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2005/06/05(日)
また鬱か
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靖国問題は困ったものだ。なんだか難しい問題みたいだが、簡単である。あの神社は大東亜戦争(と表現してるのがミソ)を賛美した展示がある神社である。つまり英霊を敬えとか、なんとか論じる必要はない。あそこはイカレタ神社なのだ。イカレタ場所には後ろ指をさしていればいいだけだ。
だいたい小泉は総理になる前は一度も行ったことがないのだ。本当に真摯な気持ちがあるわけではない。遺族会の票がほしいだけ。ムキになっているのはみんなが反対するからであり、ほおっておけばいいのである。行こうが行かまいが賛成も反対もせず無視しておけばいい。しかし「罪を憎んで人を憎まず」ってのは酷いな。それは被害者が加害者を許す時に言う言葉だ。加害者が言っても神経逆なでするだけだろ。
いつまで謝罪しなければならないのかってのも、許してもらえないうちは永遠に謝らなきゃならんに決まってる。わしだっていまだにあのクソ女に怒ってるのは許してないからにも関わらず謝罪する義務を放棄しているからだ。子孫の代まで言うなというが、私だってあのクソ女には子孫の代まで謝ってほしいと思う。こんな些細な男女のいざこざでもこう思うのに、戦争であそこまで酷い目にあわされれば当たり前だと思うんだが。
で、今日の本題だが、上記の件以来現われた鬱だが、最近またぶり返してきた。みに来てもらえなかった鬱は、ビデオ見てもらいまくってるおかげで直りつつあるけど、かわりに教育実習にたいする欝が。ああもう、どうしようもないくらい不安だ。なにが引け目って、教師になる気がないことだ。そもそも試験受けないもの。
教免取り始めた時(2回)では確かにあったんだけどね。試験ノーパスで通るとしても、なるかどうかってところまで来てるもの。まあ芝居への情熱が2回の頃とは一変してるのと。2回の頃より自分の人間としての小ささに気づいたから、とてもじゃないが、子供の一緒に関わる職などには怖くてつけないという不安がでてしまった。
しかし、ただでさえ現場の教職員・生徒には迷惑な教育実習を、なる気のない人が行くというのは申し訳なくて仕方ない。講義ではなる着なくても「絶対なります」と言えと書いていた。確かにそういってしまえば楽だろう。でもウソをつかなくてはならないというのもまたプレッシャーなんだな。私は普段くだらないウソばかりついているが、こういう肝心なウソはつけるほど賢い人間ではない。重大なウソは気がひけてつけない。人を笑わせられないウソはつけないのだ。困った。具体的に教材研究ができないって不安もあるけど
もうひとつ、演目が決まらないのも鬱だ。いや、ここまでスランプははじめてた。まったく脚本がかけない。人が全然決まらないのもある、結構アテにしてた人もまだ確約がもらえないのでヤキモキしている。もしかしたら全然集まらないかもという不安もある。人数くらいは確定しないと本が書きようがない。「生ゴヅラ」ほどのなりふり構わなさがないのもある。本当にあの時はなりふりかまわず集めて、14人揃えたものな。今回は絶対「生ゴヅラ」じゃなきゃやだというのがないから、停滞してるのかもしれん。決して前回で燃え尽きて、前よりやる気がないわけではないのだが。鬱なので、しんどくなるという悪循環だ。困ったな。
ああ、でもどうしよ。演目。本来はわくわくする話なんだけどな。ネタはあるのだし。
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