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2006/09/28(木)
ものを辞めるということ
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やめるというのは続けるより大変なことだ。私はめんどくさがりやどころか、何事も完璧に妥協する完璧主義者なので、意外に思われるかもしれないが、簡単なものはあっさりこりゃできないわとやめるが、ある一定以上の物だとやめたことがない。例えばバイトは任期満了以外の理由でやめたことがない(きゃぴたるはまた別ですしね)し、サークル・部活は言わずもがな、高校の時も大学の時も練習厳しすぎてこの公演の終わったらアウトやと思ってたのにやめられない。恋愛も自分でふったことがない。そして、今芝居がやめられない、生活が苦しいのに。
しかし、これはよいことなのだろうか?どうも、苦しくても後からの糧になるとか、目標があるからとかじゃなく、状況を変えるというのは面倒だし今のままでもいいや、揉め事を起こすのもめんどいし、今楽しいから後から辛くなってもいいやというまさに妥協による続けるというものになってはいないかと思う。バイトの任期満了は、ほんまに満了だったからにすぎないし、あそこで勇気を持って演劇をやめていればまともに就職できたかもしれないし、自分でふったことないってのは(後から考えると、危機を迎えたときさっさと別れてた方が立ち直り早かったなって事例が多いにも関わらずふってない)その女を本気で愛してたんじゃなくて、しんどいが単に彼女のいない状態よかマシだってしたにすぎないのではないか。
そして、現在私は黙っていれば継続するいくつかのものを終わらせるか否かで悩んでいる。はっきりいって継続する方が楽だ。物事を辞める勇気が私にあるのか。
で、なにがいいたいのかというととりあえずホストを撤退してきたのである。一番の理由は、時給換算すると労働基準法違反だからだ。話にならん。470円くらいだ。そりゃ、売れっ子になれば、基本給の安さなど気にならん額はもらえるが、私は労働者の権利を守るために戦う身なのだ。
正確に言うとね、水商売の世界は深く入ってはいけない世界だと思いました。別に卑下したり差別はしませんが、尊敬できる世界ではないです。私は性善説論者なので、個人個人はいい人だなと思いましたが、尊敬できる人もいたけれどね。まあ、私は元々昔付き合っていた女が水商売をやっていたという裏切りにあったから、この世界を憎悪してきていたのだけれども、だからこそ自分が飛び込んでどんなものか知らなければ批判できないと思って行きました、おかげでこれからはどんどん批判すべきことは批判できます。まあ、飛び込んでみて彼女の言い分もわかるようになったので、昔みたいに絶対批判はしませんがね。
単純に一ついえば私は人を笑わせることに誇りを持っていますが、笑いと言うのは聞き手側もある程度は教養を持っていてくれないとやりようがない。
少なくとも、ロンドンの場所がわからない人なら笑わすことは出来る。しかし、ロンドンの意味までわからない人は笑わせられん。アメリカの大衆向けの笑い顔も白くないのは、中西部の馬鹿なアメリカNO1にとりつかれた共和党支持の田舎者にもわかるようなことをしているからである。ウッディ・アレンを笑うには教養が必要なのだ。
もうこの発言自体人を非難してることになりますが、実際そういう傾向の割合が多ければそう判断せざるをえない。笑いを志す人間ならそれでも笑わせなきゃならないのかもしれないが、芸人として結局テンションだけで酒飲んでごまかすってステージにたつより、もっと鍛えられるステージにたつべきだと思ったので去ります。さようなら
オーナーには芝居を見に来てくれた恩もあるし、女の子についてきて暇そうにしてるおっさん客とかの対応で期待はされてたので、辞めづらかったがまあ仕方ない。しかしまあほんまに短時間だが、覗けてよかった。動員も8人増えたし。今後の脚本のネタが増えた。この調子で辞めるべきものはどんどん辞めていこう。
とりあえず金はもらえてよかった。今日は甲子園に言ったので金を使い果たしていたところだった
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