだが、4日前に深センに来たばかりでこれから留学っていうところw1週間前に一緒に西宮ガーデンズで遊んだばかり。菅原押しかけるの早すぎ。

とりあえず最寄の深セン西駅まで鉄道で行こうと思ったが、票処で聞いたら、そんなとこいく電車ねーよバス乗れって言われる。
電車は広州いくやつばっかりで、深セン西駅はいわばJR難波的な位置にある駅っぽい。
バス乗り場で、深セン大学付近まで行くバスをしらみつぶしに探す。3分くらいで見つかる。1時間以上バス乗ってたが3元(45円)だった。安っ!!と思ったけど北京のバスは一律1元だよな・・・金銭感覚中国にしないとだめですね。

深大北門で降りたころには18時をすぎてて、バス停前の公衆電話からしよう子に電話して一番わかりやすい建物の前で待ち合わせることに。
深大は恐ろしく広くてキャンパスキャンパスしてて素敵。一歩外は中国なんだけど、大学構内入ったらなんかすごく安心できる。ここで1年過ごすしよう子は幸せだなー。

いい感じに夕日が出てきた頃、無事しよう子と再会。荷物を置きにしよう子んちへ。学校の近くの超きれいなマンションの17階に住んでやがった。オートロックだし下にコンビニあるしドア二重だし家具つきだし窓からの景色良すぎだしホテルみたい!うらやましい!

19:30、マンションの前でしよう子のお父さんと合流。なぜか3人で晩御飯wwwww
お父さんは深センと日本行き来して仕事してはって、出張の時は近くのホテルに泊まってるらしいです。もう、しよう子なんの心配もないねw
繁盛してる店を選んで入り、米麺と野菜をスープで食べる。割とベトナムに近いから、こういうフォー的な料理もあるらしい。
一緒に食べたナスの炒め物もキュウリの浅漬けも美味かった。
そしてしよう子のお父さんと青島ビールをお酌し合う。状況が面白すぎてもうどうしたらいいのかわからない。

結局、散々食って飲んでごちそうになり、お父さんと解散したあとはしよう子と街をぶらつく。
遅くまでやってるデパートや飲食店がいっぱいあり、見ているだけでも楽しい。

部屋にもどってPCを使わせてもらって(もうネット繋がってるのかよ)、二人でさっき15元で買った可愛いパジャマを着て無駄に写真を撮ったりして、嵐を聞いてテンションをあげるものの睡魔には勝てず、横になって3秒で寝る。

2009/09/12(土) 引退収録
FM Oh!まちかねというラジオ番組制作サークルに入っていました。

箕面市のコミュニティFM局で、毎週土曜午後5時から90分番組を担当させていただいてました。
ご存じの通り高校の放送局が楽しかったので大学でも何かしら続けたいと思ったのですが、元々大学に放送部的なものがなく、偶然勧誘されたこのサークルは純粋なラジオ好き・音楽好きが集まってる感じで、高校の放送局とはまた違った趣がありました。

入学当初は外大だったのでサークル数も少なく、軽音やテニサーの新歓も行きましたが肌に合わず、結局ここに落ち着くことになりました。

同期は自分含め3人でしたが、2年になる前に西麻央ちゃんはフェードアウトしていました。そうです、まおちゃんがもう一人いたんです。
おかげで私は北真央ちゃんと呼ばれていました。(北海道の北からきていると思われる)
西麻央ちゃんと二人で初めてやったコーナーでリスナーから苦情が来たこと、忘れません。

同期が少なかったこともあり、1学年上の子らとも相当仲良くなりました。一浪の強みです。女飲みと称して朝までガールズトーク(笑)を繰り広げたりもしました。テニサーに極度の偏見をもった非リアっぷりが居心地よかったです。

代替わりして上の代がごそっと抜け、新体制になりました。同期は結局私ととぅだけでしたが、めんどくさい部長と会計は彼に押し付け、更にめんどくさい編集は後輩のピーター(本名)に押し付け、私はのらりくらりと副部長兼編成を担当してました。
幸い優秀な2年生が10人以上いたのでなんとか問題なくまわってました。

