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2008/10/20(月)
合田よ、神は俺だ
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僕の目をかけてる後輩のGは最近自分を神だと言ったことを悔いる文章を書いている。
そんなこと悔いるなと思う。物書きなら自分が神だとくらい自信をもつべきだ。私は自分が世界一面白い脚本家だと思うし、この世で自分が一番好きだ。自分が女だったら高間響がタイプだと断言できる。むしろ、誰しもが自分が世界一好きじゃないと世の中成り立たないと思う。自分が世界一好きじゃないのに生きていける人が凄いと思う。
つまり私は弱い人間だから自分が世界一の天才だと思わないと生きていけないのだ。ようは例のごとくが難航しているのだ。アイディアはいくつかあるのだが、どれにしようか迷っている。
書きたいことを書くじゃなく、どんな本にしたら集客が増えるかといういやらしいこと考えてるから苦労すんだわな。すでに創作家の発想じゃなく、商売人だもの。脚本家と営業を兼ねている問題点だ
脚本としての生ゴヅラの評判がいいためプレッシャーになっている。あらためて、自画自賛するがいい本だ。万博をしたことを後悔はしてないが、切り札的存在の生ゴヅラをここで使ったのはもったいなかったかもしれない。「いまさら、プロレス絡めない普通の芝居をしても」とか「もっと人を驚かす企画をしないと」とあせったなあ。今の政治情勢で生ゴヅラ単独でも話題になる宣伝は出来たし、収入は増えないけど支出はかなり減るから黒に出来ただろうし。
あれが名作に出来たのは、主役の総理に私を投影できたからだろう。向坂が褒めてくれたことで「ヒビキの脚本はいいよ、自己弁護だから」てのがある。実に良い表現だ。私の本は自己弁護だ。私の本には必ず、総理みたいなダメな人が出てきて、それでもダメなりにちょっとだけ頑張るけど、たいして成長はしないて結果になる。(しかも、それを肯定して、家城さんみたいに甘やかしてくれる人もでてくるんだな、ダメ男を甘やかす家城さんは魔界のママは理想の女性なのだ、というかあの2人はうちの彼女だ)。ダメ総理、優柔不断な教頭、近畿大会に行きたくてしかたない演劇部部長なんてまんま私の投影だ。
さらにいうと、もう一つは怒りだ。生ゴヅラは政界への怒りやアメリカへの怒りが源になった。「教頭」は日の丸君が代強制への怒りから書いたし、亀岡シリーズはファンド会社への怒りから書いた。怒りをぶつける目標があればすいすいかけていく
となると、次はどうしたらいいのかな。怒りはいっぱいあるのだけど、血液型性格判断すんなとか脚本になりそうもないせこい怒りだしな。このままだと、政権交代して、アメリカもオバマになると、怒りの対象がなくなって生ゴヅラ(動物保護団体や中国への怒りは持続するけど、主要テーマじゃなくなる)なんか意味なくなるし。怒りがなくなるのは穏やかな人生を送るにはいいが、創作にはよくない。マイケル・ムーアがオバマ政権になったら、逆に文句を言うネタがなくなって困りそうなのと同じだ。
自己弁護も、自己弁護したいことはいっぱいあるが、それが本に繋がるかは、チケットいっぱい売ってくれて芝居とかしてもしょうがないしなあ。いい加減、自己弁護じゃなくいい本が書けるようにならなきゃならんのかね
と、いうことで今あるアイディア
「結婚式プロレス」 結婚式で花嫁がさらわれて、対抗戦。結婚式に営業に行くためのサンプル
「町おこしプロレス」 にせんとくんも登場。町おこしのためにプロレスをする村の話。市町村に営業に行くためのサンプル
「ショウ・マスト・ゴー・オン形式プロレス」 架空のプロレス団体で、トラブルがおきつつ無事に大会が終わるようにみなで頑張る話。三谷ぽい
「エンタメ歴史物形式」 まのくん発案。鉄砲伝来の変わりにプロレス伝来したって話にして、エンタメ芝居の殺陣の部分をプロレスにしようてアイディア。新感線ぽいかな?
「プロレススーパースター列伝形式」 ある特定のレスラーの大河ドラマ形式の芝居。まのくんが橋本を演じるとかがよい?
かなあ。むしろ次々回のプロレスなしのオーソドックス芝居のが先にかけちゃうかも
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