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2006/04/29(土)
正義の味方
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私は自分はとても正義感の強い男だと思っている。
そんなこと言うと、たいていはなにを馬鹿なことをといわれる。私ほど、自己保身ばかり考え、自分の欲望に忠実な奴もなかなかいないからだ。しかし、私は自己保身は悪いこととは思わない。自分の身を守るといのは、なにをおいても正義だと思う。そして、自分の欲望に忠実というのも、なによりも自分のやりたいことを我慢せずにしようというのは正しいと思う、まあ当然その中には「人殺してー」とか「彼女居るけどあの女とやりてー」というものは含まれないけどね、殺人盗みなど法的(法律違反でも、急いでいるときまったく車がいないところで信号無視するのは私の中では正義だからするけど)に問題があるもの、浮気のように倫理的問題があるものに関しては、いくら欲望があろうとせんけどね。その程度の線引きは出来ている。しかし、食いたい時に食う。眠いときに寝るというのは、他人に迷惑がかからない程度なら、欲望に忠実というのは正義だ。だから、私は正義だと思うからしているのだ。
そして、私は自分の損得に関わらないことに関しては徹底的に正義の味方である。誰かが喧嘩していた時、例え利のない方に味方した方が自分が有利になろうと、私は正しいと思った方につく(自己保身が正しいという意見と矛盾するが)。私が卒業式の君が代斉唱時に立たなかったのは、それが正義だと思ったからだ。それをやれば、私の進路などで不利になることはわかっていた。しかし、それで正義を妥協するわけにはいかないと思ったからだ。その正義が果たして正しいのかはわからない。もしかしたら、よくわからない正義をがむしゃらに妄信する、種類を問わず色んな宗教の原理主義者と変わらないのかもしれない。かなり危ないやつなのかもしれない。しかし、それが私の信じる正義なのだ。
しかし、今日はじめて、正義を妥協してしまった。今日私は、自分が正義だと思った方に味方できず、利のない方につかざるをえなかった。正確に言うと、自分の立場を守るための行動だったともいえなくはないので、自己保身だから仕方ないといえなくもない。しかし、自分の中でなにかがくずれたのは確かだった。悔しい。それが大人になるということなのだろうか。確かに、学生時代学生運動を熱心にやってた世代が、今まともに社会人になってるのを見ると、そういう青臭いことをやるのは学生のうちだけで、私も卒業したからそいう行動をとるようになっただけなのかもしれない。学生のままだったら私はあくまで正義だと思った方についていたと思う。しかし、今日は出来なかった。それは悔しい。自分に負けた。私にこれから出来ることはなんだろう?
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