ほぼ全ての宴会で幹事をやりました。合宿でのなりきりリア充きもだめし、まちかね祭フリマ、ハロウィンパーティー、生放送で餅つき大会、各種サプライズバースデイ等、みんなを振り回してやりたい事もやらしてもらいました。

一度放送内容に関してスタッフの方から忠告をいただき、柄にもなく会議を開いて話し合ったこともありました。実は私も入部当初から思ってたことで、自分の代になったらああしようこうしようって考えてたんですが、いざ自分の代になると90分埋めるのに精一杯でそれどころじゃなくなってました。が、これをきっかけに全員の意識が少しは変わり、(更に)真面目になった気がします。
とは言え私の基本スタンスは「サークルなんだから楽しく」が第一でしたが。

そうして代替わりから1年が経ち、あっという間に引退となりました。
今日の引退収録ではOBの方もたくさん来てくださり(遠くは横浜から)、1、2回生がそれぞれ卒業特集を組んでくれ、あたたかいメッセージをおくってくれました。

私たちは20分いただき、最後までネタに走り続けましたが、結局すべって終わりました。

最後の収録が無事終了し、おびただしい量のプレゼント、花束、手紙、アルバムをいただきました。

その後カラオケに移動し、一芸を持ったメンバーがそれぞれ十八番を披露。完成度が高すぎて、むしろ普通の歌を入れづらい空気が流れていました。
私は久しぶりに振り付き桃色片想いを披露しました。実はこの道一筋8年になります。

そして旅の準備があるので3時頃離脱致しました。


2年生には本当にお世話になりました。私も2年生の一部のような気分でいましたが、あなたたちとの間には昭和と平成という越えられない壁があったことを忘れていました。すいませんでした。

1年生は完全にひいてた方が多かったと思います。そんなに怯えた目をしなくても私はなにもしません。これから色んなことにチャレンジしていってください。

同期のとぅことセクハラ部長は手癖こそ悪いものの、誰よりもサークルのことを考えていました。たった二人で1年間、喧嘩もせずに続けてこれたのは、ひとえにあなたの懐の深さのおかげです。普通なら3回目でキレるであろう私の遅刻に耐え続け、トラブルの際には怒られ役となり…ストレスで髪の毛が…

驚異のスピードで伸びていましたね。

お疲れ様でした。


学生生活、色んなことに挑戦しましたが、なんだかんだで一番長く続けたのはこのサークルでした。
今後も何らかの形で関わっていけたら嬉しいです。

2年半、本当にありがとうございました。

北真央

※プライバシー保護といえど、集合写真に目隠し線入れる作業は複雑な心境になります。

2009/09/11(金) LLR vol.4
そんなにaiko詳しくないけど誘われたので参戦。

2階席で本当に良かった。
アルバム大体全部聞いたことあるはずなんだけど、5曲くらいわからなかった。
客層がいい。穏やか。
B’zのライブみたいに、稲葉さんになりたくてしょうがないホットパンツはいたオッサンとかいない。
あとaikoが初心者に優しい。

特記すべきは、名物スタッフ「ハタちゃん」。
普段は舞台袖で待機していて曲間にメンバーの楽器の入れ替えなんかをするサイドスタッフという役割なんだが、
aikoが歌ってる時、長髪を振り乱して終始ヘッドバンキングしている。舞台袖で。
生半可なノリ方ではない、常に全力なのだ。
チラチラ見えるからそっちに意識がwww

ぐぐってもあんまり情報が出てこないが、mixiにコミュがあったからつい入ってしまった。

2009/09/10(木) まちかね合宿B
今日はちゃんと朝食バイキングに行く。なんかすごい雰囲気悪いけどwww

部屋を片付けてぎりぎり11時にチェックアウト。

離れのコテージだったこともあるが、宿に泊まっているという感覚を忘れるほどの干渉のされなさが気楽でよかった。9月入ると客が減るのだろう、ホテル棟にはカップル客などがいたようだが、他のコテージは空っぽだった。サークルの合宿というのは周りに迷惑をかけずに騒げる環境であるかどうかが一番重要なので、その点ではかなり良かったと言える。

