ヒビサマ今日の一言
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2004/11/11(木) しほりんとデート
書き忘れていましたが、紫に新入部員が入りました。高松出身で深谷未由希ちゃんという方です。衣装に行きました。以後お見知りおきを。

 初見の感想は、本の読み方などいかにも高校演劇出身やなって感じです。高校演劇出のやつは一発でわかります。ヨウゲツが初めて見学に来たときも、ボケ方がいかにも高校演劇だなと思ったし、本宿も花見で話してしゃべり方が高校演劇だとわかりました。うちの高校演劇出でそれっぽくないのは、長町・はりまやくらいです。今西・千本・加茂・環なんていかにもだし。私なんかは、典型的高校劇児とは違いますが、どこの学校にも一人入る、本番よりも交流会ではりきるタイプ(くどい演技で幕間討論で話題になるタイプ)ですね。チハルもこのタイプです。

 ようは、明るく楽しい高校時代を、わざわざ数ある部活の中でも、白い目で見られる(文芸部・理科研究会とならぶ文化系ビック3.体育会系から卓球部をいれると四天王になる)部である(これが、大学になると漫画研究会やアマチュア無線などもっと蔑まされる部がでてくる)演劇部に入るといえば、運動で限界を見たとか、今の自分に嫌気がさし、まったく別なものになりたいとか、なにかしら屈折ものがある人が多いんですね。実際3年間高校で芝居して7割はそうでした。あとなんとなく楽しそうとか友達が入ったからってのが2割。ただの目立ちたがり屋の馬鹿が1割って感じです。紫の高校演劇出を当てはめれば、屈折タイプが今西・千本・加茂・環・加藤(彼女は正確には高校時代から芝居してただけで、高校演劇じゃないが)本宿・ヨウゲツ、なんとなくタイプが長町・はりまや。馬鹿タイプが私(あくまで私の個人的見解に基づいた分類ですよ)。ほらぴったり。高校時代の読者もいるので、私の関わった岩見沢西高演劇部員をあてはめると、Aタイプが望さん、対馬さん、朝田さん、河田さん、猶正さん、辻、吉元、チラ(吉岡)、みたっち、モリクミ(本当に森久美子って名前だった)、斎藤、育恵、松平、ひろみ。Bタイプがリサさん、安彦さん、ちあき、まな。Cタイプが立石さんと私だ(ってか全員覚えてないから、たぶん何人かぬけてますが)。やっぱり割合通りですね(京都の読者のみなさん、わからん名前ばっかだしてごめんなさい)

 さて、そんな楽しい部活生活をした高校時代でしたが、もちろん一番楽しかったのはクラスです。3年A組のメンバーの素晴らしさは、同窓会の日の日記(3・13及び8・20の日記参照)に書いてあるが、触れてないからといって担任が悪いやつだったわけではない。うちの担任は早崎志保先生という方だった。担当は国語で新卒で岩西に赴任して、はじめて担任をもったのがうちのクラスだった。はじめての担任なので、当然慣れないことも多く、隣のB組の清野先生(3・15日記参照)がベテランでガキの扱いに慣れてたのとも比較してしまって、学生時代はちょっと対立したこともあったが、まあ授業中とかはよく雑談(私は、先生が授業に入りそうになったら先生がすきそうな話題をふり、雑談して時間を浪費させ、授業を進まなくすするのが得意だで、クラスの中では授業つぶし四天王といわれていた、あとの3人は吉元・山本さん、吉村さん・・だったかな?)そたりしたり、北海道から単身道外の大学へ行くという同じ経験をしてるだけに、進路相談でも大変お世話になったりしていました。なにより、いい歳して自分のことをしほりんって呼ばせるところがステキですね。ヒビサマと呼ばせる私よりずうずうしいと思います。おっと女性に対していい歳って言ってしまったわ。しほりんはまだまだお若いですよ、決して明治大学時代カツノリと同級生だったかはばらしませんよ。

 そんな早崎先生は、厚岸高校(釧路の近く)に転勤してしまったので、西高に遊びに行っても会えないのであるが、修学旅行で京都に来るというので、今日は京都駅まで会いに行った。

2年ぶりくらに会うので色々話をした。まずA組のメンバーについて近況を話す。私も今年2回も同窓会に行ってるだけあって、道外にいるくせにヤケに詳しい。ってか先生は自分が同窓会に呼ばれてないことに怒っていた。あらあら招待してなかったのか。そりゃ悲しいわな。

ってかうちら結構連絡とりあってるのは以外だったらしい。先生の印象では、ここまで仲良いクラスとは思ってなかったらしい。確かにうちのクラスは学校祭や体育祭でほかのクラスに比べて異様に弱かったからな。ただ実際は、団結力がないと言うより、タラタラした雰囲気だったから弱いって感じで一緒に遊びに行ったり仲はよかったと思う。C組なんかは団結力があって強かったが、あれは強力なリーダーがぐいぐい引っ張ってたからで、ついていけず取り残される奴もいたからな。その分うちは全員ダラっと仲良かったもの。
まさにCやDは社会主義的クラスで、うちはグータラ民主主義だったね。まあそれでみんな楽しかったんだからええんちゃう。

 その後は来年の教育実習への不安を聞いてもらったり、自分の近況報告をした。つい見栄はりたくなって、ちょっとだけ京都演劇界の中での自分の地位や今までの実績、これからの展望を大きく見せかけた。だからウソつきヒビサマなんだろう。

 そして、最後に悲しい話を聞いた。どうやら、うちのクラスに亡くなった方がいるらしい。同窓会にまっさきにきそうな人なのに来なかったし、話題にもあがらなかったのでどうしたんだろうと思ってたが。実は最近中学時代の後輩も事故死していて、なんかすごい喪失感というか実感がわかない。卒業式の時、同窓会に来ないという意味で二度と会わない奴もいるだろうなとは思っていたが、本当にあれが最後だったんだなと思うと寂しい。これ以上他のみんなに同じ気持ちにさせないためにも、この命を大事に生きていかなくてはねと思いました。


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