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2005/08/12(金) 20年が経った・・・の巻
今から20年前。
小学校4年。
1985年8月12日・・・。

私はディズニーランドにいた。
当時通算3回目の来園。

帰りは閉園までいて22時。

当時は舞浜はまだなく、浦安までまず
バスでいってから東西線で帰るのが基本アクセスだった。

そして途中で終電を逃してしまう。

おじさんが車で迎えに来てくれてその
車中、そのおじさんが
「三国峠らへんに日航機がおっこたらしいよ」
といっていた。

4年生の自分には三国峠もわからなければ
日航機といわれてもよくわかっていなかった。
しかし、飛行機が落っこちたというのだけはわかった。

そして一夜明けた翌日朝・・・

TVをつけた。

そこに写っていたのは
はげた山腹、煙、機動隊、飛行機の破片・・・
ヘリコプターで宙吊りにされながら救出された
川上慶子さん・・・

具体的なことはわからない。耳に入ってきた単語といえば
ボイスレコーダー、垂直尾翼、6時56分、御巣鷹山・・・

それは意味ではなく音として自身の耳を通過していった。

その音と共に当時のその映像は意味はわからないが
すごいことが起きたんだなというのはわかった。

今も当時の緊迫していた現場の空気
が容易に思い出させられる。

画と音(単語としての)。

それだけだった情報からでもあの事故は相当自分の中でも
大きな事件だったような気がする。

つい先日、友人宅でその当時の事故機内コックピットの
ボイスレコーダーの肉声を聞いた。

ほんの数分だったそのテープ。

以外にも機長は冷静だった。

「・・・もうだめかもしれない・・・」

そんな声を発していた。

自分は映画のような緊迫した、気が動転した様相を予想していた。しかし、コックピット内の二人はいたって
冷静だった。

そんな冷静さが怖かった。

どんな映画、ドラマにもかなわない
恐怖があった。

当時を思い浮かべながらこの文章を打っているが
やはり今でもあの事故は知らず知らずのうちに
自身に影響を与えていると思う。

・・・そう、思う。


          主宰  佐とう ひでき


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