花咲かおやじのおそまつ絵日記
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2006年4月
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2006/04/16(日) 退院
手術後の経過は順調で15日土曜日にも退院出来そうだったのですが、家に帰ると無理するし、車いす移動も出来ないから今日まで延ばしました。休日退院なので、事務員も看護婦も医師も少なく入院費も払わずに(次回の診察日26日に支払い)、病室の皆さんに「早く良くなって下さい!」と言って11時頃退院してきました。

家はやっぱり落ち着きますね。

2006/04/13(木) 病院食
病院食は味が薄くて私には物足りませんでしたが、今日の昼食にはステーキにマスクメロンが付き入院中の料理の中では一番豪華でした。食欲旺盛な私にはご飯の量200gは少ないように思いましたが(言えば250gまで増やすことは可能)、一日中何もしていないから食べ過ぎはダメと思い200gで我慢しました。その為いつも夜中にはお腹が空いていました。

2時から2度目のシャワーで、看護婦がギプスの上部をタオルで巻き更に上からビニール袋を巻いて水が入らないようにしてくれたのですが足が太くなってパジャマがなかなか脱げそうにありませんでした。

2006/04/12(水) 尿が出ません!!
朝になって、尿管も点滴も取れて一人でトイレに行くことが出来るようになりましたが、何度トイレに行っても詰まった感じで尿が出ませんでした。看護婦からは水分をもっと取るように言われてもお腹が張ってくるばかりで、車いすトイレに長く居座っていると来客も多くて落ち次がず、尿瓶をベッドに持ち込んでチャレンジしてもダメで、昼から看護婦にもう一度管を差し込んでもらいました。徐々に尿が排出(約500cc)されてやっとスッキリした気分になりました。今後も尿が出ないようなら泌尿器科で診察して貰わねばならないと言われましたが、出始めは何度か違和感があったものの徐々に回復してホッとしました。

手術2日目というのに、昼からはリハビリがありました。と言っても、指先を動かしたり松葉杖の使い方でしたが何も問題なく15分ほどで終わりました。ここで使用した松葉杖は私が病院に持ってきた松葉杖(右アキレス腱を16年前に切ったときに購入)より使いやすかったのですが、保証金5千円(返却後返金)で当分お世話になるから借りようか迷いましたが、2組も家に持ち帰るのは邪魔なので借りるのは断りました。

2006/04/11(火) 手術
昨夜9時以降は絶食で、昼からは水も飲んではダメになりました。体の中の物を全部出すと言うことで、朝から車いすトイレに入って看護婦さんに浣腸されました。「2〜3分は我慢するように」「汚物は流さないように(量を確認するために)」言って出ていきましたが、2〜3分も我慢できずにすぐにお腹が痛くなりました。1回のトイレではまだスッキリせず、点滴が始まった後もそのままの状態でトイレに入って行きました。

14時 紙の手術服に着替え、ネームバンドとT字帯(ふんどしみたいな物)を付け、手術する足を三度消毒液を塗って消毒を済ませ手術を待ちました。
15時 部屋のベッドに寝た状態で、そのままエレベーターに乗って手術部屋に運ばれ、ハッチウェイといわれる移動用の台に乗り手術室のベッドに移りました。

手術室ではBGMが流れており、患者の気持ちを少しでも和らげるようにリクエストも出来ると言うことが後で看護婦さんに聞いてわかりました。私が、「『アメージング・グレース』だったら『白い巨塔』のような雰囲気だったのに」と言うと、「今度リクエストしますか?」との答えに「もう、手術は結構です」と答えました。

手術を始める前には、まず本人に間違いないか名前の確認を行い、血圧計を巻き、指に酸素の量を測るセンサーや心電図、尿管を付け、紙の手術衣を破って、背中をエビのように丸くなって背中を消毒、まず痛み止めの注射を背中にしてから、くも膜下腔という場所に注射して下半身麻酔を行いました。麻酔が効いているかどうかの確認として、足、お腹などが痛く感じるか、また冷たく感じるかの質問が何度かありました。

