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2005/05/11(水)
愛すべきB級映画と、私の進むべき道
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あらゆる作品をみるうえでのひとつの指針として「アッタク・オブ・ザ・キラー・トマト」を許せるか否かというものが基準となる。アタック・オブ・ザ・キラー・トマトというのは、もうどうしようもない映画である。簡単にあらすじを詳しく言うと「トマトが人を襲う」という内容だ。詳しく言おうにもそれしかない。何故企画の段階で誰も止められなかったのか理解に苦しむ。
さすがにこれだけじゃわからないので、もっと詳しく書くと「アメリカに突如として殺人トマトが大量発生し、人を殺していくパニック映画」である。しかし、殺人トマトの発生原因や巨大化の原因は一切触れられない。ただいきなり襲っていくだけである。しかもトマトが襲うシーンはどう見てもトマトを投げつけてるようにしか見えないし、巨大化したトマトには足やキャスターがついてるし、他にもトマトに人が襲われるシーンがあるがトマトが飛んでくる時は昼なのに、それを見て恐怖におののく人は何故か夜だったり、もういい加減というよりわざとやってんのかというくらいテキトーもうツッコミところ満載である。
これを許せるかどうかというのは芝居をやる上で大きな問題だと思う。まあ上記でも十分伝わっただろうが「アタック・オブ・ザ・キラー・トマト」はB級映画としても酷すぎる。昼夜をあわせるくらいもしないなんて不注意すぎる。真面目に生きている人はこんな映画を見たらぶちきれるし、こんなものを許せる人間がいるというは信じられないだろう。
しかし、世の中にはこれを許せるどころか、むしろ好きだという人もいる。私の好きな漫画家はなくまゆうさく氏もその一人だ。氏のやる気のかけらも感じられない下手くそな絵としょうもない作風からはそれがひしひしと感じられる。あの劇団ショウダウン代表のナツメクニオ氏もHPの中で「アタック・オブ・ザ・キラー・トマトは名作だ」という記述があったのを知っている。
言い訳かもしれんが、もうこのいい加減さが気にならないどころか好きという人間に構成や構築が出来てないとか、ドラマの軸がしっかりしてないとか、役者の会話がしっかり出来てないとか、台詞ない役者が死んでるとか、ましてや芝居に関係ない部分ハケ裏に暗幕張れとか言われたって、聞くわけがない。そんなことどうでもいい、ディティールなんかどうでもいい、その都度その都度シーンこと単発でもおもしろければいいやという演出になるだろう。
そういう意味で、今後の作風について考えてみた。私はシチュエーションコメディが好きでそれを目指していたが、どうも私には細部まできっちり作っていかなくてはならないシチュエーションコメディはめんどくさすぎる。今回だってほんまテキトーである。例えば生ゴヅラ、中盤で総理は自衛隊を出す指示を出すが、自衛隊を出すなら日本に経済制裁をするという中国も、デコポン2号を飛ばすと言ってた北朝鮮も何故かノーリアクションである。また日本の許可なしに出撃させるといっていたアメリカも何故かその後出撃させていない。劇中でそのことに対するフォローはまったくされていないのである。「アタック・オブ・ザ・キラー・トマト」を許せない人間にはこれは非常に矛盾として残るだろう。現に通しをみた掛川からこれはおかしいという指摘があった。実は練習段階では、閣下が「中国にも北にもアメリカにも話はつけた」という台詞があったのだ。その一言さへあれば矛盾はなくなるはずである。しかし、この台詞をいれると流れがすこぶる悪くなるのだ。役者と話した結果、そんな台詞入れなくてもお客は、そこまで覚えてないだろう、気になるお客様もいるだろうが、それよりも話のおもしろさだろってことでカットした。
それは意図的だが、気づいてなくても矛盾だらけの脚本である。しかし、私はそんなんどうでもいいやん。おもしろければという考えである。で、あるからには私は、ディディール完全無視でとりあえずおもしろけりゃいいやという馬鹿路線の方がいいのかもしれん。なるほどナツメさんが、とりあえずおもしろいものをやろうとしている(そしてあれほど敵が多い)というのも「アタック・オブ・ザ・キラー・トマト」好きというところでは納得である。
で、次回作をどうするかである。次回作候補は「微乳女戦士貧乳仮面」「コンドーム伯爵VS危ない司教様」「嘘吐きはゴッドハンドのはじまり」「教頭」「淡口仁志探検隊」「生ゴヅラの逆襲」と6つある。そのうち「貧乳」「コンドーム」「淡口」の3つが馬鹿。他の3つがシチュエーション系だと思う(まあ厳密には分けられない、全部も馬鹿だし)。そう考えた時どれがいいか。すでに何人かと構想を語っているが、まだまだ流動的。パンフにあらすじを載せて、アンケートに次回作はどれを見たいですか投票という馬鹿な企画をやったが、もうちょっと延長したい。ブログに載せるんで意見が伺いたい。
さて、酷評されたアンケートの中で、エド・ウッドの映画みたい、ゲテモノ路線の方がいいんじゃないのというのがあったが、私はむしろエド・ウッドの映画という表現は褒め言葉であった(史上最低の映画監督とよばれるエド・ウッドの解説についてはここでするまで文字数が足りない、自分で調べてくれ)。これだけは言っておきたいのは、エド・ウッドの映画は確かに手抜きにしか見えない。しかし私は決して手抜きではないと思う。彼は意図的に、テキトーな映画をつくったんだと思う。むしろ彼は細かいところが気になる人の気持ちがわからなかったのかもしれない。わかってもそういうことが出来ない人間だったのかもしれない。しかし、それが出来ないことがやる気がないとか、能力が低いという評価をするのは間違っている。テキトーでもおもしろいものはおもしろいのだ。
私見たことないが「アタック・オブ・ザ・キラー・トマト」よりもっとヤバイ「死者の盆踊り」というのがある。その監督こそエド・ウッドである。
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