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2006/09/05(火)
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この前テレビを観ていたら 「情熱大陸」で 沖縄のヤンバルクイナのいる所で 家族3人で生活している模様がやっていた
そこには時計もなく夫は農家をやっている 夫を仕事に送りだした後は 出来るだけお金をかけないで 人工的なお店に売っているモノは買わず 自家栽培で生活している
凄いな〜なんて観ていたら 御盆の光景で自分の子供と 鳥をさばいていた
ふむ〜とてもナマナマしい で、鳥の足がお椀から出ている 鳥のスープをとても 美味しそうに食べている
…
自分はよく映画やテレビで こんな光景を観る事があると いつも考えてしまう
たとえば、自分の家で飼っていた 鳥は毎日エサをあげたりして 可愛がっているんだけど それをさばくのである。
その"可愛い"から"うまそう"の 中間の独特の感覚をである
現代は鳥や豚、牛などは ある程度さばかれた状態で売っている なので、感覚的に"うまそう"という 感覚のみで他の感覚はない
でも深く考えるとそこで 遊牧されて生活していたのである 農家の人がいれば可愛がる人もいただろう
本来はその中間の感覚を感じて 手を合わせて自分の命の 一部にしていくのだろうが どうも、その感覚がマヒしていて いつもその事を考えると 気持ち悪い感覚を覚えるのであった。
※写真はヤンバルクイナ。 これを食べていたわけではない
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