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2004/04/08(木) 長宗我部の野望・天下創世
 プレステ2を買った。20にもなって今更って感じだが、理由として。1、信長の野望の新作の動作条件が重すぎて、うちの古いパソコンじゃ動かない。2、桃鉄大会を家でも開きたい。3、DVDが見たい。の3つである。

 実は私が家庭用ゲーム機を買うのは初めてである。私は子供の頃まったくゲームをしなかった。何故なら私はピアノしてたくせに指をうまく動かせないため、(だからこの日記もミスが多い)レースや格闘ゲームはできなかったからだ。そんな私がゲームにはまるきっかけを作ってしまったのが、一つは桃鉄、もう一つが歴史シュミレーションゲームという戦略型ゲームだった。小学校のパソに、三国志、チンギス・ハーン、維新の嵐、そして信長の野望と歴史ゲームが入った結果すっかりはまり、自宅にパソコンが来てからはゲーマーとなり、ついには史学科にきてしまったという訳だ。

 特に信長の野望シリーズは毎回かかさずやっている、私のプレースタイルは、序盤こつこつ内政し、その後引き抜きや暗殺で相手の戦力をそぎ、極力戦わずして勝つという桃鉄同様セコイ戦略だ。一度、越中富山城にいた武将を全員暗殺し、支配者のいなくなった城に無血入城という離れ業をやったこともある。卑怯と思われるかもしれないが、武士4人の命で、多くの兵の命を救ったのだ。私は正しい。

 今回の目玉は完全3Dで、シムシティーのように城下町をつくれる内政だ。数字にしかでなかった内政の成果が見た目に現れるので内政好きには嬉しいが、おかげで動作環境が重くなってるのを考えると一長一短。ビジュアルだけよくして中身がないのは、人間でも嫌だが、ゲームだともっと嫌だ。私は最初は大抵土佐の長宗我部家でプレーする。と、いうわけで昨日までに上洛を果たしたので、それまでの軌跡を書いてみた。

 時は1570年秋、長宗我部元親は重臣の谷忠澄を呼んだ。「殿、谷でござる」「嫁が不細工な谷か」「その谷ではござらん、してなんの用で」「一条を攻めようと思うちや」「なんと、しかし一条は殿の亡き父君がお世話になった家では?」「それはわかっちゅうき、が本気で天下を狙うなら戦わねばならぬ相手ぜ」「しかし、我が岡豊城の城下はまだ貧しいゆえ、まずは内政を整えてから合戦するべきかと」「わかっちゅうき」こうして最初の二年は内政に勤しんだ。そして最初の謀略は始まった。一条家の当主兼定は公家趣味が過ぎ、家老の土居宗珊は度々注意をしたため二人には亀裂が入っていた。それを知った元親は土居に謀反の噂ありとばらまいたのだ。効果はすぐあった「御所様公家趣味はいいかげんにして下され」「土居、麿に注意するとはどういう意味かわかっとるのであらしゃいますか?」「は?」「麿に逆らうのは許さんでおじゃる」と兼定は土居を手打ちにしたのだ。文武の支えだった土居を失った一条は自滅。元親、弟の吉良親貞と香曽我部親泰、重臣江村親家と福留儀重の精鋭はあっという間に一条の居城中村御所を占拠し、土佐統一を果たした。長宗我部はその勢いで1574年春、伊予の西園寺、河野両家を滅ぼし、群雄とよばれるようになった。

 「土佐、伊予統一おめでとうございます」「谷、土佐は伊予に比べると貧しいちや」「仕方ないのです、伊予はまだ16だから」「古いよ」「しかし、湯筑城は道後温泉がありますから健康にいいんですぞ」「岡豊城も城下が立派になったのに、門や天守がみすぼらしいぜよ」「では、日本文化や南蛮文化を上げるのが得策かと「どうすりゃええき?」「寺町や南蛮町を建てればよいのです」「どうすりゃ建てれるちや?」「それぞれの町を建てれる大名と同盟を結べばいいのです」「ええと、南蛮町は大友だな、まだ九州とは戦いたくないし丁度いいちや」「寺町は色々な大名が開発できますが、どこと同盟しますか?」「織田家がいいちや、本州進出の際に役立つし、わしの嫁は信長殿の信頼厚い明智光秀殿の家臣斉藤利三殿の妹だから、つてがあるき」。こうして大友、織田と同盟を結んだ長宗我部は、髪結いの際、女を捨て武士として働くことを決めた元親の娘、緑、桃、紫の美人三姉妹の活躍で1576年春四国を統一。1577年冬には摂津芥川城を落とし、本州に進出、紀伊、大和も統一し、雑賀孫一、松永久秀、柳生石舟斎など有能な家臣も手に入れた。

 「岡豊の城下もだいぶ発展してきたちや」「港がない故、貿易町がつくれないのが残念ですが、八幡宮に大社、大仏殿やどうみても金閣寺にしか見えん黄金茶室までできましたからな」「わしとしては色町がないのが残念ちや、この規模の町に遊郭がないのは不自然だと思うちや」「遊郭がでるとこのゲームが18禁になる故しかたないのです」そして、ついに1579年夏、足利将軍家を滅ぼし二条城を占拠。長宗我部は上洛を果たした。

 しかし、それは盟友信長との決別を意味していた。安土城では信長、秀吉、光秀話し合っていた。「猿、元親が上洛を果たしたそうだでのう」「ごもっとも」「どすすりゃええだで」「お館様、このままでは天下は長宗我部のものににゃってしみゃーます」「デ・アルカ」「ここは近隣の大名に呼びかけ、長宗我部包囲網を組むべきでにゃーかと」「デ・アルカ」「私におまかせ下され、ピンチの時こそチャンスがあるモビットでござる」「猿にまかしてもディヤー丈夫だか」「心・配・御無用」「お待ちください、長宗我部は我々と争う気はござらん」「黙れキンカン頭、両雄は並びたたにゃーだで」。

 一方二条城では「殿、大変です。織田が同盟を破棄し決戦を挑んでまいりました」「そうか、尊敬する信長公とは戦いたくなかったちや」「いかがいたします」「挑まれたからには戦わねばならぬ出陣ちや」決戦の時はせまった、場所は京都と安土の中間、近江瀬田。織田と長宗我部の運命を決める戦いが今まさに始まろうとしていた。

 人間ゲームと現実の区別がつかなくなったらお終いだな。


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