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2004/05/03(月) ヒビサマの弱点についての考察
 昔々ある所でで5人の男が話していました。一人が言いました「みんなは体のどこが不自由になるのが一番辛い?」。一人がいいました。「僕は目だ。ものを見ることができなくなったら辛い」。別の男が言いました「僕は足だ。自由に動けなくなったら辛い」。すると、別の男がいいました「僕はのどだ、自由に人とお喋りができなくなったら辛い」。すると最初に質問した男が聞きました「じゃあ、耳が聞こえなくなっても同じじゃないか。お喋りできなくなるんだから」。すると最後まで黙っていた男がいいました「平気さ、だってこいつどうせ人の話は聞いてないんだから」

 これは実際にあった話です。そう、喉が不自由になったら辛いといった男こそ私です。私は人とお喋りするのが大好きですが、ほとんどの場合自分が喋りたいことしか喋ってません。人の話は聞いてません。はっきり言いましょう。他人に興味がないんです。私は初対面の人によく出身地を聞きますが、それは決してその人がどこ出身だか知りたいからではありません。相手が「和歌山です」と言ったら「林真須美のとこですね」「青森です」と言ったら「アニータさんのとこですね」「福井です」といったら「白装束集団のとこですね」というようにネタを言いたい(一応47都道府県全部ネタはある)がためです。

 親に電話して聞いたところ、私は昔から他人に興味のない子供だったそうです。一家団欒の夕食の時、今日学校でなにをしたかは必要以上に話す(反抗期が来るはずの中学になってまで)のに、親あなにしたかはまるで聞かなかったそうだ。それは、噂話を好かない。噂話だけで人を偏見の目でみない。よほどのことをされない限り、水に流して人を悪くいったりしないなどいい面でもあるが、反面人の話を聞かない。人の痛みがわからない。自分の価値基準で話すから、自分がされて嫌な言動はしなくても、そのハードルが甘いから、人が不快になる言動をしてしまうというようなこうとがあるらしいです。

 私は自分の意見ははっきり表明することを誇りに思っています。私の父は教師です。最近の教育現場では国旗国家法成立後、卒業式・入学式での日の丸・君が代強制が強まっています。しかし父は断固として戦っています。黙って歌っていた方が自身の身のためにはよっぽどいいのに、言うべきことは黙りません。そんな父の背中を見て育った私は、自分が正しいと思った意見は、周りからうるさいと煙たがられても、黙っていた方が有利になろうとも絶対に黙らないkとを信念としています。そして、どんな些細な事柄にも、どちらでもいいという選択肢を用意せず、自分の意見を持ち、それをどんな権力者の前でも臆せず主張することを誓っています。

 その信念自体は(賢い生き方ではないかもしれんが)間違ってるとは思いません。しかし、私は他人を押しのけても意見を主張したことで、今まで多くの人を傷つけてしまったかしれません。例えば、よく注意されるのが、みんなで話してる時に、その場にいる人全員にわからない話をするなということです。続けて自分がわからない話で盛り上がられた時のことを考えろと言われます。しかし、私はそんな時は、強引に自分のわかる話にもっていくのだ。だからそういう場面で不愉快な思いをしたことがないから、他人にも強引に自分のわかる話題にすりゃいいじゃんと思ってしまうのだ。そんなずうずうしい奴など滅多にいないのに。

 で、なんでこんなこと書くかというと、ごまさんの講座でうまい役者になるためには、相手を注意深く観察して、引き出して、助け合っていける役者にならなければならないと言われたからだ。思えば私は高校時代からずっと、自分のやりたいように芝居をしすぎると言われていた。顧問はそれをずっと怒りながらも、仕方なく私のしかできない役を書いてくれたからまだよかったが、大学に来て既成の本をやるんでも暴走し続けた。自分が作・演の時など規制がないから本当にやりたい放題だった。私がオリジナル至上主義者なのも作家が自分が好き勝手やりたいれる役を用意してくれないと気がすまないからかもしれない。しかし、問題はいつでも用意してくれる程、価値のある役者じゃないことだ。キムタクなんかは他人の芝居など気にせず、好き勝手芝居してるらしい。しかしそれが許されるのはジャニーズ事務所という権力があるからである。私には権力がない以上好き勝手やることはできない。それは周囲に有無を言わせないくらい上手くなってから言えることだ。

 芝居だけじゃない、ごまさんから黙ればもてるようになると言われました。しかし、私は黙るくらいならモテナイ方がいいと思ってしまう。今まで我を通して生きていたが、それでも何人かは好きになってくれた人がいたんだ。これからもいるだろうと思う。好きになってくれたことに感謝せず、我を通したあげくに、その女たちに逃げられたのにも関わらず。それどころか自発的に好きになった場合もどうだろう?好きになったきっかけは、すべて自分を褒めてくれたから、評価してくれたからである。なんと、相手のことより自分本位じゃねえか?これじゃ成就するわけないわな。

 今の私は報道ステーションの古館伊知郎と同じである。彼はどんなゲストがなにを言っても、自分があらかじめ言おうとしていたことしか言ってない。久米さんや筑紫さんは違う。ゲストが言うことに合わせて、絶妙なアドリブを返していた。私も久米&筑紫を目指そう。そしてたまった鬱憤を(筑紫さんが他事総論で吐き出すように)脚本ではきだそう。そして、上手くなって、上手くなって、上手くなって、名を上げて、信者をつくって、クーデターを起こして、独裁者になって、好き勝手やってやる!

 って、それじゃかわんねえだろ。でも上手くなりたいのは事実。頑張って、我を抑えて他人を気にします!


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