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2005/02/06(日) 言葉にまつわるエトセトラ
言葉に関わる仕事をしていると、話す言葉の小さい一言に感動したり、ひっかかってしまったりする。
きっと、それはみんな一緒なんだろうけど、
でも、やっぱりすごい何気ない会話の中に
『その人のこれまでが見える』っていう一言は、聞き逃したくないなと思う。
初めてあった人でも、1度しか会わない人でも、
その中でその放つ一言の言い回しや、タイミングや場の読み方や雰囲気は、
やっぱりその人しかないもので、それまでの過ごしてきた環境や
体験や、人となりがどこからか感じられる。

 私が言うのもおかしいけど、若い人の話し方に、主語が分からない人が多い気がする。
効果音だけで話が進んだり、「なんとなく、あれをこうして」みたいな
まったく本来の目的が見えないものがあったり。
日本は、99%日本人という構成で成り立ってるから、
共有している文化とか体験とか環境とか、どんなに違っても予測できる範囲が大体決まってるし、「こんな感じ」と物事を説明した時に、わかってもらえることが多い。
その安心感からなのか、中学や高校、大学など仲間とのコミュニティーの中で通じたことや感情が、その外の人に伝わるのはそう簡単ではない、というのがなかなかわかるまでに時間がかかるのかもしれない。
私自身、顔を見たこともない人に読んでもらう文章を書く仕事をしてるから、育った環境も違う人に、私だけが体験したり見てきたものをどうしたらわかってもらえるかと、いつもすごく悩む。
それは、私の中でその体験したことが「当たり前」になって、馴染んでしまっていて、もう新鮮な色ではなくなってるからということもある。
例えば、イギリスの食べ物の味や、パブで過ごす時間、私にとっては「当たり前」になってしまって、どれがほかの人にとってめずらしくて、どれが当たり前なのかわからなくなってしまったりする。
「ハギスの味」「木でできたパブのカウンター」「1パイントのビール」そういわれて、味覚や触覚で分かってくれる人は、そうたくさんはいないかもしれない。でも、私の中では頭に思い浮かんで、そのざわめきや匂いや感触が思い出される。
その時の感覚をほかの人が読んでる時に、どこまで思い浮かべてくれるかは、やっぱり伝える努力と歩み寄りな気がする。
かみくだいて、言葉を選んで説明する。

英語を話せるようになった段階は、やっぱりその国の人々がそういうふうに私に物事を噛み砕いて、彼らにとっての「当たり前」をわかりやすく説明してくれたプロセスがあったからだと思う。

でも、一番近くに居て、一番言葉を交わしているはずの人に、
自分の伝えたいことを伝えるのが一番大変だったりするんだよね。言葉が届かない、って悲しいよね。


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