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2013/04/29(月)
努力のない社会へ
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http://news.mynavi.jp/news/2013/04/29/032/ 今日は日記を書こうと思ってないけど、これは私の人生のテーマとも言える事なので書く。
私の、というか人類が目指すべき道というのは「努力しなくても生きて行ける社会」をきずく事だと思ってる。この世から「努力」という言葉をなくすことだと思っている。。だから、努力を美化し、努力は延々に続かなければならない普遍的な価値かのようにいう記事は非常に遺憾である。
そりゃあ、私だって恥ずかしながら、努力はしたことくらいある。現在進行形、私がしている演劇活動は、私自身はあまり辛いと思ってないけど、客観的にみりゃ十分努力と言われるくらいの仕事量をしているだろう。しかし、努力をしたからなんていいたくない、んなもん苦労せずに達成出来るにこしたことない。苦しい事はなるべくしたくない。苦しさがある達成感?そんなの、過去の苦しみを正当化するための逃げだ。
だから、私は成し遂げた事は、基本才能があったからだと言いたい。私が腹が立つのは、ワタミの社長なんか典型だが、そりゃ努力もしただろうが、「努力だけで成り上がった」みたいに言う奴だ。ワタミなんて明らかに、才能があったからあそこまでなったわけだろう。本気で、己が有能だと思わず、努力すれば自分と同じ成果をあげられると思っているなら、本当に罪である。そう言う奴がブラック企業を生む
そして、最近話題になったユニクロの柳井の「成長か死か」て価値観は本当に相容れない。私は、人類がいまだ努力しないと生きて行けないというのは、進化が足りてないと思っている。人類が新偽幸せになる世界ってのは「全人類が、努力もせず、成長なんかしなくても、ダラダラ好きな事だけしていける世界」を手に入れる事だと思う。それを夢見れない奴なんか本当クソだと思う。
そんなの夢だって言われるかもしれないけどさ、つい何百年前まで、空を飛べないのが当たり前だったり、身分の差があって当たり前の社会だったりしたわけでね、それを努力の結果克服したわけだ。だったら、努力すれば努力がない社会をきずけるかもしれんじゃないか。
それどころか、「努力したくない心」をなくしたら人類は進化しないよ。遠くまで行くのに歩くの面倒くさいて心が、自動車を発明させたりしたんじゃないの。遠くに行くなら歩くのが当たり前って思ってたら進歩はなかった。
さあ、めざそうじゃないか努力のない社会
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