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2015/01/20(火)
表現の自由
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ISISの件で大変ですが、これ安倍ちゃんからしたら2億ドルで良かっただろう。最初から払えるわけないし、払わなくて人質が殺されても世論はそこまで怒らないだろうし。もし200円払えて要求だったら大変だろう。200円なら絶対払えるが、払うとテロに屈した事になってしまう。 それでいうとサザンの謝罪は、表現者云々の前に非常にまずかった。アミューズの前に抗議に来た連中は、在特会関係であることはすでに特定されている。在特会とISISの悪どさのレベルはさすがに比べられんが、だからといって連中は反社会的なクズだ。そんなクズが、抗議に来たからには絶対に謝罪しては行けない、謝罪すれば彼らの抗議は「成功」になってしまう。テロリストにもあんなクズどもに「成功体験を与える」というのはとても罪深いことだ。まして、テロリストと違って、鼻くそみたいな連中である。あんな連中2回目に来たら、カウンターがお前らこそ帰れコールで大失敗にさせられたのに、抗議が来た時点であんなんにビビるなてメッセージを届けられなかったのは失敗である。 まあもちろん、あの謝罪はアーティストとして最大の汚点だと思うけども、一連のシャルリーエブドの事件も関連して2015年は「表現の自由」について考えさせられる年になっている。表現の自由については、5年前の「非実在少女のるてちゃん」で書ききって(おかげで劇作家大会のシンポジウムといい、文化人的な活動を出来るようになったのだけど)るし、これ以上考えるのはしんどいのだけども、帰省中で母と話してて母はいくら表現の自由と言っても大切なものを踏みにじったりはいいのかて意見も言ってて考えてみた。 シャルリーのレベルにはかなわないが「下品で全方位にけんか売る作風(実際、そもそも右派は最初から見に来ないてのもあるが、左派からの方が抗議来てるしな)」である。その立場からなんで書きたいかというと、そもそも「すべての人を楽しませるエンターテインメント」やなく、「人を不愉快にさせたい」て願望があるのだな。 私は舞台上で天皇の物まねをよくする。別に私は反天皇制ではないし、今の爺ちゃんや長男は明らかにリベラルで個人的に好きだ。じゃあなぜやるかったら笑いがとれるからで、なぜ笑いがとてるかといえば、激怒する連中がいるからである。誰も怒らない、誰も抗議に来ないならやらん。クソウヨが抗議に来るなんてアーティストとしての勲章だろう。 じゃあ、表現の為に死ぬかというと、うちは好き勝手やってるように見えてビビリだから全然テロに屈するし、TPOわきまえるなんてくそくらえと思いつつ売れたいから無難な席では無難にするし、そこまで開き直れずそんなに人を傷つけたくないて気持ちもない訳ではないから、ずいぶんと自主規制もしてるのだけども、それを人からやるなと言われるいわれはねえわな。人を傷つけるネタをやって、批難されたり売れなかったりはいいが、弾圧されたり、殺されちゃかなわんのや。 怒る人がいるから笑いをとれて有り難い中こんなこというのもあれだが、そりゃあね、あなた方が宗教だの国体だの大事にしてるのはわかるが、たかが歌や雑誌や演劇で馬鹿にされたと感じたくらいで、激怒するってのはカルシウムが足らんのではないか。わしは、暗黒時代からの阪神ファンだったせいで、自分がとても大切にしているものを馬鹿にされることに慣れてんのもあるが、世界一大好きで大切な妻が、役者から貧乳だのなんだの言われても全然腹が立たないぞ
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