シャトルバスで賢島→近鉄で志摩駅へ。
電車の中で再びくじ引き、志摩到着後、班ごとに分かれて昼食。

昼食後全員集合し、鳥羽水族館へ。
鳥羽水族館といえばジュゴン。幼稚園の時に毎月配られたキンダーブックの「しぜん」という本で、「ジュゴン」の回があり、一度は見てみたいと思っていた。あの本にも載っていたジュゴンのじゅんいちに会えて感無量だった。長生きなんだね。
あとはツメナシカワウソがおすすめ。

電車までのわずかな時間でお土産を買ってもらい、17時頃鳥羽を出る。

20時頃鶴橋着。解散。

その後・・・鶴橋と言えば焼肉。どうせだからということで、若干名で反省会開催。
主にセクハラ部長への説教。

スタッフさんへのお土産の赤福を買い(鶴橋で)完全解散。お疲れ様でした。

2009/09/09(水) まちかね合宿A
私だけ、朝食のバイキングを食い逃す。

みんなうんざりした表情でそれぞれ適当に遊びに出る。

昨日買った2日分の酒を1日で消費してしまったのと、油の必要のために数人にはまたバスと電車を乗り継いで買い出しに行ってもらう。

海に行く人もいれば部屋でトランプする人もいたが、志摩スペイン村に行く人は一人もいなかった。

二日酔いの私にこの状況を取りまとめるのは不可能である。

昼食のサンドイッチを作りおいて、午後は女子4人で近くのテニスコートに。
高3以来のテニスだったが、相手をしてくれたみほちゃんが上手いので、ラリーは続くが、息が続かない。

17時に再び集合し、1、2年チームと3年&OBチームに分かれて、引退収録&引継ぎの話し合い。2年生は役職も決めたらしい。

その後、焼きそば&お好みコンペティションに向けて、各班に分かれそれぞれ調理を開始する。

それぞれ個性的な焼きそば&お好み焼きが出来上がり、試食と投票タイム。
普通のソース焼きそばが一つもなかったのが面白かった。

大浴場で汗を流したあと、全員で海に向かい、花火大会。湯冷め万歳。

帰り道で流れ星を見る。

宴会開始。もう知らね。

朝方、一部の人間で飲みなおして寝る。

2009/09/08(火) まちかね合宿@
所属するラジオ番組制作サークルの2泊3日の合宿。当然幹事。
ラジサーなんで特に何をするわけでもなく、普通にみんなで旅行です。
20名参加。

なるべく簡潔に書くように心がけます。

8:45にJR鶴橋に集合。駅の構造が複雑すぎて待ち合わない。

近鉄で伊勢市駅まで。

電車の中で献立を考える。料理だけは本当に無理なので、ゆかちゃんとかなたんには感謝している。

2日目夜に開催される焼きそば&お好み焼きコンペティション(完全にKBCキャンプのパクりですww)の班をくじ引きで決める。

伊勢市着。人数が多くて一つの店には入れないため、焼きそばコンペ班に分かれて昼食。
本当に観光地か!?と不安になるほど閑散とした伊勢市駅周辺。飲食店自体が全然ない。
まずいまずいとは聞いていたが、他に何もないので伊勢うどんを食べることに。
言うほどまずくない。
どんな焼きそば&お好み焼きにするか話し合い、必要な材料を書き出す。

昼食後、一度集合して買い出し班(4人、伊勢観光したことある人)と観光班(15人、主に現役)に分かれる。

私は観光班の引率。
伊勢神宮外宮参拝→バスで内宮へ
このバスの値段が高すぎて焦る。これだから田舎のバスは・・・予算ないのに・・・。

文句を言いながら内宮参拝。
広い、疲れる、時間ない、ということで本殿往復でせいいっぱい。
おかげ横丁の散策も急ぎ足で、赤福氷食べる時間もなく、おとうふソフトだけ買ってバス停に戻る。

