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2006/09/13(水)
経済効率主義に絶望したっ
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今日の話はまず、今回の芝居を観てないとあまりわかりづらい例え話がいっぱいあります(見てなくてもある程度はわかりますが、観ていた方がわかりやすい)。ってことで宣伝、笑の内閣HPに、今回の芝居の脚本がアップされました。さらに、写真つき試合解説もあわせてアップ、みんな見てくださいね。こちらですhttp://www.geocities.jp/waraino_naikaku/dai4zitop.html宣伝。宣伝。さあ、下からは若者特有のオナニー的悩み吐きが始まりますよ
私はサイゼリヤでは無能なアルバイトである。興味のないことは絶対に集中しない。私自身は、決して手を抜いているつもりはないが、そもそも興味のないことに頑張れない人間なのだから、手を抜いていると思われているだろう。今まで唯一バイトで頑張った(いや、当然全部頑張ってますよ。ただ頑張ったと周りも認めてくれるのは)のはきゃぴたるだけ、なぜなら楽しかったからである。当然、正社員たちの評価は低いだろう。挽回するには2つの道しかない。興味がなかろうが無理矢理頑張れる人間になるか、好きになるかどちらかだ。
しかし、なんというかどうしても受け入れがたいことがあった。それは、なにげないことである。私が皿洗いをしていた時に、厨房にいた社員さんからパスタの盛り付けを手伝ってくれといわれたので、「はい」と厨房にいったわけね。その時「なぜ、洗い終わった皿盛ってこないの」と注意されたわけだ。どうせ洗い終わった皿は、いずれ厨房に運ばねばならない。私が洗い場から厨房に移動する、その移動するのにかかる3秒程度の時間は、皿運びに使えば有効な時間となるが、ただ移動しただけでは無駄だからという論理だ。
まったくその通りで、なんの間違いもない。経営サイドから見れば、わずか3秒といえども時給は(1円きってるけど)発生しているわけで、その3秒を別なことに使えば同じ時給でより多くの仕事をさせることができ、コストがうくわけだ。しかし、私はこれを聞いて絶望した。(この話には、普段から私が仕事がとろくて、雇う側からしたら私を使うのは効率が悪いというのもあるんだが)。それはその注意した社員さんに逆きれしたとか、そういう意味じゃない。その社員さんたちが、生きているファミレス業界でそう考え付くことは当然であるしそういうことを考え付き言えるということは尊敬に値する。しかし、わずか3秒である。この人たちはその3秒を無駄にしないために、日々努力しているのか。と、いうよりそこまで考えなければ生きていけないのか、ということにとても恐ろしさを感じる。
今回の、笑の内閣は結構赤字が出た。はっきりいって真面目に切り詰めていれば、黒が出たと思う。しかし、「まあ、いいじゃねえか。そんくらいの無駄、そんなケチくさい計算するより、いい芝居をつくることに集中した方がいいや」ってノリでやってたから、でた赤だ。まあそれは決していいことではなく、今後でかくするならそんなノリではダメで緻密な計算も必要だとは思う我が、私はそれくらいの余裕がなきゃ余裕もっていい芝居なんかつくれんだろうとも思う。
しかし、私より何倍も優れた、成熟し、そしれ収入がある大人である社員さんですら、3秒の無駄を気にしないと生きていけない世の中なのであれば、生きていくということはあまりにも余裕がなくて忙しくてめんどくさすぎる。私は効率も大事だが、無駄なこと(いい意味での無駄ね、バイトで効率の悪い仕事をするというのはいいことではない)こそ粋であり人生の余興であると思っているが、無駄という言葉はそれほどまでに忌み嫌われるのかと思うと恐ろしい。忙しいサイゼリヤという店だからかもしれないが、私はその方針だけはついていけない。人生はもっと余裕に満ちていなきゃ破綻すると思う。余計なお世話かもしれないが、社員さんたちの働きぶりをみると、どこの店舗もここまで働かしているなら(というか外食産業なんかみんなそうだろうが)過労死かノイローゼかで死人出るんじゃ(実際すかいらーくは過労死だしてるしね)ないかと思う。
私は親の影響で(公務員で競争がないからかもしれんが)、経済効率優先主義は悪だと教わってきた。母など、人生に役に立たない、実用的じゃないことほど趣味にしている。なまけることは悪だが、必要以上に頑張らずこれ以上は成長しなくてもいいよってとこで余裕をもって暮らすことこそが人生を楽しむことだと思ってきた。しかし、小泉政権が推し進めてきた政策は、頑張ることをやめればその時点で転落してしまう政策だ。誰しもが頑張り続けることなどできないのに。
私の同期の人間は(フリーターや5回生も多いけど)今年から社会人になった。谷内さんのように芝居を続けられる人もいるが、多くが忙しくてひーひー言っている。その仕事がとても楽しくてやりがいもってやっている人のことはあれこれいわん。それで幸せだろう。しかし、つまらないとまでは言わんが(つまらないとまで言ってる奴は今のところいないしな)、ただひーひー言ってる奴の話を聞くと、なんなんだお前らはといいたくなる。仕事と言うのは、人生の生き甲斐(私にとっての演劇は、収入はないけどそういう考えね)という道と、幸せに暮らすために(はお金が必要)するものである。しかし、そのせいで不幸とまではいかなくても、ひーひー言うのは本末転倒じゃないのか。そういう世界に身を投じることを嫌がって、体験もしていない私から言われたくはないだろうが。これは、ひーひー言ってる個人ではなく、社員にひーひー言わしなにが自分にとって、そして周りの人間にとって幸せでなにが不幸せなのか判断が出来なくなるほどの、余裕をなくさせる会社、というかそれが是認されるこの社会への怒りだ。
そして、ここから先は意見が欲しいからブログに行く。最近ぶろぐは全然更新してないからそっちにきて
http://yaplog.jp/hibisama/archive/161ね
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