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2006/09/09(土) ただひたすらに楽しかった打ち上げ
内閣のうちあげがあった。こんなにうちあげが楽しみな公演もない。みなと常時会えなくなってから10日くらい寂しくて仕方なかった。17時、中京青少年活動センターで清算兼反省会。京劇に移動してボーリング大会ー22時から飲み会ー鴨川へ移動して騒ぐーカラオケー朝食という一晩丸々の馬鹿騒ぎだった。役者は16名全員出席なうえ、スタッフも哲・霜月・八木と来て、受付手伝ってくれた紫の1回生二人もきてくれた(受付だけでも相当楽しんでもらったようで、芝居中毒になる危険な兆候ですな)。ボーリングは、浪崎がわしのチームにいたときはかっこつけてカーブばかり投て酷いスコアをだしてたのに、使えんと放出したとたんストレートを投げいい成績をあげていたのでムカついた。

 飲み会は、バーの個室を貸しきって大騒ぎした。みな破滅的な飲み方だった。その後、鴨川に移動。好例の鴨川渡りをしようと、私などわざわざふんどしをはいてきたが途中で警官に止められた。悔しかった。結局、奴らが去った後、有志だけで目立たないように強行したけど、かなり消化不良なのは否めない。その後のカラオケでは、みなの入場曲を中心に盛り上がったが、カラオケに連れて行くまでは主宰者としての責任感があって、最後の最後のラインで自由に行動できなかったので、ぐだってベンチで実のない演劇論や恋愛論を語っていた。2次会のカラオケで高い金払ってんのに歌わずに語る、演劇論や恋愛論は実がなければないほど、どうしようもない若者の青春という感じがしてたまらない。そして、朝方で店員が一人しかいない(問題だろ、その人休憩とれんし倒れても助けがいない。それで人件費がまかなえないなら深夜あけんな)すき家に17人でいって朝飯を頼むという酷いことをして帰る。

 みなと別れて(結局寂しくて哲は家に泊めたんだが)家に帰って、いよいよこの先どうしたらいいのかと考えた。ひとまず来年の9月を目処に再演するという決断を下したのは。何度も言うが、芝居としては観るに耐えないのをなんとかしたいあらだ。みんなもっと上手い役者なはずなんだが、もうひとえに演出の責任だ。決してそんなことはないが、芝居の部分はもう演出しなくてもいいやと放棄したとみなされてもしかたないだろう。いや、自分でもあれは放棄してたんじゃないかと思う。それはちゃんとしなきゃダメだろう。そして、やっぱりお客様からいい意味ではあれだけの歓声を引き起こしたことだ。私は自分が楽しいと思ったことは、人に強要するレベルで薦める迷惑な人間だ。私は演劇は好きで演劇こそが最高におもしろいと思っているが、同時にスポーツに嫉妬する。スポーツ観戦で騒いでる奴らは、確実に楽しそうだし実際私があの場にいたら楽しい。では、なにが楽しいのか。結局スポーツを見てるのではないのだ。ひいきのチームを応援しているという行為を楽しんでいるのだ。よく、プロ野球の応援団が背を向けて応援していることを「球場になにを見に来ているんだ」と批判する人がいるが、彼らは応援しにきているのである。過激なこといえば、別に選手のプレーなどどうでもよい。自分らが応援して騒いで気持ちよくなればそれでいいのだ。私は、甲子園に行った時阪神が勝って欲しいと願う。しかしそれは私が岡田監督や選手達に幸せになってほしいからではない。勝てば騒げるし自分が嬉しいからだ。

 私は創作する人間だからそれを生み出すことはできない。しかし、プロレスなら創作できる可能性があった。私がプロレスの芝居をやりたいと最初に思いついたのは2003年くらいのはずだが、現実にやろうと思ったのはやっぱりハッスルのブレイクを見て、作為バレバレのふざけプロレスでも馬鹿をやり通せば怒られないと自信を持ったからだ。結果、怒った人もいたけど、楽しませたと思う。どんなに芝居として酷くても、私は1ステ目で(いくら開演前にセコンドが煽ったらコールしてねと仕込んだとはいえ)トラッキーコールが起きた時、私はこの作品は成功したと思った。そりゃ、一部の暖かくテンションが高いお客さんがやって、やらないというのがしにくい雰囲気にはなっていたけど。お客さんが楽しかったというのは当然だ。あれだけ騒いで発散できたんだから。そして、芝居として見に来たお客さんが怒るのは当然だ。芝居じゃないんだから

 だからこそ、どうしたらいいのだ。結論は8月31日の「再演希望」の日記に戻ってしまう。本来はスポーツ選手しか味わえないはず(演劇人としてならもっともっと上に行かないと味わえないはずの)の、あの歓声を浴びる快感を我々は得てしまった。私はあれを企画したという快感を味わってしまった。しかし、今回の公演は芝居としては反則技なのだ。これ以上同じことはしたいけど、できない。再演というのは、今回見れなかったから度再演してくれって一部の人の声に応えたのもあるが、逃げなのかもしれない。これほど役者が楽しかったと言ってくれる公演はそうそうない。ここまで別れがたいと言わしめた公演もそうそうない。これほどの感動は高校時代の合同公演と、DOSの「エメラルド」くらいかな。それは2つとも忘れられない公演だが、それぞれ顧問の先生と企画者に与えてもらった感動であった。今回、それを自らの手でみなに与えたということを、私は誇りに思う。思うが、同時に恐ろしいことをした気もする。ただでさえ芝居は麻薬だ。してるときは最高に気持ちいいが、切れると気が狂いそうになる。さらに自己表現の場としては最高に効率が悪い。金もかかるし、時間の拘束はあらゆる趣味の中で最高(まともに働けないんだから)、その割りに影響力は少ない。その上で上記の通り、それ以上の快感を与えてしまった。

 再演しようぜと言った時、みなよってるからもあって「でて」と言ったらおーとなった。まあ、実際は今回のメンバーは全員集まるなんて不可能なんだが、それでもこうなるところに嬉しさと怖さを感じる。

 続きは、明日の日記で。まあ、続きのが上に来てしまうんだけど


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