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2011/01/06(木)
山口は晴れだった
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またなんで山口県へ? 朝は少し雪も降ったそうですが私がついたら久しぶりの青空を見ました。 実は3日の朝ケアハウスで転んだ母は、右大たい骨を骨折していたのでした。 東京にいる兄に病院に搬送の電話があり、急遽5日の1番で実家に戻ってきてくれました。 私としたことが、新しい携帯に入っている電話も気づかず、固定電話の留守電機能も、夜電気を消したらチカチカ光っているのに気づいたのが、もう夜も11時過ぎ。 翌朝知ってしまったものの仕事も忙しく、夜は今年初の、各会長勢ぞろいの公民館自治会議。あわてていたのでしょう。7時始まりなどすっかり忘れていつものように7時20分ごろ行ったら、もうすでに始まっていました。 しかし、朝仕事に行くときに、公民館に寄ったら、会長さんらが居て、今後次々に来る行事予定も欠席もありますのでといっていたので、遅れても、席はここですよって隣の会長さんが手を振ってくださいました。`ご不幸があって欠席かと思っていましたよ‘ご不幸ってこう場合使われると、こっちがいえいえ骨折ですって言わないと。 早速今日は消防出初式の後の、5校区の消防団の集まりです。ご祝儀というのか各町内お包みを持っていかないといけないのでこちらはお隣の会長さんに託しました。
母の状態は、2日後の今日もう手術が決まっていました。午後3時予定なのでゆっくりでよいとのことでしたが、お昼ごろ宇部に着くように電車に乗り、兄と待ち合わせて、お昼は、おいしいらしいラーメン屋さんで食べて、入院の病院へ。駅についてもそれから結構遠いのですが。 母は絶飲食なので点滴をしていました。3時予定も前の方が伸びたようで4時30分くらいから6時ごろまで手術を要しました。 部分麻酔なので、痛かったなんて文句を言う母が居て安心しました。 すぐレントゲンを見せていただいたら、大たい骨に、すごい太い鉄骨が装着されていて、もう明日からリハビリしましょうだって。 92歳の母の骨はとても良いらしいのです。元気な85歳くらいまでは、食生活はすばらしいものでした。今はほとんど食べたくないとばかり言いますが。 入院も3~4週間の予定ですが、リハビリが主でしょう。 思い出すと、反対の左の大たい骨を骨折したのが5年半前の夏に入る頃でした。 私が手術入院して、化学治療を2度入院で終え、その後は通院でするので退院してほっとした翌日に、母の骨折を聞き、それからたびたび行ったのでした。 今回も3日に安心して帰宅後のことでしたが、手術にも立ち会えて、帰りの電車乗り継ぎもスムーズで、すべて良かったです。 勤務先は `お風呂の日は休んじゃいやよ‘ って言われ、私もすることがいっぱいなので、休める日や休日はまた行って、母と一緒に昼食を食べましょう。
遅くなるので主人には何か食べていてねって言ったら、また例の大盛うどんでした。 私は、タクシーで小野田の駅に着いたら電車が行ったばかりで、それならと初体験の、待合室の立ち食いのうどんを食べたのでした。 電車に乗ってる時間は長いのですが、不慣れな携帯メール操作で時間が経つのが早かったですね。 【立ち食いうどんで量が多いと電車に間に合わないと思うのでそれなりですが、例のうどん屋さんの普通サイズと同じ値段の半分です。うどんも各地違って細めんでした。】
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