ヒビサマ今日の一言
ヒビサマの挑戦に力を
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2004年6月
前の月 次の月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
最新の絵日記ダイジェスト
2015/05/14 名誉男性鈴子への抱負
2015/04/12 名誉男性鈴子 早割1日前
2015/04/03 残業代支払いよりずる休みのが悪いと思ってるのか?
2015/04/02 養子話
2015/04/01 養子をもらうことになりました

直接移動: 20155 4 3 2 1 月  201412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201312 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200312 月 

2004/06/13(日) 遅れてきた思春期
 今日はスーツで練習に行った。練習後外回りをするためだ。しかし、スーツ着る意味は半分はあるが、半分はみんなにスーツ姿をつっこまれたいという気持ちからきたものだ。たしかに、どうみても新社会人というより、怪しい客引きか、欠陥除湿機を売りつけそうなセールスマンにしか見えないのでツッコミどころ満載だ。こういうところがガキなんだ。自分が話題にならないと気がすまないんだ。

 さて、この講座うけて二ヶ月、なぜ最近イライラするかわかりました。私は今思春期なのですな。ごまさんが言ってました。小学生のうちは、親・先生・回りの友達から愛されてることに確信を持ち自分は特別な存在だと思ってる。が、中高生になると自分は社会の歯車のひとつに過ぎないと思う。その後、好きな人や子供ができて、自分は歯車のひとつだが、ある人にとっては特別な存在になるということである。しかし、私はつい最近まで、親・先生・友達など、周りの人すべてから愛されていることに疑いを持ていなかった。自分が特別な存在であると確信していた。理由は簡単、私もままわりにいる人全員好きだからだ、また他人と自分を比較しないのも原因だ。普通の人は自分よりできる人間の存在を見つけて、あいつはできるのになんで自分はできないんだチクショーということを感じて、自分がたいしたことない人だと気づくらしい。私もまわりに私より優れたものを持ってる人はいっぱいいるが(いくらんなんでもそれくらいは気づく)、そういう人に対し、立派だねえ。すごいなあと感心するが、褒め称えるだけで嫉妬はしないんだな。それはそれで、自分にはたくさんいいところがあるもん。

 と、いうわけで中高時代、私はなんの悩みもなく毎日楽しく幸せな日々を送っていました。しかし、こういう考え方をするには、私の楽観的性格と同時にまわりにも恵まれていなくてはならなかたのでしょうな。私は今まで心のそこから腐った人なんかいないと信じてましたし、実際そんな人と会ったことはありませんでした。しかし、契機になったのは半年前の失恋ですな。世の中には本当に救いようのない、心のそこから腐った極悪人も存在するということを知ってしまいました。(そんなん書くとまた未練たらしい恨み節を書いているように見えるが、これは私の意見ではなく信頼するまわりの友人共通の意見ですからね)。私はそんなわけないだろ。この人にだって絶対いいところがあるから、私が発掘しようと酔っていたのですが甘かった、思春期をちゃんと経験してる友人はみなハナから救いようのない人もいると知っていたから、ほとんどの人から分かれた方がいいと言われたたんだなということがやっとわかりました。なによりその後もっと辛かったのは、こういう状況になれば当然誰しもが100%私に味方してくれるはずが、自業自得だと非難する人もいたことですな。これは、より辛かった。そ私が友人が、同じ立場になった時、100%味方していたのに、それがかえってこないというのはショックでした。

 で、この講座きて、人の話をきちんと聞くことを覚えたり、自分のやりたい芝居を抑えなきゃうまくなれないとかいうことを実践してみると、自分の特別性にますます確信がなくなてきたのですな。
それがようやくいまさら思春期が来たということなのでしょうか。ところがね、掛川とかは相手と自分を比較しないとか、嫉妬しないとか、周りの人みんな大好きってのは、ヒビキのすごくいいところだからなくさないでほしいと言ってくれるんだわ。確かに、せっかくすばらしく素直に20年育った(そのぶん欠陥も多い、少なくとも比較や嫉妬しないと芝居どころか何事ものびん、モーツアルトへの嫉妬がなければサリエリの曲は残らなかったのだよ)のに、並みの人間になってしまうのももったいないなと思うところもある。紫の連中など、無責任に昔のヒビキのがよかったから戻ってとかぬかすからな。

 でもさすがに、20過ぎて思春期が来るとしんどいな。さっさとごまさんの言う次のスッテプに行きたいな。今まで好きな人いなくて幸せな日々を送っていたのは、思春期が来る前で、誰か一人から愛されなくても自分はみんなkら愛されてるし、自己愛が強いからだったのね。今は、回りに自信がなくなたうえ、無理やり自己愛に規制かけてるから、誰か一人でいいから安定がほしいと思ってるのかもね。ただ、私はどうしても博愛主義は捨て切れんのでなあ。恋愛って特別扱いすることなのかもね。ところが、私にはそれができん、過去何人かつきあった人はいたしベタ惚れしてたが、誰よりも特別な存在かって言ったら、川で恋人と友達が溺れてたら、先に溺れそうな方助けるし、恋人と友達と同時にでかける誘いがきたら、ほぼまちがいなく友達との誘いを優先していた。恋人との方があってる時間長いんだから、少ない方を優先するのは当たり前だと思う。ところが、周りの人は平気でいつも会ってる恋人を贔屓する。私がそれを過去の例をあげ非難すると「ヒビサマは本当は好きじゃかったんですよ」とまで言ってくる。本当にそうなのかしら?本当に好きな人なら、どこまでも特別扱いするの?今までしなかったのは、好きじゃなかったからなのかね?私は次誰かとつきあって、どんなに好きで仕方なくても、その他の大切な人と差別化して扱うようにはなりたくないなあ。どうしても差別化しないと収まらないならさっさと結婚すればよいのだ(結婚とは社会的に相手を贔屓しても非難されないようにするものではないのか)。でもそれじゃ恋愛はできないのかね。

 すべての人を愛す精神で、誰とも比較せず嫉妬せず、自分は天才だと思ってこのまま生きていくメリット・デメリット。本当に大切な人に特別扱いし、自分はちっぽけな人間だと思い、まわりに嫉妬にくるいながらも、自分をよりよく高めていこうとする生き方のメリット・デメリット、どっちが私にはいいんでしょうかね?


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.