再び伊勢市から近鉄で賢島へ。
はっしー&買い出し組と合流。
ここで「油を買い忘れた」という一見大したことなさそうで実はかなり重要な問題が浮上する。
駅周辺、宿周辺、何もないのである。
ホテルの人に相談しようということで送迎バスに乗り込む。

17:30過ぎ、アクアヴィラ伊勢志摩着。
かなり綺麗なリゾートホテルだが、どうせうるさいので予約は部屋ではなくコテージ。チェックインし、フロントに油の入手方法を相談するが、思いのほかどうにもならないwこんなに切実に油を欲したのは初めてです。

コテージ5棟に人を割りふり、夕食作り開始。
かなりなんでも揃ってるのになぜか炊飯器だけなかったため、米はガス炊き、全てゆかちゃん任せ。

料理できない人間が集まり、きもだめし実行委員会発足。コース選定に出かける。
理系男子が細かい調整にこだわるので時間がかかるかかるwww

戻ってきたらカレーができていた。
ガス炊きもうまくいった模様。何にも手伝ってない。

夕食中、突然ハッピーバースデー合唱が始まり、8月生まれがまとめて祝われる。うんこさんのぬいぐるみもらった。

夕食後みんなはホテルの大浴場へ。
が、準備の終わってないきもだめし実行委員会は仕込みのために風呂を諦め、再びコースへ。

みんなが戻ってきたのでくじ引きをし、去年同様男女1組のペアを8つ作る。さて、今年は何か生まれるかな。

結局スタートは0時頃。一周20分程。湯冷め万歳。

今年は「答えがわかったら怖いクイズ」を盛り込んだり、わざと迷わせる仕掛けにしたり色々工夫はしたものの、自分の持ち場であんまり驚いてもらえなくてへこんだ。

みんな楽しかったかな?

1時頃、ようやく宴会開始。

一部テニサー顔負けの粗相があったが、疲れて風紀管理する元気なかった・・・。
デジカメに残った写真が当時の惨状を物語っている。もうウォッカ買うのやめない?

朝方就寝。

2009/09/06(日) げんつきとわたし
去年の秋辺り、バイトを3つかけもちしだした頃。
溜まり続ける疲労の原因は職場のストレスももちろんあるが、何よりこの山奥から人里に出るまでの移動の辛さであるということに気付く。
坂。坂。坂。この有り得ん傾斜の坂である。

周りに呼び掛け、本気で原付を探し出す。

結局年中は見つからず、3月の卒業シーズンまで待つことに。
この数ヵ月が辛かった・・・雪降る真冬でも私だけ汗だくで早朝のJRにとび乗る生活。
友人から原付教本をもらう。

ひとちゃんに3月に原付を譲ってもらう約束をとりつける。
黒のビーノです。やったあ。
もうわくわくしすぎて鬱。
旅行から帰ってきて、東京で就職するひとちゃんから鍵を受け取る。ただ、時間がなかったり寝坊したりで免許とりにいけない。
免許ないけどとりあえず名義変更して自賠責加入。

4月3日。早起きして門真まで行く。無勉だったのでサクセス(いわゆる裏校)行こうと思ったら、持って行った住民票が古すぎて本試験を受けれない可能性があるという理由で断られる。
サクセスのお兄さんいわく、この住民票が使えるかどうかは受付の人の適当さによるとのこと。時間作って門真まできて住民票のせいで試験受けられないとか鬱すぎる。
ちなみにこの住民票、大学入学の際になんかの手続きに使った際のあまり。要するに、2年前のである。
無勉でも受験前に寄れば絶対受かると言われているサクセスを受講できず、絶望的な気分になる。免許センターで受付が始まるまで必死に教本を流し読みする。まじで焦る。意外に落ちるらしいし。

受付開始。
春休み中で頭の悪そうな高校生がわんさか列を作り始め、受付の人がいい感じにうんざりしてきたタイミングを見計らって特攻。
運良く発行年月日は見られず、めでたく試験を受けられることに。

