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2007/11/03(土)
後輩たちよ、欲なきままでは伸びぬぞ
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さて、紫の感想を書いてないし終わったことだし書いとく。前書いたとおり思ったよかよかった。
コメディ2本、静かな芝居1本てところ。コメディはどちらも笑えた。まあ、笑わせたというより笑われたに近いところもあったが、笑われたらあかん笑わせてやるというのは私はかっこつけてると思う。偶然だろうがなんだろうが、笑わせたら勝ちなのだ。どちらも方向性は間違ってないので、あとは何倍か過剰にやってくれればよいと思う。静かな芝居は難易度が高く、役者の実力できついところもあったが演出がぶれてないのでよかった。
だからって、これで満足してる自分が情けない。お客さんに見せる最低レベルになってるだけだ。やはり、不満に感じるのはこの芝居がやりたいの?てことだ。
私は紫に入ったのは、なんだかんだで高校時代顧問の創作の真面目な芝居をしていて、自分の書いた本がやりたい、もっと好き勝手馬鹿な芝居がしたいてのがあったからだ。うちの学年は他のやつもまだあったな、創作がやりたい子、野田秀樹がやりたい子、ようは公演の時期が決まってるから公演をするてことはなかったはずだ。
ひるがえって、今の脚本選びは人数が決まってるから、実力がこうだからって選んでるように見えるというか選んでるのよね。もちろん、今の部員数で20人も出る芝居は出来ないし、実力もないくせに分不相応に難しい脚本やってるところはたまにあるが、かなり痛々しい。特に学園祭公演は浮動客が多いから、やれることをきっちりやって新入部員を増やすという戦略を考えれば正しいことをしているのだが、先輩として寂しいこともある
なぜなら、やりたい芝居があってそれをやれるようになろうと思う意外に、上手くなるわけがないからだ。義務でもないサークル活動に義務のように公演してるだけでは絶対に上手くならない。私だって、内閣の芝居をおもしろくするためならあらゆる努力は惜しまないが、なんか付き合いで惰性で出演受諾したものの本よんだら面白くねえやって芝居じゃやる気でないもの(それ反省したので客演はよほど気に入ったとこじゃないとしなくなりました)。
別に脚本書きたい願望があるとか、やりたい本があるとかまで思わなくても良いのだ。好きな役者さんがいて、こういう演技が出来るようになりたいとか、こういう装置が作ってみたいとか、こういう衣装が着てみたいとかそんなんでいいのよ。ただしたいやれいたいで行動しないのでは困るが、少なくともなにも思わないよりは欲求が出れば、じゃあこういう演技を出来るためにどういう勉強したらよいのとか、こういう装置作るには誰に習えばいいのとか思う確率は増えるわけではないですか
少なくとも紫に入ったということは、多少なりともしたいことがあったわけだろう。で、これで満足してるってことはやはり芝居に対する絶対的欲求が足りないのだと思う。いや、別にサークルなのだがそれは悪いことではないが、衰退の原因になってるのだから先輩として寂しいし、なによりもったいないと思う。ようするに、芝居ってのめりこんだら君らが思ってるよりもっともっと楽しくてしょうがいないもんだぜて教えてやりたいのだ
そのための一番の近道は、技術を習うとかなんかより、とにかくとにかく芝居を何本も見ることだ。映像でも生でも、なんだかんだで私は年間生で7・80本、映像合わしたら人生で1000本以上は見てるはずだ。それでもまだ「こんなことしたい、してみたい」てものはいくらでもある。そのうちの何かが人生を変えるかも知れない、私もそもそも笑の大学を見て脚本が書きたいと思って勉強した、竹中直人をみて、吹越満を見て、大倉考二を見てあんな演技がしたいと思って勉強した、そしてハッスルを見てプロレスをやろうと思いプロレスの勉強をし、これで食いたいと思ってマーケティングの仕方だの経営の勉強までするようになった。これも、もちろん楽しい芝居をしたからもあるが、まずは作品を見たからだ。
たぶん現役の子は圧倒的に足りないと思う。プロのビデオやDVDをどれだけ見てるか、京都という毎週どこかで芝居をしているところでどれだけ見てるか(少なくとも私は小さな人間だから、内閣に全員見に来てないのは不満だぜ!OBだけならともかく現役の仲間も出てるのに、手前味噌だがあれを見たら好みもあるけど学生劇団の1・2回生なら「あんなすごいことやってみたい」て思ってくれると思うぜ)。とにかく、たくさん見まくれば、こういうことがしたいってのは見つかると思う。
どうやら、12月は紫創立以来はじめて絶対半年に一回やってた定期公演を中止して基礎訓練につとめるらしい。色々問題はあるが、公演のための公演をしないという点では英断だと思う。この2ヶ月を無駄にせずスキルアップしてほしいものだ
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