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2007/05/18(金)
コンフィダント レビュー
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昨日は大阪まで、三谷さんの新作「コンフィダント・絆」を見に行った。 笑の内閣がまんま、笑の大学からとったように総裁が三谷作品に影響されているのはまるわかりですね。最近はかなり違うけど。三谷作品に限っていえば、東京まででもいくほど。今回はゴッホ・ゴーギャン・スーラ・シューネッケルら芸術家同士の友情が成立するのかがテーマだった。まあ、総裁は美術史はしらんからゴッホしかしらんけどね。以下ネタバレ服務から、いやな人みないでね
いつもより、笑の量は少なかったが考えさせられる話ではあったね。総裁は、自分の作品を芸術などと思ったことはないが、才能はあると思っている。根拠もないのにだ。才能がないと言って悩むこともない。なぜなら、世の中に自分の作品よりおもしろいと思うものがないからだ(自分のより世の中に受けるだろうなってもの、参考にしたいもの、すばらしいと思うものはいっぱいあるが、自分の好みという見方をすれば内閣が一番だ)。誰かに嫉妬するかというと、あいつは売れてて悔しいという嫉妬や、自分も思いつきそうなネタだったのに先にやられて悔しいはあるが、自分より才能があって悔しいと思うこともない。
で、作品を見て作中のゴッホのように、自分は才能がないとわめいて周りに慰めてもらうという(異常性欲もそうだが)設定に近いといいなと思ったが、作中で唯一才能がないシューネッケルなんじゃないかなと思った。彼は、他の3人から才能がないと思われているが、自分では気づかず、人はいいのでアトリエのリーダーとして慕われている。しかし、最後にそれに知らされ別れ別れになりそううになった時、それでもなおみっともなく、自分は絵を描かないから今の楽しい生活を続けようというのだ。これは心にきたな。総裁もも才能はなくても、ダラダラ芝居続けたいだけかもといつも思うので、もし今芝居をしているメンバーが離散しそうになった時も、シューネッケルのような態度をとると思う。まあ、私の周りの人間はそこまで大人じゃないけど
芸術家どうしの友情というよりは、本人のことを思っていたいことも言う友人と、相手のことをそこまで思ってないので土壇場でどうなるかわからんけど、とりあえず一緒にいて楽しい友人とどっちがいいのかって考えさせられた。普通に考えりゃ前者とも思うが、案外後者のがいいじゃないかと思わされた。友情というのはまず楽しくないと意味がないんじゃないかと。
友情だって打算であると思う。損得なしでも一緒にいて楽しいとか、こいつのためなら自分は存してもいいと思うことだって突き詰めれば、自分が気持ちいいかどうかの打算だからね(楽しくない奴や、こいつのためになんかしたいと思わない奴とは一緒にいれないだろう)。私も友人のことを思って注意したりもするが、結局余計なお世話な気もするしなあ。やっぱり、あんま楽しくなかったり、チケット買ってくれない人と友情を維持するのは難しい。なにより、後者のような友人といても今まで損したことがなく、むしろ楽しくやっているじゃないか、なんだかんだでみんな助けてくれるし、今後どうなるかはわからんが。馴れ合いの友情ごっこはやめろとかいう奴はいてそう思っていたが、馴れ合いが悪いと思えんくなってきた。だって、馴れ合いの方が楽しいもん
と、珍しく芝居を見て色々考えたよ
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