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2005/02/05(土) 見た目で選んで、悪いに決まってんだろ
また多くの人から反感買うようなことを書くが、人類が生み出した職業の中でも卑しいもののひとつは服屋だ。衣服と言うものは、そもそも暑さ寒さをしのぐためのものであった。それが、貧富の差が出来るとともに衣服は権力の象徴として無駄に豪華なものとなった。しかし、市民が立ち上がり平等な社会が実現した後も、人間は衣服に無駄な機能を捨てることはなかった。それどころか、人はファッションという無駄な価値観を植え付け、それで人を判断するという無駄な行為をしだした。なんと愚かな生物であろう

言い訳しとくが、本気で書いてるわけじゃない。極論はこの日記のひとつのウリなので書いてみただけ、本当にそう思ってたら演出としてあんなに衣装に注文つけない。そもそも派手な衣装が着たくて芝居やってるくらいだから。

とはいえ、普段は服にはアロハ以外こだわらない。安物で充分である。なもんで、まわりのファッションにこだわる奴の思考は理解できない。自分らで勝手に楽しんでるならいいが、もっとこだわれといちいち言ってくる奴は頭にくるし、見た目で判断する奴は愚かのきわみだと思う。

そんな中で今日面接のための身だしなみ講座に行ったその話を聞いてあきれ果てた。面接のほとんどは見た目で印象が変わってくるんだそうだ。未熟で馬鹿な若者が見た目で判断するのは仕方ない、しかし社会で荒波にもまれながら英知を養い、人事担当になったからには本当に役に立つ人材を求めるはずの社会人が見た目の印象を気にするなど愚の骨頂である。

たしかにシャツがシワクチャじゃないかという点を見るというのは一理ある。シワクチャのシャツを見ると気分が悪くなる人もいるからという理由に対しては、シャツがピリっとしてようとシワクチャだろうと機能としてはかわりないんだからそんなんで不快になる人は馬鹿であるから愚かな理由だが、シャツがピリっとしているのはアイロンをかける絶対に楽しくないあからさまにめんどくさい作業をきちんとこなすことができるというのは、めんどくさい仕事もきちんとこなす能力を持っていることにつながるから、シワクチャのシャツの奴よりも仕事が出来る可能性が高いという点で見る価値あるだろう。姿勢にしてもそうだ。私が採用する場合、相手の姿勢が悪くたってなにも気にならない(それくらいで態度が悪いって不快になるのは不経済的過ぎる)が、とても辛い姿勢である背筋を伸ばすという姿勢をとることができる人は、他のつらい作業もできる可能性が高い。辛いから猫背になる人は、他の辛い作業も出来ない場合が多い。現に私が猫背なのでは、まわりの目を気にしないで常に楽な姿勢をとろうとしているからだ。

しかしである、わけのわからんのも多い。どうも不必要なマナー。守るために守っているようなまなーが多すぎる。特に馬鹿馬鹿しいのは椅子の背もたれには腰掛けるなというのだ。背もたれに腰掛けると偉そうにみえるかららしいが、偉そうなだけで実際は偉くないのにそれで頭にくる面接官なら面接官が未熟なだけだ。そもそも面接者と受験者は、受験者が採用してもらいたいという弱味があるとはいえ、まだ上司・部下の関係ではないんだから台頭である。年長者である以上敬意は払うできだが、へりくだる必要はない。背もたれはもたれるためにあるのだから堂々と使ってもなにも悪くないだろう。そもそももたれたらむかつくんなら最初から背もたれのない椅子を用意するべきである。本当になんの意味もない馬鹿馬鹿しいマナーだ。

なによりリクルートスーツほど馬鹿なものはない。スーツの利点はどんな不細工なやつでもそれなりにかっこよく見えるということだけだ。そもそも見た目に毒されているものなのだ。それ以外は、購入費・維持費は高いわ。夏熱くて、冬寒いから冷暖費はかかるは、動きづらいわ。常に利益を追求しなくてはならない企業にあるまじき不経済的な衣服である。革靴も高い上に動きづらい。カバンにしてもリュックにくらべて、収容量は少ないうえ、手で持つから(肩に背負うリュックに比べ)疲れるし置き忘れの可能性も増える。ネクタイにいたっては本当になんの意味もない。ネクタイというのは嫌いなアイテムではないが、21年生きていてもその存在意義はまったくわからない。

そんなに画一的にしたけりゃ制服にすればいいのである。実はこの悪習がはじまったのは、須崎先生によるとオイルショック後だそうだ。それまでは就活中のの学生でスーツを着てる人などほとんどいなかったそうだ。当時は学生運動が盛んだったから、学生のうちからスーツを着てる奴は体制に媚びをうる情けない奴とされていたからだ。しかし、あさま山荘事件によって極左のヤバサが浸透し、不況で今まで起業が人が足りなくて困ってたのが、人が余って採用する学生をえり好みできるようになると、学生は急速に保守化し企業に気に入られようと自主的にスーツを着るようになり今では当たり前になってしまったのだ。なんと嘆かわしいことだろう、もはや気骨のある学生はすっかりいなくなってしまった。言われるままにスーツを着るなど情けなくないのか?

と、いうわけで私はささやかな抵抗を試みている。スーツはぱっと見無地のグレーだが、少しテェックの柄がついている。リクルートスーツではない。またシャツは白は着ない。私はカラーのが映えるし似合うから(ああは書いてるけど結構見た目も気にするのよ)結構だいたんなストライプも行く。ネクタイは派手なのもいく(紫とか赤チェック。金色のネコ柄とか)、当然それだけで拒否反応を示す企業もあるだろうが、その程度の遊びを許さない企業(そんなとこで判断する企業)はこちらから願いさげだ。面接は確かに採用してもらう場ではあるが、こっちが企業を選ぶ場でもあげる場でもある。企業から見れば採用してあげる場だが、来ていただく場なのだ。へりくだる必要はない。プライドを持ってこっちからえら見定めてやればいいんだ


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