さあ、次は受かるかどうかだ。50点中45点以上。基本的に1問1点なんだが、最後のイラスト問題が2点でやっかい。頭の悪そうな高校生達の中には2度目や3度目の挑戦者もいる模様。彼らより常識がある自信はあるが、間違いなく彼らより勉強時間は少ない。どうしよう。お金も時間もないからもう一度は受けられない。

試験開始。教本に載ってる模擬試験より知識問題が少なかったため、常識だけでぎりぎりしのげる感じ。標識の意味問題がもう1問多かったらたぶん落ちてた。

午後は講習。初めてバイクを運転する。自分に運転の才能がないことに気付くとともに、私と同様初めてバイクに乗るはずの高校生達の手慣れた運転に「お前ら明らかに無免で乗ってただろ」と突っ込まざるを得ない。

さあ、晴れて免許交付。
早速だが、帰りに千里中央から自宅まで4〜5km乗って帰らなければならない。

無理wwwwwwwwwwwwwww

サークルの頼れる後輩、もりくんに助けを求める。
「がんばってください」
ちょwwwwwエンジンどうやってかけるんすかこれwwww
とりあえず、交通標識の意味がよくわからないのと、右折できないのが致命的。

命からがら家にたどり着く。もりくんに色々教えてもらう。
「バイクきれいっすね」と言われる。ところが・・・

次の日サーオリで豊中に向かう途中、調子に乗って自損事故。
踏切内で、砂利道の方にそれてしまいこけました。
ひとちゃんが四年間傷ひとつ付けずにきれいに乗ってきたバイクを、乗り始めて2日目でバッキバキにしました。ごめんなさい。
あと足に目立つ傷を負いました。痛くて悲しくてしくしく泣く。
今現在これより大きい事故はない。

以降、バイト行くのに毎日乗る。すぐ慣れる。

5月中旬、インフル休みが暇すぎて、豚フル発祥の地、神戸・三宮まで原付で行ってみる。街を歩く人がほぼ全員マスクをしていたが、特に気にせず中華街をふらついて、夜景を見て帰る。往復80kmほど。

さらにその数日後、今度は名古屋へ。
朝7時頃出て、1号線をひたすら走り、滋賀の甲賀で一度休憩、愛知の弥富で一度休憩したくらいであとは走り続け午後2時頃着。特に事故等なかったが寝てなかったので眠かった。
原付長距離運転で怖いのはトラックとバイパスと警察。気を張ってたので体力的により精神的に疲れた。一桁国道での車線変更ほど怖いものはない。でも足とか痛くならないし晴れてたし音楽聞きながらで楽しかった。名古屋往復の交通費が500円。が、帰りに長スパのアウトレットに寄って散財。意味がない。往復450kmほど。

乗り始めて2ヶ月でメーターが1000km回っていた。

原付の寿命は約20000kmらしい。ひとちゃんから8000kmくらいで受け取って、9月現在、10100km。これから1年半乗ることを考えると、衝動だけで長距離走行はできないのよね。

でも、どこかに行きたい!!自分で運転してどこかに行きたい〜。

原付乗り始めてからかなりストレスが減った!!
最寄り駅までがすごく近く感じるし、大体徒歩5分の距離の学校まですら乗ってってるしw登山イヤ
チャリに全然乗ってないから筋肉落ちまくって前に比べて足細くなったとおもう。まじで。
家から出やすくなったから、付き合いも良くなったと思います。
ただ、飲み会に乗っていけないのは残念。アルコールが入ると結局足はチャリかバスになってしまう。(厳密にはチャリでも飲酒運転だそうだが)

近々東京にでも行こうかと思ってます。

2009/09/05(土) ひきこもり
一週間くらい家から出なかった。
そのせいで全然お金を使わなかった。
日曜に1500円分くらい野菜や肉を買って家に帰ると、週末まで一歩も家から出ずに生きていけることが判明した。

家賃、携帯、光熱、水道、ネットで約50000円

食費を1万としても、家から全く出なければ月6万でやっていけるのである。




実際には同じくらいかそれ以上交際費がかかっているんだが・・・。働こう・・・。


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