|
2004/10/20(水)
ヒビサマ日記の講読の仕方
|
|
|
まったく、掛川さんはどこまで文句をつけたがるのか。それは確かに、私も彼女にはずいぶんと悪いことはしたし、それでふられるならやむをえないとは思うが、浮気は別。浮気は加害者が100%悪いのだから、言い訳などする必要はない。事情をしったうえで、判断するのはご自由に、それでかっこ悪い男と思われるなら仕方ない。一生かっこ悪い男で結構だ。同意してくれる人はいっぱいる。殺人の被害者に向かって、殺される方にも責任があるというような人たちには理解されなくとも結構。
だいたい、日記に感情をぶつけるのが何が悪いのか?1年前のことをほじくるなというが、たかが1年であれほどの屈辱を忘れられるはずがない。今授業の日本史講読で、九条兼実の書いた玉葉という日記を読んでいるが、これは面白い。平清盛が死んだ日なんか清盛の悪口のオンパレードだもの。「清盛ほどの極悪人は、本来ならば戦に負けて戦場で屍をさらすような最後をとげなければ、物事の道理にあわないのに、いくら高熱でうなされて苦しんで死んだとはいえ、病気で死ぬなんて許せない、チクショー」ってなことまで書いてるもの。しかも、それ個人用の日記じゃなくてある程度人に見られてもいい(当然平家一門に見られちゃヤバイが、家族や友人にはバレてもいい節がある)日記でそこまで書くからな。
むしろ、感情の入ってない日記なんてつまらない。現在卒論に向けて、大和の興福寺の僧が書いた「多聞院日記」というのを読んでいるが、これがまたつまらんのだわ。0月0日、今日の天気は00だ。何時に00さんが来た。何時に00さんがどこどこへ出陣した。00さんが、どこどこでだれだれに殺されたという情報を聞いた。とか、これただの記録やん。小学生の日記かというものである。まあ、歴史学というのはあくまで客観的事実こそが重要なので、できるだけ筆者の感情をぬいた中立的資料の方がありがたい(評価をするのはあくまで自分自身)ので、こっちの方がありがたいんだけど。
それにしても、訳のない歴史資料を読むのって本当にめんどくさい。知らない単語や、知らない表現、知らない人物がでてくるたびに、いちいち調べなきゃあかんし、人物名なんか基本名前しかないし(苗字は省略されることが多い)、官位ででてきたり、通称ででてきたり、同じ人物なのに色んな表現ででてくるから本当にわからん。そのたびに、辞典や人名索引を調べなくてはならない。平家物語とかまでなれば、平家物語人物索引なんて便利なものがるが、多聞院日記じゃ訳も人物索引もないんだよう。どうすればいいんだ。
しかし、それは因果応報なのかもしれんと思ってきた。このヒビサマ日記、変換ミスが多くて非常に解読しづらいと不評である。もし、この日記は2000年代の一般大学生の意識を知るうえで歴史的価値のある資料として、未来の史学科生の参考図書になったらどうなることだろう?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 参考資料 10月6日 水 ニットを見に行く 今日はまず、「うむよ」の挟み込みに龍谷まで行ってきた。深草まで、遠かった。ビラと差し入れの酒を。紫は通常、金がないので酒は使いまわしするので、飲めない酒を持っていくことが多いが、酒みながら練習するような芝居だけに、有無をいわさず飲みかねない。毒殺犯に疑われちゃかなわんので、飲めそうな酒を持っていった。ダメだったらごめん。
深草まで入ったら、丁度迎さんと轟にあったので昼食を一緒に食べて、くだらない会話してたら大量に時間を消費してしまった。今日は2時からニットキャップシアターを見に行くのだ。鴨川沿いをものすごい勢いで北上(川べりは信号がないから早い)し、劇研へ向かう。ちょい遅れてしまったが、受付の板橋さんとシローさんに融通きかしてもらった。ごめんなさい。
今回は、ごまさんとこなんさんの二人芝居(+楽団)って感じで、まだ終わってないので詳しくは掛けないけど、何重にも作りこまれた笑いと、偏差値の高い小ネタが効いていて、ごまさんの笑いに対する技術はすげえなあ。なんとか少しでも盗みたいなあと思った。また、ビラに書いてあるとおり、男の二人芝居で、こなんさんが演じてる方の役が私の境遇に似ていて、見ていて情けなくなってきた。物語を創作していく上で、でてくる登場人物を多くの人に「これは俺だ」と思わせたら勝ちだという話を聞いたことがあるが、そう考えるとごまさんはやっぱよく人を見ているのね。とにかく、今まで見たニットの芝居では一番楽しめました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは今月6日の私の日記である。まず、訳は未来の言語がどのように変化してるかはわからないのでいいが、まず「うむよ」とはカツショップの公演で、作・演出は迎旭人と調べる。次に深草という地名が残ってなければ当時の地図をだし調べなくてはならない。また、公演の挟み込みや祝い酒の習慣が残ってなければ、それも調べなくてはならない。また轟というのは芸名であるから「ヒビサマ日記人名索引」で本名は森昌平で、どこどこに生まれ、ヒビキとはどこで知り合いというのも調べなくてはならない。それ以後にでてくる人物も同じである。次にでてくるニットキャップについても「ヒビサマ日記用語辞典」でどういう劇団か調べなくてはならない。また当時の京都市内の地図をだし、龍谷と劇研の距離を調べ、何故急がなければなかったのか根拠を調べる。また、今回のニットの公演名が書いてないので、なんらかの方法でこの公演名が「男亡者の泣ぬところ」という公演で、DVDなどが残っていれば探して観て、この感想が適切であるか判断しなくてはならない。あと、3段落目の掛けないは、それだと意味が通らないので、書けないの変換ミスだと判断しなくてはならない。
ようは、日記を購読するのってこんな大変なんだよ。ならせめておもしろくないとやってられんじゃん。まあ、私の日記に歴史的価値がでないから心配ないけど
|
|
|