手術中は、左足の感覚がまるでなく宙に持ち上げられたようで触られている感じもしませんでした。手術中は真剣な雰囲気も感じられず(アキレス腱縫合手術はそれほど難しくはないのでしょうが)雑談をしながら行っているように私には思えました。約1時間ほどで手術も無事に終わって、16時半に再びもとの病室に戻ってきました。しばらくは看護婦が頻繁にやって来て、脈拍、血圧、体温、お腹の調子や足先の感覚を調べに来ました。

19時半 足の麻酔もほぼ消えたので軽く水分を取って気分が悪くならないか確認してから、1時間後に軽食が届きました。まる24時間以上何も食べていなかったので、ロールパン2個(ジャム、マーマレード付き)、果汁100%ジュース、カッパエビセン、フルーツ盛り合わせ(メロン、ブドウ、オレンジ)を食べたのがとても美味しかったです。

2006/04/10(月) 入院
9時30分 雨の中、一人タクシーに乗って市民病院に向かいました。
10時0分 入院申込書を受付で提出して入院手続きを済ませ、4階西棟406号の四人部屋の廊下側ベッドがこれからの私の住処となりました。
11時頃 看護婦からの手術の説明を受け、手術する左足の毛剃りを行い、手術後は風呂に入れないということでシャワーに入りに行きました。
14時30分 医師の巡回診察が回ってきましたが、まだ手術前ということでほとんど何も無く通り過ぎていきました。
18時30分 再び看護士からの脊椎麻酔の説明があり、手術/検査等説明同意書、麻酔同意書を提出し、入院診療計画書を受け取りました。
21時消灯 睡眠薬1錠を飲みましたが、そう簡単には眠れず寝返りばかりしていました。

2006/04/07(金) 松葉杖で出勤
今日は、松葉杖を持って来週から1週間入院で休むため、仕事の段取りを付けるために、会社に出勤しました。オートマ車なので右足だけで運転できるので、普段と同じように運転していきましたが、職場の階段を上がるのと、トイレに行くのが面倒でほとんど机の前に座っていました。左足はむくんできているのか、じっと座っているだけでも怠かったです。これが1ヶ月近く続くのかと思うと憂鬱です。

2006/04/06(木) 足の診察
 昨夜バドミントンの練習で左足首を痛めていたが、今朝起きると足の痛みはましで、足踏みも出来るので少し安心した気持ちで、近くの外科医院に行って見て貰いました。足を見るなり、「アキレス腱が切れています。ここでは何も出来ないので紹介状を書きます」と言うことで、いったん家に帰って、入院覚悟の上で当分風呂にも入れないかもしれないので風呂に入ってから、紹介状を持って市民病院に出かけました。

 市民病院の診察結果もアキレス腱切断で手術入院となりましたが、手術の日程がいっぱいで月曜日入院、火曜日手術と決まりました。その後、下半身麻酔が出来るかの調査で、尿検査、血液検査、レントゲン、心電図を取ってひとまず帰ってきました。

 17年ほど前にも右のアキレス腱を切ったことがあり、今度は左のアキレス腱で、いずれもバドミントンをしていて切りましたので家内からは、もうバドミントンは止めるように言われました。

2006/04/05(水) 久しぶりのバドミントン
今日(水曜日)はノー残業デーだったので、近くの体育館(2時間1200円の使用料)を借りて職場の人達とバドミントンの遊びを久しぶりに行いました。もうかれこれ5〜6年はしていなかったと思います。皆さんには充分準備体操をして怪我をしないようにと私が言っておきながら、初っぱなに左足首がバッシと音がしました。これはやばいと思い後は休憩していましたが、アキレス腱が切れていないか心配です。一応歩けることは歩けますが、左足を強く踏ん張ることが出来ません。もし入院となると、足のことより会社の仕事のことが心配です。


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